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戦国小町苦労譚

1577年 九月下旬

進入九月,東國情勢出現新動向。首先,織田家的重臣柴田與被稱為越後之龍的上杉謙信率領的聯合軍,已開始向北條氏的居城小田原城進軍。

九月に入り、東国情勢に新たな動きが加わった。まず織田家の重鎮柴田と、越後の龍こと上杉謙信が率いる連合軍が北条氏の居城である小田原城へと進軍を開始している。

對此動向,北條試圖與沿途受其影響的國主聯絡,藉由零星襲擊削弱柴田—上杉聯合軍的戰力。

この動きに対して北条は、柴田・上杉連合軍の進路上に存在する北条影響下の国主に働きかけ、散発的な襲撃を掛けることで戦力を削(そ)ごうと試みた。

然而對上壓倒性的大軍,寡兵的襲擊未能取得顯著成效,僅略微拖延了進軍。

しかし圧倒的大軍に対して寡兵の襲撃は然したる成果を上げることなく、進軍を僅かに遅らせるだけに留まってしまう。

北條能對織田軍佔有優勢至此為止,因為信忠軍已正式駐紮里見領,並開始重建佔領了的勝山湊與勝山城。

そして北条が織田軍に対して優位に行動できたのはここまでとなった。信忠軍が里見領に本格的に駐留し、占拠した勝山湊及び勝山城を再建し始めたためである。

關於里見家的居城佐貫城,則由靜子的心腹可兒才藏率領的才藏軍完全封鎖。才藏軍在佐貫城內的里見固守不顧,轉而在陸上展開,隨即搭起臨時陣地,轉眼間便築起封鎖街道的支城。

里見家の居城である佐貫城に関しては、静子の腹心である可児(かに)才蔵が率いる才蔵軍のみにて完全に動きを封じ込めていた。佐貫城にて籠城する里見を尻目に陸上へと展開した才蔵軍は、即席の陣を張ったかと思えば瞬く間に街道を封鎖する支城を造り上げたのだ。

見到里見家の窘境,佐竹軍趕來增援,卻遭才藏軍襲擊潰散,狼狽逃入佐貫城,反而增加了城內的負擔。

里見家の窮状を見かねた佐竹軍が援軍として駆けつけるも才蔵軍の襲撃を受けて潰走し、這(ほ)う這うの体(てい)で佐貫城へと逃げ込み負担を増やす結果となっている。

由此原本以個人勇名聞名的才藏,也證明了其作為指揮官的才幹,才藏的名聲因此更為高漲。

これにより元より個人として勇名を馳せていた才蔵が、指揮官としても有能であることを知らしめることとなり、才蔵の名はより一層高く評価されることとなった。

當然,若佐竹家與里見家聯合對才藏軍發動全面戰,無論才藏軍多麼精銳,仍難免被壓迫至劣勢。

無論、佐竹家と里見家が一丸となって才蔵軍に総力戦を挑めば、如何に才蔵軍が精強とは言え劣勢に追い込まれることは否めない。

然而他們僅因共同的敵人織田家而合作,原本互相對立的兩家要揭露底牌並真正協同並不容易。

しかし、織田家と言う共通の敵を抱くが為に協力し合っているだけで、元々反目し合っていた両家が手の内を晒して互いに連携することは難しい。

而自從才藏軍築起支城後,原本從海上提供支援的信忠軍艦隊便不見了蹤影。

また才蔵軍が支城を構築して以降、海上より支援をしていた信忠軍の艦隊は姿を消している。

因此有人輕視這支孤立的寡兵,認為不用出動全軍即可剿滅,這進一步加劇了彼此無法協力的傾向。

こうして孤立した寡兵となった才蔵軍を叩くに当たって全軍を出すまでも無いと侮っていることも、協力し合えない傾向に拍車をかけていた。

另一方面,關於奧州(今之福島、宮城、岩手、青森四縣與秋田縣部分地區)的情勢,北條家也向蘆名、伊達、最上三家下達了請求,要求派遣援軍。

一方、奥州(おうしゅう)(現在の福島・宮城・岩手・青森の4県と秋田県の一部)の情勢と言えば蘆名(あしな)、伊達(だて)、最上(もがみ)家に対しても北条家より援軍を派遣するようにとの要請が届いていた。

三家的反應遲緩。本來便有『依附大樹』之意,與東國霸主北條氏結盟取悅,面對織田家如暴風般的局勢,大樹即將折斷,愚蠻地派兵援助的意義薄弱。

これに対する三家の動きは鈍かった。元より『寄らば大樹の陰』とばかりに、東国の覇者たる北条氏に阿(おもね)る意味合いでの同盟関係であり、織田家という嵐によって大樹が折れんとしている現状において、馬鹿正直に援軍を送る意味合いは薄い。

然且,完全不派援軍亦是敗招,未履行義理將成為他家發動攻擊的藉口。

とは言え、全く援軍を出さないというのも悪手となる。義理を果たさなかったことを大義名分として、他家が攻撃を仕掛ける口実を与えることになるためだ。

於是三家雖消極但仍決定派遣援軍。順帶一提,三家並未步調一致,蘆名家率先答應派兵。

こうして三家ともに消極的ながら援軍を派遣する運びとなる。因みに三家が足並みを揃えることはなく、蘆名家が真っ先に援軍の派遣に応じた。

其背景在於以前蘆名家曾派間諜帶密書往織田家,該間者被北條家擒獲,導致信任關係動搖,蘆名有意挽回失分。

この背景には、以前蘆名家が織田家に対して密書を持たせた間者を送った際に、北条家の手によって捕らえられたがため信頼関係が揺らぎ、失点を取り返そうという意図がある。

接著行動的是最上家,因親伊達派反對對北條派兵,故只派出最少人數。

次に動いたのは最上家であり、親伊達派が北条家への援軍派遣を反対したがために最低限の派兵数となった。

而動作最慢的伊達家,則以可稱履行義理的最小限度派遣回應,其陣容明顯顯示出想與北條保持距離。

そして最も動きの遅かった伊達家は、義理を果たしたと言える最小限度の派遣であり、明らかに北条家から距離を置きたがっていることが窺える陣容であった。

「嗯,各國情勢大概就是這樣吧」

「と、各国の情勢はこんな感じかな」

靜子在她辦的學校一室向聚集之人說明東國情勢。

静子は彼女が運営する学校の一室に集めた面々に対して東国の情勢を説明していた。

圍坐桌側對面,拼命在桌上攤開的帳本記錄者有四六、真田信之、伊達藤次郎(後為政宗)、上杉景勝、直江兼續等,以及織田家家臣所送出的子弟們。

静子と卓を挟んで向かい合い、各自が机の上に広げた帳面に必死に書き留めているのは四六や真田信之(のぶゆき)、伊達藤次郎(後の政宗)、上杉景勝、直江兼続を筆頭に織田家の家臣たちが送り出した子女が並ぶ。

