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戦国小町苦労譚

千五百七十七年 四月上旬

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残雪も溶け街道の往来が回復した三月下旬、日本海を臨む敦賀(つるが)港に足満の姿はあった。

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彼は軍を率い越後入りして佐渡島を目指そうと考えたのだが、雪に閉ざされた上にお家騒動を抱えた越後は、さながら蟲毒(こどく)の様相を呈している。

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たとえ同盟関係にあるとは言え織田家の配下が進軍すると余計な軋轢(あつれき)を生みかねないと静子に諭され、若狭国(わかさのくに)は敦賀へと集結していた。

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上杉家に対する気遣いなど持ち合わせていない足満だが、ほかならぬ静子の要望であるため計画を修正している。

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若狭に入りはしたものの暦(こよみ)の上では春なのだが、まだまだ日本海の波は高く荒れ模様であったため足満たちは数日の足止めを食らっていた。

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無為に過ぎ去る日を重ねるごとに足満の機嫌は加速度的に悪くなっていき、部下たちですらひりつく(・・・・)ような緊張感を覚えるころ、ようやく天候が回復する。

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この機を逃すまいと足満たちは船団を組んで敦賀港より出航した。織田家の支配圏内を自由に移動できる免状を持つ静子は、足満たちが補給を受けられるよう佐渡島直前に補給地点を設けている。

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現在の石川県北部に位置する輪島に補給物資を集積し、船団が一度に停泊するほどの許容量のない輪島港へ順に寄港することで補給を実施すると、再度集結して佐渡島の真野湾から上陸した。

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さて、離島とは言え佐渡島は大きな島である。この島の内部では本間氏が五つの氏族に分かれて互いに覇を争うという、戦国時代の縮図のような状況となっていた。

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ここ佐渡島は金銀山で成り立っている島ゆえに、各々の氏族は金山を支配することで生計を立てている。この頃になると惣領家であった雑太(さわだ)本間氏は勢力を弱め、代わりに郷地頭(ごうじとう)と呼ばれた者が台頭してきた。

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すなわち西三河金山を支配する羽茂(はもち)本間、新穂(にいぼ)金山を擁(よう)する久知(くじ)本間と潟上(かたがみ)本間、鶴子(つるし)銀山を押さえた河原田(かわはらだ)本間と沢根(さわね)本間である。

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中でも大きな力を持っていたのが島の北部を勢力下においた河原田本間と、南部を束ねる羽茂本間であった。これを快く思わない者の内、立地的に都合の良かった沢根本間を足満は言葉巧みに寝返らせた。

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そして織田の軍旗を掲げた船団が佐渡島南西部に位置する真野湾に現れた際に、これを迎撃すべく沿岸に布陣したはずの沢根本間氏が一戦交えるどころか、これを招き入れたことで彼の裏切りが明らかとなり、迫る戦乱の兆しに全島が蜂の巣を突いたような状態となる。

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一言に上陸と言っても船団規模となると相応に時間を要するため、これを阻止せんと動いた者がいた。それはほど近くに河原田城を構える河原田本間であった。

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彼らは予(あらかじ)め集めてあった百艘(そう)近くの船と、陸上からの部隊で挟み撃ちにすべく出撃する。そして敵を視界にとらえるか否かと言う段階で散々に打ち払われてしまった。

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そもそも観測精度及び兵器の有効射程が違いすぎ、まるで話にならない戦況を見たそれぞれの本間氏は震えあがり、衰えたりとは言え惣領家の雑太本間に仲裁を求める。

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こうして雑太本間の呼びかけで氏族の代表が集められたのだが、足満軍の圧倒的な戦力を目にして増長した沢根本間は『虎の威を借りる狐』を演じてしまった。

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曰(いわ)く、本間の中で如何に強くとも所詮は井の中の蛙であり勝ち目のないいくさをするのは愚かである。開明的で先見の明がある自分はそれにいち早く気付いたがために、断腸の思いで彼らを招き入れた。

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無駄に血を流すのではなく、転封(てんぽう)を約束して貰える間に軍門に下るのが得策である。自分がとりなしてやるから新天地で一から出直そうとぶちまけた。

