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戦国小町苦労譚

一五七九年 八月下旬

安藝國北部高田郡最北端存在著川根村。被小丘與緊鄰村邊的大河夾著,是典型的偏遠寒村,幾乎沒有外人來訪,卻突然出現了一群客人。

安芸(あき)国の北部に位置する高田郡の最北端に川根村が存在する。小高い山と村のすぐ側を流れる大きな川に挟まれた典型的な寒村であり、村人以外に訪(おとな)う者など居ないような場所に突如として客人(まろうど)が現れた。

正當太陽即將升到中天時出現的客人們,身著陌生的服飾,姿態嚴肅而威風。

日がまさに中天へと差し掛かろうとする中現れた客人たちは、見慣れない衣装に身を包んだ物々しい姿をしている。

他們在村民的引領下被帶到村長家中,受到盛大的款待。

彼らは村民に促されるままに村長(むらおさ)宅へと案内され、大いに歓待されることとなった。

通常鄉村封閉排外,但他們帶來大量手土產,於是破例地舉行了宴會。

通常であれば田舎の村は閉鎖的であり、よそ者を嫌うものなのだが彼らは村へと大量の手土産を携えて訪れたため時ならぬ宴が開かれることとなったのだ。

「歡迎光臨。雖無法作出盛大款待,但請至少飽餐一頓。」

「ようこそおこし下さいました。大したおもてなしもできませぬが、せめて腹一杯食うていってくだされ」

長期受鹽不足之苦的村子,客人帶來的物資如天賜恩惠,他們以借用村中一角為代價提供這些物資。

かねてより塩不足に悩まされていた村にとって客人が齎(もたら)した物資は天の恵みに等しく、彼らは村の一角を間借りする対価としてそれらを提供してくれた。

客人帶來的物資種類繁多,除了大量的保存食、酒、調味料外,還有衣物與鐵器等生活必需品,對村民而言可謂垂涎三尺。

客人の物資は大量の保存食や酒・調味料に加えて衣類や鉄器等の生活必需品など多岐にわたり、村人にとっては喉から手が出る程に欲しい物ばかりであった。

於是村中人們聚集,以婦女們準備的菜餚與酒宴熱鬧非凡。

こうして村中の人々が集められ、女衆の作った料理と酒で大賑わいとなる。

宴席正酣時,客人對村長表示他們正準備開鑿越山之路,並提出希望將此村作為山路的入口。

宴もたけなわとなったころ、客人たちは村長に自分たちは山を越えて道を作る準備をしていると言い、この村を山越えの道に対する玄関口としたいと申し出た。

但山屬於領主所有,村長等人僅以繳稅換取使用權,並無決策權。

しかし山は領主の持ち物であり、村長たちは税を納める代わりに利用させて貰っているに過ぎないため決定権などありはしない。

客人們對此早已心知肚明,總之只要村民對他們所為置之不理即可。

客人たちもそんな事は百も承知であり、要するに自分たちがやっていることを見ないふりをしてくれさえすれば良いのだと言う。

這種事在深山山村常見,對村民而言領主總是來收稅,卻在災害或飢荒時毫無援助。

山奥の山村にありがちな話なのだが、村人たちにとって領主とはキッチリと税は取りに来る癖に災害や飢饉などの際に何の援助もしてくれない存在だ。

雖然領主也有理,因為與中央距離遙遠緊急時難以聯絡,加上地處偏僻無被外敵攻擊的風險因此援助常被延後,但對村民來說這些理由毫無說服力。

そもそも中央との距離があるため緊急時には連絡がとれず、また立地的に外敵に攻められる恐れもないため支援なども後回しになってしまうと言う領主なりの言い分も存在するのだが、村人にとってはそのような事情は考慮に値しない。