雖然省略了機密或未經查證的低可信度情報,但靜子沿著黑板上大幅板書的日之本地圖解說,仍然易於理解。

機密情報や裏取りの為されていない低確度情報は割愛しているものの、それでも黒板に大きく板書された日ノ本の地図をなぞりながらの静子の解説は解り易かった。

在國許接受為成為國主之教育的景勝注意到,靜子毫不吝惜透露的情報擁有驚人的量與精準度,身處尾張卻能掌握如此情報的她的能力令他戰慄。

国許に居た折に国主となるべく教育を施されていた景勝は、静子が惜しげもなく開示する情報が凄まじい情報量と精度を持っていることに気付き、尾張に居ながらにしてこれだけの情報を把握しうる彼女の能力に戦慄する。

「我等伊達家當然,最上與蘆名也明顯不願出兵。是否因為認為北條在奧州必敗?」

「我が伊達家は勿論、最上や蘆名も明らかに兵を出し渋っておりまする。奥州では北条が敗れると判断したのでしょうか?」

藤次郎扯了坐在旁邊的四六衣袖,詢問他所思。四六的看法是,伊達家為示對織田家的恭順,才僅以形式派出援軍。

藤次郎は隣に座っている四六の袖を引っ張り、己が思うことを訊ねた。四六の見解では伊達家は織田家に恭順を示すがため、形だけの援軍を送っているのだと考える。

對於其餘兩家的動向,認為他們以保存兵力、隨時伺機統一奧州為首要,僅履行不會在北條倖存時招致其忌諱的最低義理。

残る両家の動きに関しては、隙あらば奥州を統一せんとするがための兵力温存を第一とし、万が一にも北条家が生き残った際に睨まれない程度の義理を果たしていると見た。

伊達家明確向織田家表明旗幟,而其餘兩家則呈現難以不被稱為投機取巧之態度。

伊達家が旗幟(きし)をはっきりと織田家に示したのに対し、残る両家は日和見主義と言われて仕方のない態度となっている。

在戰國時代尋求生存,是像伊達家那樣大膽押注,還是視情勢靈活應變,哪個較優至結果揭曉前難下定論。

戦国の世に於いて生き残りを模索する上で、伊達家のように大きく博打に出るか、それとも情勢を見つつ臨機応変に動くのかのどちらが良いかは蓋を開けてみるまで判断できない。

即便如此,信長偏好伊達家的果敢,對那兩家視風向而動之評價可想而知。

それでも信長は伊達家の潔さを好み、風見鶏を決め込む両家に対する評価は推して知るべしだろう。

「依我看來北條氏無勝算,但既然打著反織田旗號呼籲結盟,斷不可能在未交鋒一次就向織田投降。」

「私の見立てでは北条氏に勝ち目など無いが、反織田を掲げて同盟を呼びかけた以上、一度も矛を交えることなく織田に下るなどできようはずもない」

「那麼北條會在交戰一場後,伺機求和嗎?」

「それでは北条は一戦交えた後に、頃合いを見て和睦を狙っているのでしょうか?」

「即便如此,上樣接受和睦的可能性極低。根本沒有理由容留北條。」

「仮にそうだとしても、上様が和睦を受け入れられる可能性は極めて低い。何せ北条を生かしておくだけの理由が無い」

「但是北條的居城小田原城以難攻不落著稱。即便是若樣(指信忠),恐怕也非易事……」

「しかし、北条の居城である小田原城は難攻不落で知られております。如何に若様(信忠のこと)とて一筋縄ではゆかぬと思うのですが……」

「誠然東國雄豪北條氏不會輕易滅亡,但終究須分出勝負,如今正是良機。」

「確かに東国の雄と名高い北条氏がそう易々と滅びはせぬだろう。しかし、それでもいずれ雌雄を決さねばならぬ。そして今こそがその好機なのだ」

「喂喂,兩位此處辯論也無濟於事。藤次郎君想必關心北條的前途,但閒話就到此為止吧。」

「まあまあ、お二人ともそれはここで議論しても詮無きこと。藤次郎殿としては北条の先行きが気になるとは思いますが、私語はその辺になされよ」

辯論似乎過於激烈,信之制止了正從私語變成非議的四六與藤次郎。雖非學校講課,但由領主靜子向眾人說明情勢的場合,兩人向周遭致歉後閉嘴。

議論が過熱したためか、内緒話の範疇(はんちゅう)を脱しつつあった四六と藤次郎との会話を信之が制止する。学校の講義でこそ無いものの、領主である静子から一同に情勢を伝える場であったため、二人は周囲に詫びつつ黙った。

「我知道四六與藤次郎君交好,卻沒想到他們竟也認識源三郎君(就是信之)。」

「四六と藤次郎君が仲良くしているのは知っていたけれど、源三郎君(信之のこと)とまで面識があるとは思わなかったよ」

「我常泡在圖書室,自然有不少機會遇到二位。」

「私は図書室に入り浸っておりますれば、お二人と出会う機会もそれなりにございます」

信之認為能在靜子宅邸生活是幸運,自從住在靜子領後,他能接觸到在甲斐生活時難以想像的知識。

信之は己が静子邸で生活できていることを幸運だと捉えていた。静子領で暮らすようになってからは、甲斐での生活からは考えられないような知識に触れることが出来るのだ。

他完全成為圖書室的主人,沉迷藏書、沉浸思索,日復一日;而他的親弟信繁(後為真田幸村)則與兄截然不同,偏好鍛鍊肢體。

すっかり図書室の主と化し、蔵書を読み耽(ふけ)っては思索に浸る毎日を送っている。対して彼の実弟である信繁(のぶしげ)(後の真田幸村)は兄と対照的に体を動かすことを好んだ。

