戦国小町苦労譚
飲兵衛の習性
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静子邸の一角、風通しが良くて日陰になりやすい場所に酒蔵が並んでいる。
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何故か頻繁に賓客(ひんきゃく)が訪れる為、饗応(きょうおう)の席に供される酒類は欠かすことができない。
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静子自身が酒蔵を運営しており、また積極的に自領内へと技術開示を行っていることから献上される大量の酒までもが納められていた。
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彼女自身は酒を飲めないことも無いのだが、極めて酒癖が悪いため信長より直々に禁酒令を出されており、静子がこれらを消費することはまずない。
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となれば酒蔵に仕舞われた酒たちが死蔵されているのかと言えば否である。
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静子邸に起居する者の中には無類の酒好きがおり、そんな飲兵衛(のんべえ)達は時折酒蔵から酒を拝借するのだった。
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「今宵の酒は何にしよう」
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そんな飲兵衛の一人、慶次が提灯(ちょうちん)片手に蔵内を物色している。
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「慶次殿、これなぞ如何(いかが)か?」
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飲兵衛の二人目である兼続(かねつぐ)が一つの酒樽を指さす。その指先にある樽は大柄な慶次をして一抱え以上もあり、高さも膝上に達する堂々とした物だ。
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それは四斗(と)樽(たる)と呼ばれる大きな酒樽であり、その容量は名前の通り四斗(一斗は十八リットルであり、この場合七十二リットル)に達する。
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我々が普段目にすることの多い一升瓶換算で四十本分と言えば、その大きさが想像できるだろう。
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静子邸の酒蔵には概ね四種類の酒樽がサイズごとに並べられており、小さい方から五升(しょう)樽、一斗樽、二斗樽、四斗樽となる。
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酒造産業振興及び醸造研究のため、静子は多くの酒を買い求めてもおり、この蔵内には相当数の清酒及び濁り酒が納められていた。
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「『七郎坊(しちろぼう)』か……それは先週飲んだし、今日は濁り酒じゃなくて清酒が飲みたいな」
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「それなら『鬼の枕(まくら)』か、それとも『飛騨(ひだ)の雫(しずく)』あたりが手頃だろう」
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慶次の言葉を受けて兼続が思いつく清酒の銘柄を挙げていく。
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七郎坊とは酒造りの為に名水を求めて深山へと分け入った蔵元(くらもと)(酒蔵のオーナー)が遭難し、あわや命を落としかけた際に彼を救った天狗に感謝をして付けた名前である。
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空腹と脱水症状で死を待つばかりだった蔵元に水と食料を分け与え、清水が湧き出る場所を教えた上に里まで送ってくれた親切な天狗が名乗った名前が七郎坊だったことに由来する。
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その折に山鳥と山菜とで作り、振る舞ってくれたこの世の物とは思えないほど香(かぐわ)しく、辛くて汗をかきながらも食べ続けてしまった絶品の鍋が忘れられなかったことから『七郎坊』の徳利(とっくり)は鍋の色である黄色に染められているという。
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余談だが『鬼の枕』にも逸話があり、蔵開きの際に招かれた長可(ながよし)が甚(いた)く気に入って痛飲し、空き樽を枕に眠りこけてしまったことから鬼武蔵が枕にした銘酒として知られるようになり、それに気を良くした蔵元が付けた名前となる。
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飛騨の雫に関してはそういった由来などは無いのだが、清酒を広く庶民でも飲めるようにしたいという蔵元の意思によって価格を安く抑えて作られた銘柄である。
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精米歩合(ぶあい)(玄米から表層部を削って残った米の割合、数字が少ないほど雑味が少なくなる代わりに捨てる部分が多いため高価になる)が七割と高いため、やや粗削りだが安価であり広く庶民から愛される清酒となっている。
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「しかし静っちは自分じゃ飲まないのに、良くもこれだけ酒を集めるもんだな」
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『鬼の枕』の酒樽を前に慶次が呟く。
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静子の酒蔵には実に多種多様な酒が揃っており、果ては時の帝に献上したほどの銘酒も眠っている。
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「おいおい! 天覧品評会(天皇ご臨席での品評会)で最優秀を獲って五位(昇殿を許される冠位)を賜ったとされる献上酒の『静誉(しずかほまれ)』まであるぞ。一口飲んでみたいが、開けたら最後だな……」
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「違いない。樽が空っぽになるまで飲む自信がある」