村長對客人的提案無法立刻答覆,但也未明確拒絕,結果逐漸默許成局。

村長は客人たちの申し出に返事をすることが出来ないでいたが、積極的に拒絶もされなかったためなし崩し的に黙認する流れが出来てしまった。

概而言之,因為受惠於客人提供的物資,村中產生了共犯者意識。

要するに客人たちからの物資によって潤ったため、共犯者意識が芽生えたのだ。

大宴會後,客人在村外一隅搭起小屋逗留,日復一日有攜帶物資越山而來的客人出入該處。

村を挙げての大宴会の後、客人は村はずれの一画に小屋を建てて逗留し、連日その小屋に物資を携えた山越えをしたと見られる客人たちが出入りするようになった。

客人們對村民一概友善,每次都分給他們物資。

客人たちは皆一様に村人に対して好意的に振る舞い、毎回物資を分け与えてくれるのだ。

不知不覺村民對客人完全放下戒心,甚至開始幫忙搬運越山而來的各種物資。

気が付けば村人たちは客人たちに対してすっかり警戒を解いてしまっており、山を越えて運ばれてくる様々な物資の運搬を手伝ったりするようにすらなった。

同時,客人的小屋不知何時已變成林立倉庫的物資集散基地,駐留人數甚至超過村莊總人口。

そうしている間にも、客人たちの小屋はいつの間にか複数の倉庫が立ち並ぶ物資集積基地へと変貌しており、村の総人口を超える人数が駐留するようになっていた。

村民一度對不斷增加的人數感到警戒,但那些人會在空閒時幫助村民農作,或自發修補因大雨阻斷的道路,為村務做出貢獻。

村人も一時期は増え続ける人員に警戒していたのだが、彼らは手すきの時間に村人の農作業を手伝ったり、大雨で通れなくなった道の修繕なども自主的に行ったりと村の運営に貢献してくれている。