儘管如此,他們仍認為讀書很重要,不會怠忽學業,但與學校的體育或相撲般的熱情相比,總給人稍遜一籌的印象。

それでも勉学は重要と捉えており、学業を疎(おろそ)かにはしないものの、学校の体育や角力への情熱と比べると一段劣ると言った印象となる。

信之性情沉靜好書,且嗜好俳句,偏向文化人;相對的信繁性格如竹破般直爽,社交廣闊,朋友眾多,每日都弄得滿身泥點才回來。

物静かで書を好み、俳句も嗜(たしな)む文化人的な信之、対する信繁は竹を割ったような性格であり、社交的で友人も多いため毎日泥だらけになって帰ってくる。

作為父親的昌幸對於兩人如此截然不同的極端性格感到困惑,但仍不試圖強行矯正子女,任由他們隨性發展。

親である昌幸としては両極端過ぎて困惑するものの、それでも己の子供に対して性格の矯正をしようなどと思わず好きにさせていた。

信之身邊的家臣曾抱怨昌幸偏愛弟弟信繁時,他回應道:「父上平日耗心於探他人之腹。若信繁那無表裏的爽朗能成為父上的療癒,則此乃美事也。」

「父上は常日頃より他者の腹を探ることに腐心しておられます。表裏の無い信繁の快活さが父上の癒しとなるのならば、それは良きことでしょう」

當信之的家臣對昌幸只疼愛弟弟信繁提出苦言時,他所還的一番話就是如此。

信之付きの家臣から、昌幸が弟である信繁ばかりを可愛がっていると苦言を呈された際に、彼が返した言葉がこれである。

家臣們理解到,若論能以退一步的立場俯瞰全局,真正深受父親才幹影響的其實是信之,於是羞於先前的無知而收回了前言。

常に一歩引いた立ち位置から状況を俯瞰(ふかん)して見ることが出来るという意味では、父親の才能を色濃く引き継いでいるのは信之なのだと理解した家臣たちは、己の不明を恥じて前言を撤回している。

事實上,信之對昌幸的態度並無不滿,反而感謝能在不被過度干涉下自由學習。

事実として信之は昌幸の態度に何ら不満を覚えておらず、過剰に干渉されることなく好きに学ばせて貰えていることに感謝すらしていた。

昌幸也信任信之的聰明與沉思,對其放心無虞,因此才把更多需要耗心的事與時間放在信繁身上,卻未意識到這給周遭帶來了誤會。

父である昌幸としても信之の聡明かつ思慮深い処を信頼しており、その分手の掛かる信繁に時間を割いているだけなのだが、それが周囲に誤解を与えているとは思い至っていない。

「佐竹出兵援助里見,恐怕是藉一次交鋒來分析彼我戰力,同時盡對北條的義理。若是如此,察覺到戰力懸殊的佐竹或許會轉而與我方接觸也未可知。」

「佐竹が里見に援軍を出したのは、恐らく一度矛を交えて彼我の戦力を分析すると同時に北条への義理を果たすためでしょう。ならば、彼我の戦力差を思い知った佐竹はこちらへ接触してくるやも知れませんな」

由於四六與藤次郎的辯論也成為會中眾人之關注焦點,靜子便宣布接下來為自由時間,囑咐各自隨意討論並靜觀其變。

四六と藤次郎との議論は、一堂に会した皆の関心事でもあったため静子は以降を自由時間とし、各自が好きに議論するように言い渡してその様子を見守ることにした。

接著本該早前勸諫過兩人的信之率先發言,向四六與藤次郎闡述對佐竹動向的看法,於是各處小團體開始激烈針鋒相對,討論聲此起彼落。

すると先ほど二人を諫(いさ)めたはずの信之が真っ先に口を開き、佐竹の動向に関する意見を四六と藤次郎に述べたことを皮切りにそこら中で小集団同士が侃々(かんかん)諤々(がくがく)の様相を呈し始める。

平日以傾聽他人為先、不善強烈表達己見的四六,面對同年代的論客也展開了積極的辯論。

普段は他者の話を聞くことを優先し、強く己の意見を主張しない四六も同年代の論客を相手に積極的な議論を繰り広げている。

稍長的信之、正從孩童走向成年之際的四六,以及仰慕這些前輩的藤次郎,雖立場各異,卻互相影響,這種交流在靜子領以外是絕無可能發生的。

やや年長である信之と、子供から大人へと向かいつつある四六、そんな兄貴分たちを慕う藤次郎とそれぞれに立場は違うものの、静子領以外では絶対に接することの出来なかった影響を受け合っていた。

「一切盡在靜子大人的掌心之內,似乎?」

「全ては静子様の掌(たなごころ)の内、ですかな?」

景勝對正在微笑觀望那三人的靜子發話。若被問及是否刻意如此安排,靜子只能苦笑——她其實只是心想若能如此便好了。

そんな三人の様子を微笑ましく見守っている静子に、景勝が声を掛ける。狙っていたかと問われれば、そうなれば良いなぐらいに考えていた静子としては苦笑するしかない。

過去的四六多半閉藏在自己的殼中,說不上擅長人際交往。

今までの四六は己の殻に閉じこもりがちであり、お世辞にも人付き合いが良いとは言えなかった。

若只是普通孩子此性情無傷大雅,但若要成為靜子的繼承人就麻煩了。為政者必須能對即便厭惡如蛇蝎的人也以笑容交涉,若只以自己喜歡的人圍繞身邊,早晚會在領地運營上陷入僵局。

普通の子供であれば特段問題ない性向だが、静子の後継者たらんとするならばそれでは困る。為政者とは蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っている相手とも笑顔で交渉できねばならず、己の周囲を気に入った人間だけで固めれば遠からず領地運営に行き詰まる。

但先天性格非口頭一兩句教誨就能改變,正當思索對策之時,藤次郎出現了。

とは言え持って生まれた性格は、口で言って聞かせたところで直るものでもない。どうしたものかと思案していたところに藤次郎が現れた。

藤次郎好奇心旺盛,對四六稍微冷淡的對待毫不在意,神經粗壯。自從他開始尾隨四六以來,四六的活動性顯著增加。

藤次郎は好奇心が強く、四六が少々邪険にあしらったところで気にもかけない図太い神経の持ち主であった。彼が四六に付いて回るようになって以来、四六は目に見えて活動的になっていった。

「我本以為還需要更多時間才成呢」

「もっと時間が掛かると思っていたんですけどね」

「四六殿本性有些矜持。然而藤次郎殿不顧一切地靠近,令四六殿無法保持距離,矜持也便被吹散了吧」

「四六殿は遠慮がちな処がございますからな。しかし藤次郎殿はそんな四六殿のことなどお構いなしに迫ってきますゆえ、四六殿も距離を取りかねて遠慮など吹き飛んでしまったのでしょう」

景勝似乎想起曾見過四六被藤次郎以『為什麼? 怎麼會?』的連番追問弄得四處逃竄的模樣,他一面掩口一面含笑。靜子等相關者覺得兩人的關係十分可愛,但伊達家的家臣們恐怕每天都提心吊膽。

藤次郎の『何故? どうして?』攻撃から逃げ回る四六の姿をみたことを思い出したのか、景勝は口元を手で隠しつつも笑みを浮かべる。静子を含めた関係者は二人の関係を微笑ましく思っているが、伊達家の家臣たちは生きた心地のしない毎日であろう。