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これを聞いた他の本間氏は当然激怒した。氏族の総意として徹底抗戦すると決めたことを反故(ほご)にしたうえ、外患と言う災いを招いておきながら恥知らずにも「お前たちも賢くなれ」と言い放ったのだ。

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この発言を機に交渉は決裂し、佐渡島は泥沼の内戦状態へと陥ることになる。当の沢根本間は長く本間氏の底辺で抑圧されてきた反動から失策を犯したと悟ったが、時すでに遅しであった。運命の歯車は回り、本間氏を滅びの道へと転がし始める。

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余談だが現代日本の刑法に於いても外患誘致(がいかんゆうち)罪は定められている。外患誘致とは外国の勢力と通謀(つうぼう)し、自国に対して武力行使させる国家反逆罪の一つであり、この売国行為に対する量刑は死刑のみである。

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未だ適用された例はないのだが、連座制の廃された現代司法に於いて最も重い刑罰を科すことからも、国家の存亡を揺るがす重罪と考えられていることは疑いようもない。

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この佐渡島に於いて足満たちはまごう事なき外患であり、これを内に招いてしまったことがどのような結果を齎すかを知れば、死刑反対論者とて口を噤(つぐ)むことになろう。

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「我らは外様(とざま)、あくまで本間のいくさは本間の手によって決着を付けねばなるまい。お前たちが先頭に立たねば始まらない」

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保たれていた佐渡島の均衡を根底から破壊し、戦乱の渦へと叩き込んだ足満はそう言ってのけた。足満たちは後方から督戦及び援助はするものの、あくまで主役は沢根本間でなくてはならないとし、沢根本間は矢面に立たされることとなった。

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こうして沢根本間と残る本間氏との対立構造が成立し、沢根本間は常に最前線ですり潰され続けた。最初こそ我こそが本間の頭領たらんと血気盛んであったものの、足満の援護は消極的であり、自軍の損耗がかさむに連れて不信が募ることになる。

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対する足満は自分たちが活躍しては本間のいくさとならぬと後方に留まり続け、逆立ちしても足満たちに勝てない沢根本間は手を組む相手を間違えたと臍(ほぞ)を噛むことになった。

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更に足満は沢根本間に敵の投降を許さないことを要求する。建前上は捕虜を養えるだけの余裕がないとのことだったが、女子供や老人に至るまで例外なく扱うとあって、沢根本間は震え上がった。

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周囲を海で隔てられた島などでは人々は互いに助け合いをしなければ生活が成り立たない。そのため互いに争ったとしても暗黙の了解としてやりすぎに対する禁忌が存在する。

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たとえ鼻つまみ者であろうとも村八分と言って、火事と葬儀の時だけは助けると言ったものが最たるものだろう。そして次代を担う女子供を無差別に手に掛けるなどということは明確に禁忌に抵触する事項であった。

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しかし、既に賽(さい)は投げられてしまった。既に他の本間氏と対立してしまった以上、足満の協力を得られなくなれば他の本間氏は沢根本間を赦しはしないだろう。

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行くも地獄、戻るも地獄ならばと沢根本間は足満の要望を呑んだ。それが本間一族全体の破滅を決定付ける最後の一押しになることに、沢根本間はとうとう気づけなかった。

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足満による族滅の最初の犠牲となったのは河原田本間であった。雑太本間による仲裁が決裂して以降、それぞれがいくさ支度をする前に機先を制する形となる。

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河原田本間は他の本間氏による増援を期待し、河原田城に籠城をするという理にかなった判断を下した。しかし相手が己の防御力を圧倒的に上回る火力を具(そな)えていた場合、この戦法は成り立たない。

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城門及び城壁を火砲で破壊され、こじ開けられた大穴から沢根本間の兵たちが雪崩込み、更には自軍の火縄銃を上回る射程と精度の新式銃によって追い散らされた。

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河原田城は瞬く間に陥落し、城主である本間佐渡守(さどのかみ)高統(たかつな)は抗しきれないと悟ると、城に火を放って自刃する。そしてこの一戦によって捕えられた者は、赤子に至るまで皆一様に処刑された。