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尾張で清酒造りが始まって以来、幾度も酒の品評会が行われてきたが、昨年は帝のご臨席があっての品評会が開催されたのだ。
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その品評会で最優秀を獲得した清酒はその名を『静(しずか)』と号していた。
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これは静子が蔵元を務める酒蔵にて、杜氏(とうじ)(酒蔵で酒造りをする人たちの長)が過去一番の出来だと自負し、主人の名を一文字拝領して『静』としたという経緯がある。
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空気が澄み渡り、シンと静まりかえった冬の早朝を思わせるような透明感のある端麗かつ辛口な口当たりには審査員を始め、味見を買って出た帝すらをも唸らせたという逸品だ。
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満場一致で最優秀となった上に、帝より五位を賜ったことから銘を『静誉』と改め、酒好きの間では恐ろしい値段で取引されているという。
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二人の飲兵衛にとっては垂涎(すいぜん)の的なのだが、彼らはかつて信長の為に特別に用意された酒を飲み干してしまったという前科がある。
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その結果として三か月に亘る禁酒令を受けた二人は、周囲が旨い飯を食って酒を飲んでいるのに指を咥えているしかない苦しみを体に刻み込んだ。
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あの地獄のような三か月を思えば、二の足を踏んでしまうのも仕方ないだろう。
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「いくら銘酒といえども、酒蔵開放の折には振る舞い酒となるだろう。それまでの我慢よ」
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「今年仕込まれた新しい酒が入ると、古いものから順に入れ替えとなるからな。その時はあらゆる酒が振る舞われるゆえ、その時まで唾(つば)を付けておくとしよう」
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如何に長期保存に適した酒蔵であろうとも、流石に保存期間が長くなるにつれて味が落ちてしまう。
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一般的に日本酒はワインやウイスキーのように、何年も熟成を重ねて楽しむようにつくられておらず、おおむね一年程度で飲み切ってしまうのが目安とされる。
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それゆえ静子は一年ごとに古い酒と新しい酒を入れ替える酒蔵開放の日を設けていた。
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この日に限っては静子邸で働く人々や醸造所の蔵人(くらびと)(杜氏以外の酒職人)を始め、外部の人々すらも招いての振る舞い酒が供されるのだ。
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当然のように静子の主君である信長も招かれるのだが、彼は酒よりも甘いものを好むため兼続たち越後勢や藤次郎たち伊達勢などにも貴重な酒が回ってくるという訳だ。
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「よし、他の酒好きに見つかりにくいように樽を端に寄せて裏を向けておこう!」
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「それは名案! では今日はこの『東(あずま)の司(つかさ)』にしようか」
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「ようし、それじゃ徳利に移すぞ」
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そう口にするやいなや慶次は『東の司』と銘打たれた樽を開けて、持ち込んだ柄杓(ひしゃく)と漏斗(ろうと)を使って酒徳利(さかどっくり)に移し替える。
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静子の馬廻り衆は皆酒好きなのだが、そこに兼続を加えた四人は度々酒と肴(さかな)を持ちよって酒宴を開くのだ。
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二人一組となってそれぞれに酒班と肴班に別れて調達し、それを持ちよって宴が催されるのが定例となっていた。
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「旨い酒と肴、これさえあれば生きてゆける」
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「越後でも清酒を造れぬものだろうか……織田殿が天下統一をなさったら、静子殿にお願いしてみよう」
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「遊んで食べて寝る、という生活が終わるな。越後に戻ったら酒造りに精を出してみてはどうだ?」
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「泰平の世となるならば、それも良いやも知れぬ」
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「おっと、もう満杯か」
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酒徳利が満たされたのを見て慶次が手を止めた。
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そして床に置かれた酒徳利は六つ(・・)、それらを纏めて持参した縄で首を縛って腰に結わえ付ける。
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それなりの重量が有るというのに軽い足取りで出口へと向かう慶次を追って、兼続も腰に四つ(・・)の徳利を括り付けて後に続いた。
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「今宵も楽しい夜酒と洒落こもう」
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慶次の楽しげな声に兼続が頷く。翌日、四人とも酔い潰れて昼まで寝過ごしたのは語るまでもない。