「所謂『男子三日不見,當刮目相看』大概就是這個意思吧。孩子們的成長真是迅速。」

「『男子、三日会わざれば刮目して見よ』とはこのことでしょうね。子供たちの成長は実に早い」

「若是靜子大人,是否能教導他們呢?」

「静子様なれば教え導くことも出来たのでは?」

「教人講道理倒是容易,但那並不會真正內化。與其由知解者直接灌輸答案,不如讓他們在犯錯中以自身力量摸索出正解。我等不應教導他們所有事,而當持續給予覺察的契機,等待他們走向正解才是大事。話雖如此,實行起來卻頗為困難。」

「言って聞かせるのは簡単です。しかし、それでは真に身につきません。正解を知っている者が教えるのではなく、間違いながらも正解に己の力で辿り着くことが肝要かと考えます。我らは彼らを教え導くのではなく、気づきの切っ掛けを与え続けて正解に至るのを待つことこそが大事かと。とは言え、それが中々難しいのですがね」

景勝聽了靜子之言恍然大悟。以他在靜子領所獲得的各種知識經驗教導家臣時深感,若從一開始就把答案給出來,確實輕鬆得多。

景勝は静子の言葉に目から鱗が落ちる思いであった。自分が静子領で得た様々な知識や知見を家臣たちに教える際に痛感したのだが、最初から答えを教えてしまう方が遥かに楽なのだ。

然則,只要上位者持續直接給答案,家臣們就難以真正學會。這猶如直接給飢餓者魚吃,與教他釣魚之差別,應當一目了然。

しかし、上の者が答えを与えている内は、なかなか家臣達の身につかないのである。飢えた人に対して直接魚を与えるのと、魚の取り方を教えるのとの差が判り易いだろうか。

被給予的魚吃完就結束,而學會釣魚者則能獲得自我克服飢餓的能力。

与えられた魚は食べてしまえば終わりだが、魚の取り方を学んだ人は飢えを己で克服できる能力が身に付くのだ。

「在此獲得的經驗,終將成為四六的血肉。『親』字若從木上而立來看便可知,等待與守護的艱難、忍受那種焦急也是為人父母的一種磨練呢。」

「ここで得られた経験は、やがて四六の血肉となることでしょう。親と言う文字は木の上に立って見ると書きます。待つこと、見守ることの難しさ、もどかしさに耐えることも親としての修行ですね」

「真令我折服。不管怎樣我都想在越後開學校。若我年幼時能與學友同在學校中學習,真是令人嚮往啊。」

「いやはや感服致しました。なんとしても越後に学校を開きたくなり申した。私が幼い頃に学友と共に学校で学ぶ機会があれば、と思わずには居られませぬ」

景勝認真且懊惜地說著,靜子則平和地點頭聆聽。

景勝が本気で口惜しそうに語るのを、静子は穏やかに頷きながら聞いていた。

九月中旬過後,各地戰局開始有動靜。首先是在西國討伐的秀吉攻下了鳥取城。

九月も中旬を過ぎた頃になると、各地の戦況が動き始めた。まずは西国攻めを行っていた秀吉が鳥取城を攻め落とした。

這並非史書上那種殘酷的『鳥取餓死事件』,而是秀吉在糧草封鎖配合下,其策略使敵方士氣崩潰而開城的結果。

それも史実にあったような凄惨な『鳥取の飢(かつ)え殺し』ではなく、兵糧攻めと並行して行った秀吉の策により、相手の士気が崩壊したがための開城であった。

鳥取城因前任城主的失策,未備有長期籠城所需的儲糧,且因秀吉襲擊周邊村落,城內不得不接納逃散的民眾。

鳥取城は前城主の失策により長期籠城に耐える備蓄が無く、その上で秀吉が周囲の村々を襲ったがため、逃亡した民たちを内部に抱えざるを得なかった。

原本就少的糧食儲備面對超出預期的人口,城內糧食瞬間被消耗殆盡。再加上秀吉買斷了附近一帶的糧食,成為鳥取城主的吉川經家甚至連調度糧食都無能為力。

元より少ない食糧備蓄に対して、予定より増えた人口によって城内の食糧は瞬く間に消費されてしまう。更に秀吉は辺り一帯の食糧を買い占めてしまったため、鳥取城主となった吉川(きっかわ)経家(つねいえ)は食糧を調達することすら出来なくなった。

儘管如此,吉川仍選擇堅守,因為鳥取城為天然要塞,不易攻克;且冬天將近,他以為一旦降雪,秀吉軍也不得不撤退。

それでも吉川が籠城を続けたのは、鳥取城が天然の要塞であり、そう易々とは攻略できないこと。また冬が間近に迫っており、雪が降り始めれば秀吉軍とて撤退せざるを得ないと踏んでいたからだ。

因此在鳥取城內,眾人以如水般稀薄的粥度日,家畜與軍馬不必說,連樹皮與草根都被拿來充飢以維持生計。

それゆえ鳥取城内では、皆が水のように薄い粥で耐え忍び、家畜や軍馬などは言うに及ばず木の皮や草の根まで口にして糊口をしのいでいた。

對此秀吉在糧食與物資上的買進花費甚巨,雖在靜子追加支援下稍得喘息,但仍顯攻勢不足。

これに対する秀吉は、食糧及び物資の買い付けで多くの出費をしており、静子からの追加支援を受けて多少の余裕はできたものの、今一つ攻め手に欠いているといった状況であった。

秀吉認為若能呼籲投降以無血開城為上策,便可避免對難攻不落的鳥取城進行蠻力攻擊而徒耗兵力的愚行。

秀吉としては降伏を呼び掛けて無血開城することが最上であり、難攻不落の鳥取城へ力攻めを行って徒(いたずら)に兵を消耗する愚を避けたいという思いがある。

就當吉川與秀吉之間的奇異耐久戰陷入膠著時,忽然間天啟降臨於秀吉。

こうして吉川と秀吉の奇妙な我慢比べが膠着状態に陥ったころ、ふいに秀吉に天啓が舞い降りた。

事情發生在秀吉拿起靜子追加援助物資中那只望遠鏡的時候。

それは静子からの追加支援物資の中にあった望遠鏡を手にした際の事である。

(有了這個,難道不能詳細觀察城內的情況?若如此,動搖人心也變得容易!)

(これがあれば城内の様子を具(つぶさ)に観察できるのでは? そうならば人心を惑わすことも容易い!)