當客人們已完全融入村中時,終於越山的主力隊伍抵達村莊。

こうしてすっかり客人たちが村に溶け込んだ頃、ついに山越えの本隊が村へとやってきた。

從山陰越過數座山抵達川根村的秀吉軍本隊,由秀吉心腹福島正則率領抵達。

山陰から幾つもの山々を越えて川根村まで到達した秀吉軍の本隊は、秀吉の腹心たる福島(ふくしま)正則(まさのり)によって率いられて到着する。

本隊士兵帶來大量薄型資材,大小約相當於一疊榻榻米,外觀如抹灰。

本隊の兵士たちは畳一枚分ほどの大きさで漆喰(しっくい)様の外観を持つ薄い資材を大量に持ち込んできていた。

福島自幼事奉秀吉,史實中被列為『賤岳七本槍』之首的武將。

福島は幼少より秀吉に仕え、史実に於いては『賤ケ岳(しずがたけ)の七本槍』筆頭に数えられた武将である。

與秀吉為從弟(福島之母為秀吉之姑),與同為血親的加藤清正並列受重用。

秀吉とは従弟(福島の母が秀吉の叔母となる)にあたり、同じく血縁にあたる加藤(かとう)清正(きよまさ)と並んで重用されている。

福島到來後,村長首次得知他們為秀吉軍的一支隊伍,這才意識到自己邀請了與領主毛利輝元敵對的勢力進入。

福島の到着によって村長は彼らが秀吉軍の一部隊であると初めて知らされ、領主である毛利(もうり)輝元(てるもと)と敵対する勢力を招き入れてしまったと気が付いた。

事到如今已無可挽回,即便此刻告知秀吉軍所在也難逃處罰。

ことがここに至れば既に後の祭りであり、今更秀吉軍の居場所を密告したとて処罰は免れない。

再聽到他們帶來的戰況,村長判斷毛利方面敗北只是時間問題,繼續與秀吉軍合作會有更好的未來。

更に彼らから齎された戦況を聞くにつけて、どうも毛利方の敗北は時間の問題であり、引き続き秀吉軍に協力する方が良い未来が開けると判断した。

福島向村長等人承諾,今後繼續整備這條越山街道,將其作為連結山陰與山陽的物流出入口,以保障他們的生活。

福島は村長らに今後もこの山越え街道を整備し続けて、山陰と山陽を結ぶ物流経路の出入り口として彼らの生活を安堵すると約束する。

如此雙方利害一致,村民全力配合,村外的物資集散基地持續擴大,成為福島率領的秀吉軍駐紮據點。

こうして双方の利害が一致した為、村人総出で協力する体制となり、村はずれの物資集積基地は福島率いる秀吉軍の駐留拠点として拡大を続けた。

另一方面,在重點塹壕戰敗於光秀軍的浦上宗景,率領殘存部隊退回天神山城繼續固守。

一方、肝煎(い)りの塹壕(ざんごう)戦で光秀軍に敗北を喫した浦上(うらがみ)宗景(むねかげ)は、生き残った軍を率いて天神山城まで逃げ戻って籠城を続けていた。

在先前一役,他在吉井川兩側佈置空壕等必殺陣形等待對方,卻彷彿被預料般被對方破解而潰散退走。

前(さき)の会戦では吉井川を挟んで空堀を構え相手を待ち受ける必殺の陣を敷いたというのに、まるでこちらの策を予期していたかのように対応されて潰走する。

雖然做了些最低限度的阻擊工作作為遺禮,但投入大量資金與人力卻無一戰果便敗走,浦上軍士氣跌至谷底。

置き土産とばかりに最低限の足止め工作はしたものの、準備に多くの資金と労力を費やした挙句に何の戦果も得られぬまま敗走したとあって浦上軍の士気は地に落ちていた。

浦上本人亦然,面對名聞遐邇的智將明智光秀,讓他深刻體會到自己所想出的計策只是稚嫩把戲。

それは浦上本人にとっても同様であり、知将として名高い明智光秀にとっては己が思いつく程度のことなど児戯にも等しいと思い知らされる。

心灰意冷的浦上決定派人去求助與織田軍分道揚鑣的宇喜多直家,請求合作。

すっかり弱気になってしまった浦上は、織田軍と敵対するにあたって袂(たもと)を分かった宇喜多(うきた)直家(なおいえ)に遣いを出して協力を求めることにした。

浦上與宇喜多關係複雜,宇喜多曾為浦上麾下家臣。

浦上と宇喜多との関係性は複雑であり、かつて宇喜多は浦上に仕える家臣であった。

但當信長立足利義昭為將軍時,宇喜多因與不從將軍的主家浦上對立而起兵反旗。

しかし信長が足利義昭を将軍に据えた際に、将軍に従わない姿勢を取っていた主家の浦上と対立して反旗を翻すに至る。

其後義昭與信長對立被放逐,放棄將軍職轉由毛利家監護,仍試圖復權,宇喜多見此情形最終也與義昭決裂。

そして義昭が信長と対立した結果放逐され、将軍職を返上して毛利家預かりになりながらも復権しようと画策する様を見て、流石の宇喜多も義昭を見限ってしまった。

雖然主從對立的原因仍未釐清,但兩人未和解,宇喜多堅持獨立自主。

主従が対立する原因が宙ぶらりんのままだが、その後も二人は和解することなく宇喜多は独立独歩の姿勢を貫いていた。

浦上雖然衰落,仍不願迎合西國雄主毛利家,而是希望在向織田軍展現存在感後,以有利條件求得和談。

浦上としては落ち目となってはいるものの西国の雄たる毛利家に迎合することなく、織田軍に対して存在感を示した上で有利な条件のもと和睦するのが狙いである。

和睦為前提,但因為對織田家的敵對立場相同,他認為有可能與宇喜多結盟。

和睦前提ではあるものの織田家に敵対する姿勢は共通しているため、宇喜多とも手を結べる可能性があると踏んだのだ。

然而宇喜多與齋藤道三、松永久秀並列為戰國三大梟雄(殘忍且勇猛之人),並非易於對付。

しかし宇喜多も斎藤道三、松永久秀と並び戦国の三大梟雄(きょうゆう)(残忍で勇猛な人物のこと)に数えられる人物であり一筋縄ではいかない。

「豈料竟然淪落到向趕走主君並奪取國家的奸臣呼籲合作的地步嗎?」

「よもや主君を追い出して国を奪った奸臣(かんしん)に対して協力を呼び掛ける程までに落ちぶれたか」

宇喜多在居城備前岡山城面對浦上的使者如此言說後,閉目沉思片刻。

宇喜多は居城たる備前岡山城にて浦上からの使者を前にそう言い放つと、暫し瞑目して考え込む。

往日的主君浦上雖在內政上有缺失,卻以善於戰事聞名。

かつての主君たる浦上は、内政にこそ問題があるもののいくさ巧者で知られる人物だ。

就連他也不能忽視明智軍那種如入無人之境般迅捷的侵攻,作為備前・美作的國主不能放任不管。

彼をしてすら鎧袖一触に侵攻してくる明智軍の存在は、備前・美作(みまさか)の国主として見逃すことが出来ない。

他們的主君織田信長既然提出西國平定的方針,不可能讓人安然通過,想必必然會發生一戰。

彼らの主君である織田信長が西国平定を掲げている以上は素通りしてくれるはずもなく、必ず一戦交えることになるだろうことは想像に難くなかった。

瀨戶內海大海戰的結果已眾所皆知,藉海路逃走也無望。

既に瀬戸内海での大海戦の結果は皆が知るところとなっており、海路を通じて逃げのびることも叶わない。

因此雖是宿怨之人,但他認為與浦上採取合作體制對自己更為有利。

そうなれば因縁のある相手ではあるものの、浦上と協力態勢をとる方が己にとって利があると考えた。

「好吧!使者大人,辛苦了。我這邊會自行行動,告訴主君我會協力即可。」

「良いだろう! 使者殿、御勤めご苦労であった。こちらはこちらで勝手に動くが、協力はすると主君に伝えられよ」

浦上的使者露出明顯的安心表情,行了一禮後退離了謁見之間。

浦上の使者は露骨に安堵した表情を見せると、一礼して謁見の間を辞した。

浦上最怕的情況是被明智軍與宇喜多軍夾擊,至少在與明智軍交戰時不用擔心背後遭襲,光這點就足以證明談判有其價值。

浦上が一番恐れていた事態は明智軍と宇喜多軍によって挟み撃ちに遭う事であり、少なくとも明智軍と交戦中に背後を襲われる心配が無いだけでも交渉の甲斐があったというものだ。

送走浦上的使者後,宇喜多仍繼續沉思。

浦上からの使者を帰した後も宇喜多は思索を続けていた。

他理解到日本的趨勢已傾向織田,無論如何抵抗,最終仍不得不接受敗北的事實。

日ノ本の趨勢は既に織田に傾いており、どれ程抵抗を続けようとも最終的には敗北を受け容れるしかないことは理解している。

東國整體已落入織田的統治之下,拖延時間只會越來越有利於織田,反而將自己逼入絕境,這是顯而易見的。

既に東国全体が織田の支配下となっている以上、時間を掛ければ掛ける程に織田を利することとなり窮地に追い込まれるのは自明だった。

想及自己至今所為的背叛與謀略,即便投靠織田家也決不會獲得信任,西國平定後恐將遭受改易(領地變更)而被削弱實力。

己が今までやってきた裏切りと謀略の数々を思えば織田家に下ったとて決して信用されず、西国平定の後には改易(かいえき)(領地替えのこと)を受けるなどして力を削がれるだろう。

煩惱中的宇喜多忽然頓悟:既然問題在於自己無法取得信任,便把家督讓給兒子隱居,向織田軍示範宇喜多家不可小覷,便可一切迎刃而解。

悩む宇喜多に突如として天啓が舞い降りた。己に信用が無いことが問題であれば、家督を息子に譲って隠居した上で宇喜多家は侮れないと織田軍に示せば万事解決するのだ。

宇喜多年逾五十,在戰國武將中算是長壽。為了留下家業,他毫不介意拿自己的性命作賭注。

宇喜多は御年五十を迎えており、戦国時代の武将としては長寿の部類である。家を残す為ならば己を賭けることに否やはない。

一旦下定決心,宇喜多浮現不屑的笑容,命小姓召集妻兒。

心が決まると宇喜多は不敵な笑みを浮かべ小姓に妻子を集めるよう命じる。

唯一令人擔憂的是嫡男秀家才七歲年幼,但他燃起鬥志,決心即便面對不可能勝利的戰爭,也要示範出不會輸的作戰方式。

嫡男の秀家(ひでいえ)が七歳と年若いことだけが懸念事項だが、勝てないいくさであろうとも負けない戦い方が出来ることを示してやろうと闘志を燃やすのだった。

時光倒回些許,在吉井川之戰中,有明智光秀在對岸凝望浦上軍潰退的情景。

時は少し遡り吉井川の戦いに於いて浦上軍が敗走する様を対岸から眺める明智光秀がいた。

雖以僅有的霰彈決定勝負,但仍缺乏渡河手段,更有其他難題接踵而至。

虎の子の霰弾(さんだん)を用いて勝利を決したものの、依然として渡河の手だてもない上に更なる難事が重なる。

原因在於撤退時浦上軍對作為壕溝使用的空堀打開了引入吉井川水的水閘而逃走。

それは撤退する際に浦上軍が塹壕として利用していた空堀に対して、吉井川の水を引き入れる水門を開いて逃走したことにあった。

這大概是為了阻遏的工作,然而對岸的光秀無法阻止,只能咬牙切齒地觀望。

恐らくは足止め工作なのだろうが、対岸にいる光秀にとってそれを阻止する手段などなく、歯噛みしながらも見守ることしか出来ない。

從派出的斥候得到的情報顯示,附近村莊的高瀬舟已被徹底徵用,一艘也沒剩下。

周囲に放った斥候によって得られた情報から、付近の村々からは徹底的に高瀬舟が徴発されてしまっており、一隻たりとも残されていないとのこと。

沒有人知道被集中徵用的高瀬舟去向,即便此刻重新製造也必然要被拖延相當長的時間。

集められた高瀬舟の行方を知るものはなく、今更建造しようにも相当な期間の足止めを食らう事は必須だった。

此外,對岸經浦上作為地障所挖固的塹壕,隨時間會化為泥淖,預計還會造成更多阻滯。

その上対岸は浦上の工作によって土を掘り固めて作られた塹壕が、時間と共に泥沼と化すため更なる足止めが予想される。

雖然彼此從不明說,但光秀視秀吉為競爭對象,不願落後於人,因此對這種拖延戰術感到頭痛。

互いに決して口には出さないもののライバル視している秀吉に後れをとりたくない光秀としては、この遅滞戦術に頭を抱えることとなった。

「從當地人那裡打聽來,吉井川並無橋梁,高瀬舟竟是唯一的渡河手段……」

「地元の者からの話では吉井川に渡された橋はなく、高瀬舟が唯一の渡河手段だったとは……」

「靠渡河或運輸為生的民眾陷入困窮,雖互相扶助,但這情況不可能永遠持續。」

「民達も川渡しや運送によって糧を得ていた者が困窮し、皆で扶助し合っているようですがいつまでも続きますまい」