靈機一動的秀吉立刻叫物見拿着望遠鏡探查城內情況。望遠鏡能把人眼無法看到的遠距離放大,果然給了秀吉各種情報。

一計を思いついた秀吉は、早速物見に望遠鏡を持たせて城内の様子を探らせた。人類の視力では及ばない遠距離を拡大して見ることの出来る望遠鏡は、実に様々な情報を秀吉に与えてくれた。

觀察到,城內的兵士在非戰鬥時靠在牆邊,無力地伸展手腳。家畜、軍馬、種植的作物等大都已被吃光,人人受飢餓折磨,虛弱的婦孺與老人倒臥著。

曰く、城内の兵士たちは戦闘時以外では壁などにもたれかかり、力なく手足を投げだしている。既に家畜や軍馬、栽培していた作物等もあらかた食いつくしてしまい、皆が飢えに苦しみ、弱った女子供や老人が倒れて横たわっている。

他們仍能堅守城池,是因為相信若投降聲名狼藉的織田軍便等同於死,且吉川等人不斷鼓舞他們要忍耐直到下雪。

それでも彼らが籠城に耐えているのは、悪名高き織田軍に下れば死が待っていると信じていたからであり、吉川らが繰り返し雪が降るまでの辛抱だと激励し続けたからであった。

掌握這些情況後,秀吉一邊零星發動攻擊一邊繼續兵糧封鎖。當婦孺與老人等弱者開始餓死時,秀吉巧妙的心理戰正式開始。

こうした状況を把握した秀吉は、散発的な攻撃を繰り返しつつも兵糧攻めを続けた。そして女子供や老人などの弱いものから餓死者が出始めた頃、秀吉の巧妙な駆け引きが始まった。

在秋空染上暮色的黃昏時分,一個連哭都因極度飢餓而做不到的孩子旁邊,城外被丟進了一只布袋。

秋空が夕暮れに染まる黄昏時(たそがれどき)、極限の飢えから泣くことも出来なくなった子供と共に横たわる女の傍に城外から布袋が投げ込まれた。

那女人已無力反應,但聞到布袋中飄來的甜香,她絞盡力氣把它拉過來。顫抖的手解開綁口的繩索,探入內中,拿出以竹皮包着的薄褐色黏稠物。

既に反応する力もない女であったが、布袋から漂ってくる甘い匂いに女が力を振り絞ってそれを引き寄せる。震える手で紐で縛られた口をほどき、中身を探ると竹の皮に包まれた薄い褐色の粘液が出てくる。

她將指頭沾上那散發甜香的黏液,導入早已乾裂的口中。甜得令人陶醉,沁入飢竭的身體,那正是所謂的水飴;久違的糖分讓朦朧的意識逐漸清醒。

女は夢中で甘い香りを発する粘液に指を付け、それをカラカラに渇いた口へと導いた。甘い。飢えた体に沁み渡る甘さであった。それは所謂(いわゆる)水あめであり、久方ぶりに与えられた糖分に朦朧(もうろう)とした女の意識がはっきりと冴え渡った。

她本能地躲到暗處以免食物被奪,並把水飴餵給心愛的孩兒。母子吃完那少許甘露後,發現布袋內竟有書狀。

女は本能的に食糧を奪われないように物陰に隠れ、愛しい我が子の口へと水あめを与えてやった。そうして僅かばかりの甘露を食べ終えた母子は、布袋の中に書状が入っていることに気が付いた。

那封信只用平假名書寫,連不識字者也能看懂。內容說明,這是秀吉公出於憐憫,對如今只等死的婦孺所施的恩惠。

それは学のない者にも読めるよう、ひらがなのみで表記された手紙であった。曰く、今や死を待つばかりの女子供を哀れに思われた秀吉公からの温情である。

信中指示,若放下武器投降秀吉軍,便承諾會救助他們;並指示夜間開城門悄悄逃出。

武器を捨て、秀吉軍に下るのであればそれらの者は助けることを約束する。夜間に城門を開いて抜け出すようにと指示する内容だった。

這類布袋被丟進城內數處。由於秀吉用望遠鏡持續觀察,他能把袋子投向看似屬於守城兵士家屬的地方。

こうした布袋は城内の数か所に投げ込まれた。それは秀吉が望遠鏡で観察を続けたことにより、城門を守る兵士の家族と思わしきものへと渡るよう投げ込まれたのだ。

那女人拿着配給的僅有食物,把書交給回來分食給她和孩兒的丈夫,懇求他:照這樣下去不久就會餓死,既然會死,不如孤注一擲投靠秀吉軍。

女は配給された僅かばかりの食料を手に、女と子供の許へと食料を分け与えるため帰ってきた夫に書を渡して訴えた。このままでは遠からず餓死してしまうこと、どうせ死ぬのであれば一か八かで秀吉軍に下る方が賢いのではないかと。

丈夫雖對背叛同樣忍受飢餓的同袍感到躊躇,但看不見前途、能獨自多吃一點的飯食,以及竹皮上仍殘留的水飴甜香推了他一把。

夫は同じく飢えに苦しむ仲間を裏切ることに躊躇(ちゅうちょ)していたが、先の見えない状況と一人で食べるいつもより量の多い食事と、竹の皮に未だ染みついている水あめの甘い香りが背中を押した。

於是丈夫做了決定,他向守城城門的兵士坦白布袋之事,大家共謀行動以脫離此絕地。結果,有數個城門在夜間被打開,守門的兵士連同家人一同大量離去。

そして夫は決断する。城門を守る兵士たちに布袋のことを打ち明け、皆で共謀してこの死地より脱するべく行動した。その結果、いくつかの城門が夜中に開け放たれ、それを守っていた兵士たちが家族ともどもごっそりと居なくなった。

然而並非所有兵士都背叛,其中一部分忠義心強的人把布袋如數送回給城主。

しかし、全ての兵士たちが裏切ったわけではなく、一部の忠義心に溢れるものは布袋をそのまま城主の許へと届けたのだ。

「羽柴筑前守啊! 終於開始分化兵士了嗎……」

「羽柴筑前守(ちくぜんのかみ)め! ついに兵どもの切り崩しにかかりおったか……」

長期籠城已把吉川折騰得如幽鬼般,他懊悔地喃喃道。被打開的城門很快又被關上,因而未發生大規模逃亡或允許秀吉軍入城。

長きに亘る籠城のため、すっかり幽鬼のような様相になり果てた吉川は口惜し気に呟く。開け放たれた城門は、すぐに閉じられたことにより大規模な脱走及び、秀吉軍の侵入を許すことは無かった。

然而直到昨天還一同作戰的兵士若成群消失,終會引起謠言。被丟棄的武器防具和布袋中留下的書狀被眾人看見,投降是可行的消息傳開了。

しかし、昨日まで一緒に戦っていた兵士たちが纏まって消えればどうしても噂になってしまう。投げ捨てられた武器防具に、布袋に残された書状が衆目に晒され、投降が可能であることが知れ渡ってしまった。

飢餓哀求的家臣與接納的民眾不斷送來懇求,希望他們降服秀吉軍。但吉川仍一再主張等雪來,說他們也很拼命,現在要忍耐。

飢餓にあえぐ家臣達や受け入れた民たちからは、秀吉軍へと下って欲しいとの嘆願が届けられている。それでも吉川は雪を待て、奴らも必死なのだ。今が辛抱どころだと訴え続けた。