「那就得去找被掠走的高瀬舟下落,總不能想像他們把船全毀了吧。」

「ならば略奪された高瀬舟の行方を捜さねばなるまい。よもや破壊しているとは思えぬが」

光秀權衡部下提供的情報,命令分出一些兵力到周邊搜尋。

光秀は配下から寄せられた情報を加味し、幾らか手勢を分けて周辺を探索するよう命じる。

同時也在思考若找不到高瀬舟時的渡河對策。

それと並行して万が一高瀬舟が見つからなかった場合の渡河手段についても思案していた。

用作砲兵的測距儀估算川寬,雖未達一百公尺,仍屬相當寬闊。

大砲用の測距儀を用いて川幅の概算を求めると、百メートルには及ばないものの相当な川幅であることが判明する。

到了這種距離已無法架設臨時橋樑,加之河寬且流速快,即使在下游也不可能抱著貨物游渡。

ここまでの距離となると仮設の橋を架けるようなことも出来ず、川幅が広くなっている以上は下流域だというのに流れも速いため荷物を抱えて泳ぐなど不可能だろう。

若真到無計可施,會考慮集木築筏並以繩連接成筏橋過吉井川,但缺乏穩定性,且所需木材從何處取得仍是問題。

本当に打つ手が無くなった場合は、木材を集めて筏(いかだ)を幾つも組んで縄で連結し、吉井川を渡す筏橋を考えるが安定性に欠ける上に必要となる木材は何処から調達するかという問題が残る。

或向當地居民打聽尋找較窄的渡河處,正當準備為重新造高瀬舟而做好被拖延的覺悟時,迎來了好消息。

地元住民に尋ねて別の川幅が狭い渡河地点を見出すか、本格的に高瀬舟建造の為に足止めを覚悟したところに朗報が届く。

在光秀等人所在位置上游數公里處,發現大量高瀬舟在裝上石塊等後沈入河床。

光秀達が居る地点より数キロメートル程も上流に遡ったあたりに、大量の高瀬舟が石などを積載させた上で川底に沈められているのが発見されたのだ。

就連浦上也不會奪走民眾維生的手段,判斷會影響日後統治,於是只是將高瀬舟藏起來。

流石の浦上とて民たちの糊口を凌ぐ手段を奪っては、今後の統治に支障が出ると判断して高瀬舟を隠すにとどめたというところだろう。

若募得居民協力把當作鎮錘的石塊移開,高瀬舟便能重新浮上水面,恢復原本功能。

住民たちの協力も募って錘(おもり)となっている石をどければ、再び高瀬舟は水面へと浮上して元の役割を果たしてくれそうだ。

就這樣,明智軍雖因浦上等人的潰敗被阻擋了近兩週,仍再度跨過吉井川開始進軍。

こうして明智軍は浦上たちの敗走から二週間近くの足止めを食らったものの、再び吉井川を越えて進軍を始めるのだった。

此時,向鳥取城駐紮的秀吉處外出偵察周邊的兩兵衛回營。彷彿配合此事,配備新式火槍的靜子軍兩個大隊也被派來了。

その頃鳥取城に陣取っていた秀吉の許へ周辺を調査に出ていた両兵衛が帰陣する。これに合わせたかのように新式銃を装備した静子軍の二大隊が派遣されてきた。

到目前為止單發式新式火槍逐漸被下放到各方面軍,但此次派遣的大隊所配備的新式槍是裝有所謂插彈器或剝彈夾等劃時代機構的連發槍。

今までから単発式の新式銃が徐々に各方面軍へと払下げされていたのだが、今回派遣された大隊が装備している新式銃は挿弾子もしくはストリッパークリップ等と呼ばれる画期的な仕組みが施された連発銃であった。

插彈器是指將步槍彈尾部卡入金屬製導軌裝填,拉動槍栓排莢後即可發射下一發的構造。

挿弾子とは金属製のガイドレールにライフル弾の尾部を噛ませるように装填し、ボルトを引いて排莢するだけで次弾が撃てるようになるというものだ。

以往使用黑色火藥的彈藥會在槍膛殘留燃燼等物,若不在每發之間清理槍管便無法發射下一發。

従来の黒色火薬を用いた銃弾であれば燃え滓等が銃身に残るため、一発ごとに銃身の掃除をしない限りは次弾を発射することが出来ないでいた。

然而在尾張開始製造無煙火藥之後,連發槍的實戰配備成為可能。順帶一提,擔任秀吉軍翻山路線的偵察兵所裝備的,是下放的單發式新式火槍。

ところが尾張に於いて無煙火薬の製造が始まったことで連発銃の実戦配備が可能となったのだった。余談だが秀吉軍の山越えルートを担う斥候達が装備しているのは払下げられた単発式の新式銃である。

儘管如此,因其性能遠勝火繩槍,故多配備於與敵交戰被俘獲可能性低的部隊,且對於遺失或損壞採取徹底管理。

それでも火縄銃とは比較にならない性能を誇るため、交戦して鹵獲される可能性の少ない部隊などに配備され、紛失や破損に関しても徹底的な管理がなされている。

即便只有五連發,其連射速度仍是傳統火繩槍無法比擬,鐵炮隊的壓制能力大幅提升。

たった五連発とは言え従来の火縄銃とは比較にならない連射速度であり、鉄砲隊の持つ制圧能力は飛躍的に伸びていた。

雖然各地已派間諜事先掌握情資,但在嚴峻戰局下,又有新戰力加入秀吉軍,毛利一方視之為威脅。

各地に間者を派遣して事前に情報を掴んでいたとはいえ、厳しい戦況のなか更なる戦力が秀吉軍に加わったことを毛利陣営は脅威として受け止めた。

事至此,毛利陣營才首次真切意識到秀吉的決心。

ことがここに至って初めて毛利陣営は秀吉の本気を思い知ることになる。

在戰況朝向秀吉軍有利發展之時,借用並非己方的靜子軍部隊,等同於將功勞讓給他人。

戦況が秀吉軍優位で推移している状況に於いて、自陣営ではない静子軍の部隊を借り受けるということは手柄を譲ることに等しいのだ。

也就是說,秀吉寧可把功勞讓給他人也希望早日收場,且被說服認為秀吉本人想參加今年預定的靜子繼承者四六的元服式(……)。

つまり秀吉は手柄を他者に譲ってでも早期決着を望んでおり、秀吉本人は今年予定されている静子の後継者たる四六の元服式に参加したいのだと思い込まされ(・・・・・・)た。

秀吉曾未能參加在京舉行的信長御馬揃之事,能否參加四六的元服式是秀吉無可否認的心願。

秀吉はかつて京で行われた信長の御馬揃えにも参加出来ておらず、四六の元服式には是が非でも参加したいというのはまごうこと無き秀吉の本音ではある。

「那麼,就滿足他們的期待,假裝從正面攻略毛利吧」

「さてさて奴らの期待に応えて、真正面から毛利攻略のフリをしようではないか」

毛利陣營的推測雖含有少許事實,卻未能掌握要旨。秀吉打算在年底前攻下毛利的本城吉田郡山城;被誤判的是靜子軍的運用方式。

毛利陣営の推測は若干の真実を含みながらも本質を捉えていなかった。秀吉は年内に毛利の居城である吉田郡山城を落とす気でいる。見誤っているのは静子軍の運用方法についてであった。

壓倒性的射程與連射能力確實可倚賴,卻不是秀吉要將靜子軍置於敵軍正面的用意。

圧倒的射程距離と連射能力による制圧能力は頼もしいのだが、秀吉は静子軍を敵軍の正面に立たせるきは無かったのだ。

「兄上!別只做表面功夫,若不真心打算從正面突破而行動,對方會察覺的」

「兄上! フリでは困ります。本気で正面突破するつもりで行動して頂かねば相手に気取られまする」

「我知道的啦!」

「わかっとるわい!」

對於弟弟秀長的吐槽,秀吉粗魯地回應。

弟である秀長の突っ込みに対して秀吉はぶっきらぼうに応じる。

鳥取城與毛利本拠地吉田郡山(こおりやま)城之間,從現在的鳥取縣到廣島縣直線距離超過一百公里。

鳥取城と毛利家の本拠地である吉田郡山(こおりやま)城との間には現在の鳥取県から広島県に掛けて直線距離で百キロメートル以上の距離が存在した。

因此無論秀吉如何全面侵攻,山陰地方的鳥取城與山陽地方的郡山城之間隔著險峻的中國山地,普遍認為不會構成迫在眉睫的威脅。

故に如何に秀吉が本格的に侵攻を始めようとも、山陰地方の鳥取城と山陽地方の郡山城とでは間に険しい中国山地を挟んでいるため差し迫った脅威にはならないと思われている。

然而出人意表,秀吉軍離開鳥取城後竟猛然取道山陰地方向西侵攻。

しかし皆の予想に反して秀吉軍は鳥取城を出ると猛然と山陰地方を西へと侵攻する進路を取り始めたのだ。

由於無人預料會翻越中國山地,故預想秀吉此舉會經周防國(今山口縣)轉而向東進入安藝國(今廣島縣),與明智軍夾擊。

誰しも中国山地の山越えを予想していないだけに、秀吉のこの動きは周防(すおう)国(現在の山口県)を経由して安芸(あき)国(現在の広島県)へと東進し、明智軍と挟み撃ちにすると予想された。