他以寄望降雪為名說服反抗的家臣與領民,有時甚至以武力恐嚇。就在那極限的狀態下,秀吉更一計出動。

降雪に一縷(いちる)の望みを託し耐えるよう、反発する家臣や領民たちに時には武力で脅してまで説得し続ける。その極限状態に於いて、秀吉の更なる計略が発動した。

「殿! 敵軍が……羽柴軍が!」

「殿! 敵軍が……羽柴軍が!」

「敵軍怎麼了!? 」

「敵がどうした!?」

「他們……在製作保存食!!」

「ほ……保存食を作っておりまする!!」

傳令帶回側近的回報,吉川竟字面上從膝蓋崩落下去。

伝令を通じて側近から齎された報告に、吉川は文字通り膝から崩れ落ちた。

那是一幅異常的景象。戰爭最前線竟然擺着不合時宜的大鍋數口,正在煮着散發馨香的湯汁。

それは異常な光景であった。いくさの最前線に於いて不似合いな大鍋が幾つも並べられ、かぐわしい香りを放つ汁物が煮られている。

旁邊大量小魚去腸開膛後被晾乾,蒸熟的蕃薯攤在草蓆上晾乾。

その隣では腸(はらわた)を取って開きにされた小魚が大量に干されており、蒸されたサツマイモが筵(むしろ)の上に広げられて乾かされていた。

更有甚者,他們開始用巨大鍋熬煮附近製作的保存食——佃煮。

とどめとばかりに付近で作られていた保存食である佃煮(つくだに)を、巨大な鍋で煮詰め始めたのだ。

佃煮是摂津國佃村一帶的傳統保存食。為備不時之需而煮的小魚,通常用鹽或醬油濃煮而成。

佃煮とは摂津国(せっつのくに)佃村付近で作られている伝統的な保存食である。不漁の時に備えて作られた小魚の煮物であり、塩や醤油で辛く煮締めてあるものだ。

此處秀吉利用織田領土比他國更易取得砂糖的特殊性,動用大量砂糖與醬油製作甜鹹的佃煮。

ここで秀吉は他国に比べて遥かに砂糖を入手しやすい織田領の特異性を活かし、大量の砂糖と醤油を使って甘辛い佃煮を作らせた。

正值人們為飢餓所苦之際,敵軍大量加工糧食準備越冬的景象徹底打垮了鳥取城內所有人的心志。

ただでさえ飢餓で苦しんでいる最中に、敵軍は大量の食糧を加工して越冬の準備をしている光景は鳥取城内全ての人々の心を折った。

隨風傳入城內的甜美香氣,讓士兵們終於丟下武器痛哭起來。

風に乗って城内へと届けられる甘く香ばしい匂いに兵士たちはついに武器を捨てて泣き出してしまう。

見到那情況的吉川終於決定投降秀吉軍。

その状況を見ていた吉川はとうとう秀吉軍に下る決断をすることとなった。

吉川以自身為首,要求有力者切腹為條件,向秀吉懇求赦免士兵與民衆的性命。秀吉則想將在極限情況下仍能整頓城內的吉川納為幕僚,僅要求舊山名氏家臣切腹即可。

吉川は自分を筆頭に、有力者たちの切腹を条件として兵士及び民衆の助命を秀吉に嘆願した。これに対して秀吉は、極限状態にあっても城内をまとめ上げ続けた吉川を自分の幕僚に迎えようと考え、旧山名氏家臣達の切腹のみで良いとした。

史實中鳥取城成了人吃人的人間地獄,但這次雖有餓死者,損失仍算輕微,吉川因被秀吉高度評價而受其感化,轉而事奉於他。

史実に於いては人が人を喰らう生き地獄となり果てた鳥取城であったが、今回は餓死者こそ出したものの損害が軽微であり、吉川も己を高く評価してくれる秀吉に絆(ほだ)され彼に仕えることとなる。

就這樣鳥取城開城,處於飢餓極點的人們開始從秀吉軍那得到糧食供給。

こうして鳥取城は開城し、飢餓の極みにあった人々は秀吉軍から食料の供出を受けることとなった。

史實上突然給予米粥導致重度飢餓者因過度營養攝取而發生再餵食症候群致死的悲劇曾發生,然而在靜子的協助下學習人體運作的金瘡醫(原指治刀傷等的外科醫,於織田軍中指隨軍軍醫)按指示提供了重湯,因而未釀成悲劇。

史実であればいきなり米粥を与えたことにより、極度の飢餓から過度の栄養摂取によるリフィーディング症候群によりショック死してしまったという痛ましい事件が起こったのだが、静子の手によって人体の働きを学んでいた金瘡医(きんそうい)(本来は刀傷などを治療する外科医を指すが、織田軍に於いては従軍する軍医を指す)の指示により重湯(おもゆ)が与えられ惨劇は未然に防がれた。

此等溫情措施使秀吉軍名聲變好,周邊有力者也轉為合作;反之毛利聽聞鳥取城陷落的消息陷入恐慌。

この温情措置によって秀吉軍の評判は良くなり、近隣の有力者たちも協力的になった。逆に毛利は鳥取城陥落の報に恐慌状態となる。

原欲打持久戰的毛利,見鳥取城竟意外速落且周邊有力者轉向織田,這次敗北迫使毛利必須從根本檢討對織田的戰略。

長期戦を考えていたところへ、呆気なく鳥取城が陥落し、更には周辺の有力者たちも織田側に付く動きを見せている。今回の敗北によって毛利は、対織田戦略を根本から見直す必要に迫られることとなった。

另一方面,東國的情勢仍維持織田軍優勢。信忠將勝山城及勝山湊徹底整備為要塞據點,完全掌握伊豆以東的制海權。

一方、東国では織田軍優勢のまま状況が推移していた。信忠は勝山城及び勝山湊を完全に要塞拠点として整備し、伊豆以東の制海権を完全に掌握する。

憑藉此戰功,信忠再次回任東國征伐軍總大將。

この武功を以て、信忠は再び東国征伐軍の総大将へと返り咲いた。

因掌握制海權,信忠命令攻打位於伊豆半島最南端的下田城。下田城由北條五大老之一、統領伊豆水軍的清水康英駐守。

制海権を掌握したことにより、信忠は伊豆半島最南端に位置する下田城を攻めさせた。下田城には北条五大老の一人であり、伊豆水軍を率いる清水(しみず)康英(やすひで)が詰めていた。

清水氏為北條氏康的傅役(跡継ぎ之教育係)家系,康英亦是氏康的乳兄弟。

清水氏は北条氏康の傅役(もりやく)(跡継ぎにつく教育係)の家系であり、康英は氏康の乳兄弟でもある。

史實上,秀吉攻打小田原時,下田城據說僅有六百兵。據說原因是海路上很可能繞過下田城,在那裡駐紮大量兵力被視為浪費。

史実に於いては秀吉が小田原攻めを行った際に、下田城には僅か六百の兵しかいなかったとされる。これは海路的に下田城が素通りされる可能性が高く、そこに多くの兵を配置するのは無駄だと言うのが理由だという説がある。

另一方面,作為主君的氏政留下信件寫道「有關秀吉的水軍,一切委任下田城的康英處理,勿要插手」,可見氏政對其深信不疑。

また一方で主君たる氏政より「秀吉の水軍については、全て下田城の康英に任せるゆえ口出し無用」との手紙が残っており、氏政からの信頼が厚かったことが窺える。

實際上清水雖然只有約六百寡兵,卻與近一萬的秀吉水軍對抗堅守近一個月。

実際に清水は六百という寡兵でありながら、一万近い秀吉の水軍を相手に一か月近く耐え抜いたのだ。

信忠也根據間者帶來的情報,戒備氏康所深信的清水,指示先行攻下他。即便如此,果然不愧為清水,面對裝備現代化且火力遠勝的信忠軍仍然頑強抵抗,戰得不俗。

そして信忠も間者たちから齎された情報により、氏康の信任厚い清水を警戒して先に攻め落とすよう指示する。それでも流石は清水と言うべきか、史実とは兵装も近代化して桁違いの火力を誇る信忠軍相手に善戦して見せた。

伊豆水軍在信忠抵達前已被九鬼水軍殲滅。儘管如此,清水利用地利,巧妙運用寡兵令信忠軍陷入苦戰。

伊豆水軍は信忠の到着を待たずに、既に九鬼水軍の手によって壊滅していた。それにも拘わらず清水は地の利を活かし、寡兵を巧みに運用することによって信忠軍を苦しめた。

清水一直抵抗到只剩最後一兵,於戰場上殉死。信忠讚譽清水的忠勇:「雖為敵亦堪稱絕,清水上野介的功業無可匹敵」。

清水は最後の一兵になるまで抵抗を続け、戦場にて討ち死にすることとなる。信忠は清水の忠勇ぶりを「敵ながら天晴。清水上野(こうずけ)介(のすけ)の働きは比類なし」と褒め称えた。

在里見與佐竹據守的佐貫城,雖與才蔵率領的軍隊相互對峙,但幕後已開始為和睦做準備。

里見と佐竹が籠城する佐貫城では、才蔵が率いる軍と睨み合いをしつつも、裏では和睦に向けて動き始めていた。

經過迄今的戰事,兩家已痛定思痛;若繼續固守下去,已無勝算,且也無法指望北條的援軍。

これまでのいくさで両家は嫌と言うほど思い知っていたのだ。このまま籠城を続けたところで、自分たちに勝ち目はない。更には北条からの援軍も望めない。

若是被信長或信忠率領的織田本軍逼至此尚可理解,問題是連靜子軍旗下一名武將才蔵所率的一支部隊也無力應對。

この状況下に追い込んだのが信長や信忠が率いる織田本軍であればまだしも、静子軍の一武将たる才蔵の率いる一部隊に過ぎない勢力に手も足も出ないのだ。

作為國人、作為武將,他們以保存血統優先於面子,兩家忍辱接受敗北。

国人として、武将としての面子よりも血統を残すことを優先し、両家は恥をしのんで敗北を受け入れた。

但因才蔵軍並未積極攻城,為了觀望北條家的趨勢,兩家一面派出和談使者,一面繼續固守。

しかし、才蔵軍は積極的に攻め込んでは来ないため、北条家の趨勢(すうせい)を見極めるべく、和睦の使者を遣わしつつも籠城を続けている。

奧州方面,伊達家向蘆名與最上兩家發動戰事。對蘆名家,織田軍派遣佐久間父子及林秀貞攻入;伊達家則專注攻打最上家。

奥州では伊達家が蘆名、最上の両家に対していくさを仕掛けた。蘆名家には織田軍から佐久間父子と林秀貞(ひでさだ)が攻め込み、伊達家は最上家に専念することとなる。

理所當然地,從最上嫁來的義姬憤慨不已,然伊達家內部已統一支持投向織田軍,因此她的意見未遭重視。

当然ながら最上家より嫁いできている義姫は憤慨したが、伊達家内の意見は織田軍に付くことで統一されているため、顧みられることは無かった。

最上的領地中,響應伊達動向的親伊達派發動叛亂,使最上陷入即將淪陷的危急狀態。至於蘆名家,受織田軍侵攻後迅速投降,其處遇將由林在考量伊達家意向下處理。

最上の領土では伊達家の動きに呼応した親伊達派が反乱を起こし、最上は陥落寸前の状態へと追い込まれている。蘆名家については織田軍の侵攻を受けて早々に降伏し、その処遇については伊達家の意向を考慮しつつ、林が対応することとなる。

由於上述情勢,東國可說已落入信長掌中。尚有東北部分地區與奧州以北未被控制,但那些地區恐怕將由伊達家逐步吞併。

これらのことで東国は既に信長の手中にあると言っても過言ではない状況となった。東北地方の一部及び、奥州以北が残されているが、それらは伊達家が時間を掛けて併呑するだろう。

在日本國內,只有中國地方與九州尚未受信長掌控。

日ノ本で信長の手が及ばないのは、中国地方及び九州のみとなった。

即便如此,毛利已是氣若游絲,九州則各國人割據紛爭,無能對抗信長的勢力。政治中心京已掌握,經濟中心也正從堺向尾張轉移。

それらにしても毛利は既に虫の息であり、九州は各国人が群雄割拠しているため、信長に抗しうる勢力は存在しない状況だ。政治の中心である京を押さえ、経済の中心も堺から尾張へと移りつつある。

尚未投靠織田家的日本諸武家,已普遍認為信長即是天下人,天下統一只是時間問題。

織田家に与(くみ)していない日ノ本の武家たちは、信長こそが天下人であり、天下統一は時間の問題だというのが共通認識となった。

事已至此,無人再認為北條家會勝利,反而人人為保全自身而一旦北條滅亡即自求多福。

ことがここに至っては、北条家が勝利すると考えている者はおらず、北条家が滅べば明日は我が身とばかりに保身に走ることとなる。

「現在再去巴結,只會惹上樣不悅,難道還看不出來?」

「今更媚(こび)を売ったところで、上様のご機嫌を損ねるだけだと気付かないのかな?」

靜子一邊讀著由真田昌幸帶來的報告書一邊歪著頭。若在信長發動東國征伐之時就表態投靠,他應該不會被當作惡人對待。

静子は真田昌幸から齎された報告書を読みながら首を傾げた。信長が東国征伐の号令を掛けた時点で申し入れていれば、彼も悪いようには扱わなかっただろう。

然而在大局已定之下,他們將投靠以圖在天下統一後分一杯羹的意圖昭然若揭,縱然被接納,亦不會獲得厚待。

しかし、大勢が決した状況では天下統一後の世で甘い汁を吸わんとしている意図が見え見えであり、受け入れはするものの決して厚遇はされない。

(果然想不冒風險就搭上勝利之車也太貪便宜了。話說回來,我倒是希望能在太平之世悠閒度日,這樣就心滿意足了。)