「那麼,想要把毛利那群人震懾住,最初很重要。告訴靜子殿的軍隊,首戰就交給你們,自由進攻即可。」

「さて、毛利どもを震えあがらせるには最初が肝要。静子殿の軍に伝えよ、初戦はお任せいたす自由に攻められよとな」

秀吉據說已從靜子得知該鐵炮大隊能以單一編制獨立執行作戰。於是決定先觀察其戰力,若如預期則能令毛利震懾,若不理想則由自己接手掌握主導權。

秀吉は静子から鉄砲大隊が単体で独自の作戦行動を遂行できるだけの能力があると聞かされていた。ならば最初はお手並みを拝見し、期待通りであれば毛利が震えあがることになり、期待外れであれば以降は自分が主導権を握れば良いと考えた。

無論結果如何對秀吉都無損,兩兵衛也同意這可作為試金石,衡量在東國所稱霸的那股新式槍部隊實際戰力如何。

どちらに転んでも秀吉にとって損はなく、東国に於いて猛威を振るったとされる新式銃部隊がどの程度のものかを測る試金石になると両兵衛も秀吉の考えに賛同する。

尤其黑田官兵衛僅僅從傳聞知道靜子軍開發的新式槍,懇請親眼見識那套成為擊潰武田軍轉機的裝備實力。

特に黒田官兵衛は静子軍が開発した新式銃については噂でしか存在を知らず、武田軍を打ち破る契機となった装備の実力をこの目で見てみたいと懇願していた。

「黑田殿可真是幹勁十足。即便為了觀察新式槍,軍師親自上前線也真是讓人頭疼。」

「黒田殿が張り切っておられましたな。如何に新式銃を見る為とは言え、軍師自らが最前線に赴くとは困ったものだ」

目前擔任秀吉軍最前線的不只有靜子軍,隨行的兩兵衛所屬秀吉本隊也加入其中。

現在秀吉軍の最前線を務めるのは静子軍だけではなく、両兵衛が帯同している秀吉軍の本隊も加わっていた。

對敵軍來說,掛著秀吉的馬印千成葫蘆,因此能理解這是秀吉親自率先的大規模侵攻。

敵軍からすれば秀吉の馬印(うまじるし)である千成瓢箪(ひょうたん)が掲げられているため、秀吉本人が先陣を務める大侵攻だと理解できた。

離開鳥取城後,秀吉軍最先前往的是伯耆羽衣石(うえし)城。

鳥取城を出た秀吉軍が最初に向かったのは、伯耆(ほうき)羽衣石(うえし)城であった。

羽衣石城由南條氏代代統治,數年前病死的前任當主南條宗勝(そうしょう)之後,嫡男基續(もとつぐ)繼任為當主。

羽衣石城は南条氏が代々治めており、数年前に病死した先代当主の南条宗勝(そうしょう)の後を継いで嫡男であった基続(もとつぐ)が当主を務めている。

基續認為前任之死是毛利的陰謀,曾因秀吉的策反而轉投織田一方。

基続は先代の死を毛利の謀略によるものだと考えており、秀吉の調略に応じて織田方についたという経緯があった。

因此秀吉軍在羽衣石城補給後便直接通過繼續西進,直到能目視到伯耆蛇山(じゃやま)城的距離。

このため秀吉軍は羽衣石城で補給を受けるとそのまま素通りして西進を続け、伯耆蛇山(じゃやま)城を目視できる距離にまで至る。

與因期待靜子軍活躍而熱絡的秀吉軍相較,靜子軍本身則十分冷靜。

静子軍の活躍を期待して盛り上がりを見せる秀吉軍とは対照的に静子軍は冷静そのものである。

雖然一見到城池便會立刻攻入,但他們先派出先遣隊,花數日進行情報蒐集。

城を見れば即座に攻め入るかと思いきや、事前に先遣部隊を派遣した上で数日を掛けて情報収集を行っていた。

作為城主的塩見氏見到來襲的秀吉大軍後決意固守,不打算回應投降的呼籲。

城主である塩見氏は攻め入ってきた秀吉軍の大軍を見て籠城を決め込み、降伏の呼びかけには応じようとしていない。

就這樣,按原定計畫進行攻城,而擔任先鋒的是靜子軍。

こうして当初の予定通り城攻めが行われることとなり、その先鋒を務めるのは静子軍となった。

他們依據事先蒐集的情報前往現地,找出監視薄弱之處。

彼らは事前に収集していた情報を元に現地に赴いて監視の目が薄い箇所を割り出す。

將那些情報整合並擬定作戰後,他們向一直關注其行動而隨行的黑田官兵衛報告。

それらの情報を統合して作戦を立案すると、彼らの動向を気にして帯同していた黒田官兵衛に向かって告げた。

「我們從現在起進入作戰行動。作戰的細節無法透露,但數日內定會攻下城池」

「我らはこれより作戦行動に入る。作戦の詳細は語れぬが、数日中にも城を落としてみせよう」

接著官兵衛便明白到他們並非徒有其言。

そして官兵衛は彼らが口だけではないことを知ることになる。

他們實在相當穩健,將部隊分為正面主攻的本隊與執行佯攻和奇襲的遊擊部隊,向蛇山城發起攻擊。

彼らは実に堅実であった。部隊を真正面から攻略に挑む本隊と、陽動や奇襲を行う遊撃部隊とに分けて蛇山城へと攻め入った。

蛇山城擁有以土塁環繞的廣大曲輪(くるわ),從主郭可以將靜子軍的侵入一覽無遺,但他們毫不畏懼,仍攻上主郭。

蛇山城は土塁を巡らせた広大な曲輪(くるわ)を備えており、主郭からは静子軍の侵入が丸見えになっているのだが彼らは臆することなく主郭へと攻め上がる。

不過城的正面大手位於東側,因此他們從作為搦手(からめて)口的西側侵入曲輪。

ただし城の正面口に相当する大手側は東側に存在するため、搦手(からめて)口となる西側から曲輪へと侵入した。

他們利用長射程與貫穿力接連使防禦設施沈默,當新式火槍不足以一擊致命時,便將擲彈筒進一步小型化,改成士兵可攜帶的手榴彈來應對。

彼らは長射程と貫通力を活かして次々と防衛設備を沈黙させ、新式銃では決定打に欠ける場面においては擲弾筒を更に小型化して兵士が携帯出来るようにした手榴弾で対応する。

拔出安全栓並確認導火線開始燃燒後投擲,約十秒後爆炸的東西,對付矢狭間(やはざま)等有充分效果。

安全ピンを引き抜き導火線の燃焼が始まったのを確認してから投擲し、約十秒後に炸裂するという代物だが矢狭間(やはざま)等に対しては充分な効果を上げた。

靜子軍本隊在鐵製框架內張上木板,然後編織那種太粗以致難以稱作玻璃纖維的材料並以樹脂固定成盾,躲在其後向前推進。

静子軍本隊は鉄製の枠組みの内側に木製の板を張り、その上にガラス繊維と呼ぶには太すぎる代物を編んで樹脂で固めた盾に身を隠しながら前進する。

他們攜帶的盾雖然相對輕便,卻能擋住火繩槍的子彈、箭與投石,防守方因此瞬間陷入窮途。

彼らの携帯する盾は比較的軽量ながらも火縄銃の弾丸や矢、投石を通さないため防衛方はみるみる窮地へと追い込まれていった。

「哎呀這實在沒預料到。城池被這麼容易攻下,真是讓我們沒面子了不是嗎?」

「いやはやこれは想定しておらなんだ。こうも容易く城を落とされては、こちらの面子が立たぬではないか」

聽到靜子軍取得的戰果,秀吉只能笑笑。日之本的城郭並未預想爆炸物,通常以設置型陷阱結合火槍、箭及投石等來擊退敵人。

静子軍のあげた戦果を聞いた秀吉は笑うしかなかった。日ノ本の城郭は爆発物を想定しておらず、設置型の罠に鉄砲及び矢や投石などを組み合わせて敵を撃退するものだ。

靜子軍則正面以性能碾壓,奪取勝利。

それを静子軍は真正面からスペックで殴りつけて勝利をもぎ取った。

以投擲爆炸物覆蓋防守方藉遮蔽物躲藏進行遠距離攻擊的優勢,城門與櫓等防禦設施中木製者遭受壓制射擊而沈默,石造者則被油壺或手榴彈投擲而無力化。

遮蔽物に身を隠して遠距離攻撃が出来るという防衛側の利点を爆発物の投擲で覆し、城門や櫓などの防衛設備も木製の物は制圧射撃を食らって沈黙し、石造りであれば油壺や手榴弾の投擲によって無力化してしまうのだ。

近距離看到這些的黑田官兵衛目瞪口呆,但秀吉卻有閒情一笑置之。

これらを間近で見ていた黒田官兵衛は開いた口が閉じられない様子であったのだが、秀吉はそれらを笑って流すだけの余裕がある。

對他而言途中的小功無關緊要,最終只要比光秀先到達郡山城並攻下毛利即可。

彼にとっては途中の小さな戦功など問題ではなく、最終的に光秀よりも前に郡山城へと辿り着き毛利を攻め落とせば良いと考えていた。

「我們的行動會使毛利不僅要防備西側,還要準備東側的攻擊。儘可能逼他們緊張,給我衝上去!」

「我らの動きによって毛利は西側だけでなく東側からの攻撃にも備える必要がでるだろう。精々奴らを焦らせるために攻めよせるぞ!」

如同秀吉所言,毛利方面為了探查山陰的狀況,開始加強對周防國的防備以呼應秀吉的動作。他們並不知道那正是秀吉設下的陷阱。

秀吉の言葉通り、毛利側は秀吉の動きに呼応するように山陰の様子を窺うべく周防国への防備を厚くするよう行動を取り始めた。それが秀吉の罠であるとは知る由もない。