(流石にリスクを負わずに勝馬に乗ろうとするのは虫が良すぎるよね。まあ私としては太平の世になって、のんびり過ごせれば言うことないんだけど)

靜子常在場合提起,若信長能完成天下統一,自己便退休去閒耕田園度日。

静子は信長が天下統一を成し遂げた暁には、引退してのんびり畑でも耕して過ごしたいと折に触れて口にしている。

然而除靜子外沒有人相信那願望會成真;靜子是個令信長都感到無奈的工作狂,顯然若不忙碌就心神不寧。

しかし、静子以外の誰もがその願いが実現することはないと思っていた。何せ静子は信長すら呆れるほどのワーカホリックであり、常に何かしていなければ気が済まない性分なのは明らかだ。

雖然口中說要悠閒度日,幾個月後卻又想像得出她忙碌奔波的模樣。就連通常對靜子多抱正面看法的足滿,也無法想像她閒散度日的樣子。

ゆっくり過ごすと口にしながらも、数か月もすればあくせく働いている姿が目に浮かぶ。静子のこととなれば大抵肯定的に受け止める足満ですら、のんびり過ごす静子の姿を思い描けないでいた。

「靜子大人,足滿大人到了。」

「静子様、足満様がいらっしゃいました」

「嗯,沒問題,請進。」

「ん、問題無いから通して」

對小姓回話後,不久足滿便進入房中。

小姓に返事をすると、少しして足満が部屋に入ってきた。

「看的可真是用心啊。」

「随分と熱心に見ておるな」

足滿看到靜子即使自己入室也不從報告書上抬頭,忍不住苦笑。

足満は自分が入室しても報告書から目を上げない静子に苦笑する。

「關於北條,最好能在年內解決,最慢也要在明年了結。」

「北条に関しては早ければ年内、遅くとも来年には決着を付けたいからね」

「不久就會示弱吧。支城像梳子缺齒般被奪,海路已完全封鎖。平定東北的勢力也將很快南下。」

「遠からず音(ね)を上げるだろうよ。支城は櫛の歯が欠けるように奪われ、海は完全に封鎖されている。東北を平定した勢力もじきに南下して来るだろう」

「即便如此,他們應該還能撐一陣子。」

「それでも暫くは耐えるだろうね」

「即便再撐也無濟於事,既然沒有勝算,剩下只是時間問題。此外靜子,你也在幕後動手腳吧?」

「耐えたところで仕方あるまい。勝てる道筋が無いのだから、後は時間の問題だ。それに静子、お前も裏から手を回しておるだろう?」

面對足滿的提問,靜子第一次從報告書上收回視線。望著足滿堅定不移的目光,她嘆了口氣,將報告書放在桌上。

足満の問いに静子は初めて報告書から目を離した。揺るがない足満の目を見て静子は嘆息すると、報告書を机の上に置いた。

「我本來想低調一點,但果然有眼力的人還是會看出來啊。柴田大人不喜歡小伎倆,所以我都是偷偷做的。」

「目立たないようにしてたんだけど、やっぱり判る人には判るんだね。柴田様は小細工を好まれないから、こっそりやってたんだけど」

「柴田不會察覺的吧。在織田軍中若是眼力敏銳的人也只是有可能發現而已。畢竟靜子做的是經濟戰爭嘛。」

「柴田は気付くまいよ。織田軍に於いても目端の利く者ならば気付く可能性がある程度だろう。何せ静子のしていることは経済戦争だからな」

經濟戰爭是指伴隨軍事目的的經濟政策。從中世到近世的戰爭也有作為人口調整方面的側面,但經濟戰爭是為了解決國家間的對立而施行的。

経済戦争とは軍事目的を伴う経済政策を指す用語だ。中世から近世にかけての戦争は、人口調整という側面もあるのだが、経済戦争は国家間の対立を解消すべく行われる。

不是直接把武器對峙,而是影響敵國的經濟力,間接奪去其持續作戰能力的策略。

直接的に武器を突き合わせるのではなく、敵国の経済力に影響を与えて間接的に継戦能力を奪う戦略となる。

在史實上被明確視為經濟戰爭的是第二次世界大戰時,聯合國與軸心國雙方都實施了奪取戰略資源的「奪取敵方資源」政策。

史実に於いて明確な経済戦争とされるのは第二次世界大戦時に、連合国と枢軸国の双方が戦略資源を奪い合う『敵資源の取り込み』という政策を行っている。

「話雖如此,其實做的也不過是操縱金流,並拉攏那些能分配物資的有力商人罷了。」

「とは言え、やっていることは金の流れを操作しているのと、物資を差配できる有力な商人を取り込んでいるだけだけどね」

「僅此就足夠了吧。當物資與金錢被剝奪,人就只能走投無路。」

「それだけで充分だろう。物と金を絞られたら人は干上がるしかない」

作戰需要武器和糧食固然重要,但同樣金錢也發揮作用。雖然有物才能換金,但能與萬物交換的金錢足以成為驅動人心的原動力。

いくさをするには武器や食料も大事だが、それと同様に金が物を言う。物があっての金ではあるが、あらゆる物と交換可能な金は人を動かす原動力足り得る。

即便國家瀕臨存亡之危,能無薪工作的人也並不多,這是事實。

たとえ国家存亡の危機にあっても、無給で働ける者はそう多くないのが実情だ。

「那麼首尾如何?」

「それで首尾はどうなのだ?」

「可能是因為戰事造成物流停滯,能向我們供應物資的商人正在增加。有些與當地緊密結合的商人還在抵抗,但沒有貨物的話他們的影響力只會越來越小。我想在明年初左右就能掌控物流。」

「いくさのお陰で物流が滞っているせいか、物資を供給できる我々に下る商人は増えているよ。一部の地元と密着した商人は抵抗しているけれど、物が無いんじゃ影響力も小さくなるばかりだね。年明け辺りには物流を支配できると思う」

回答足滿的問題時,靜子把剛才看過的報告交給他。足滿粗略翻閱後微微一笑,開口道。

足満の質問に答えながら、静子は先ほど目を通していた報告書を彼に手渡した。ざっと目を通した足満は小さく笑みを浮かべて口を開いた。

「非常好。」

「上々だな」