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その非道な行いは命からがら逃げた者や、残る本間氏の斥候などによって周知され、沢根本間は本間一族の裏切り者にして不倶(ふぐ)戴天(たいてん)の仇となった。

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この河原田城での虐殺を以て、沢根本間の当主である本間左馬助(さまのすけ)は地獄への片道切符を手に走り出す。

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次に足満は沢根本間に島南部の最大勢力であった羽茂本間を攻めさせた。最前線に立って直接刃を交える沢根本間の兵たちこそ損耗するものの、羽茂城も然したる抵抗をすることなく陥落する。

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河原田城での虐殺を知らされていた羽茂城主の本間高茂(たかもち)は近臣とともに、実弟が城主を務める赤泊(あかどまり)城へと落ち延びた。しかし間を置かずに追撃の手が掛かり、赤泊城もあえなく落城してしまう。

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その際に城主一族は城を脱して船で海へ逃れようとしたのだが、前もって船団を移動させていた足満の手によって船を破壊され、赤泊港にて沢根本間の兵に捕縛され処刑された。

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本間一族の二大勢力が潰(つい)えると、残る本間氏は次々と降伏を申し出る。しかしそれらが決して受け入れられることはなかった。降伏を許されず、負ければ女子供に至るまで皆殺しにされると追いつめられた彼らは死兵と化す。

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文字通りに死に物狂いで抵抗してくる敵に沢根本間の兵たちは徐々に削られていった。こうして潟上本間、久知本間までが平らげられ、雑太本間も城主一族が処刑されたのを以て沢根本間による佐渡島統一がなされる。

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その際に最後のいくさに於いて指揮を執っていた沢根本間当主の左馬助が、流れ弾(・・・)によって討ち死にを果たし、勝者不在のまま本間一族の四百年にも及ぶ歴史は幕を下ろすこととなった。

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このように外患という脅威は、文化も価値観も異なる者による侵略であり、未曽有(みぞう)の災厄となって降りかかる。佐渡島に破滅を齎した外患である足満は、つまらなそうに鼻を鳴らすと本土から織田家の代官を招いて従うよう沢根本間の残党に命じると、佐渡島を後にした。

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処は変わって、今まさに尾張港へと一艘(そう)の安宅(あたけ)舟が入港しつつあった。尾張港は日ノ本有数の巨大な港であり、港湾施設が充実しているため大型船舶が何隻も停泊して賑わっている。

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港に連なる港湾都市も拡張に拡張を重ねた結果、港を中心とした扇状の大都市となっていた。ここでは日々多くの船が行き交い、それに伴って莫大な金が静子の懐へと転がり込む。

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北は東北地方から、南は九州に至るまで太平洋側に位置する様々な場所からひっきりなしに船が訪れては出ていく。開設当初の尾張港は中部及び東海地方と堺を結ぶ地方港に過ぎなかった。

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しかし織田家の勢力が拡大するにつれ港湾設備は充実し、それに反比例するように税率が低く抑えられたため瞬く間に日ノ本有数の貿易港へとのし上がっていくことになる。

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更には尾張にしか存在しない特産品の品目が充実するに連れて、紀伊半島を挟んで西の堺に対して東の尾張と呼ばれるようになっていった。

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今では工業化が推し進められた末に機械化された港湾設備によって、名実ともに日ノ本一の処理能力を持つ港だと言えよう。神戸港が開設して以来、定期便も開通して西国との流通量が増えた。

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この確立された航路に便乗して四国を統べる長曾我部とも定期便によって結ばれる。そうした中、今まさにもやい綱によって係留された船の甲板に出ていた竹中半兵衛と黒田官兵衛は、開いた口が塞がらなくなっていた。

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「こ、これが尾張港……。安宅舟ですら巨大だと思っていたのに、この港に停泊している船はどうだ! まるで巨人の国を訪れたのかと思わせる……」

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尾張港に停泊している船舶は、九鬼水軍からの払い下げのものや、試験的に造られた末に民間へ放出されたものも多く、外輪船などは見た目からして異質であるため彼らの目を惹いた。

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更には大型の動力クレーンがコンテナを積み下ろしする様は、巨人の腕(かいな)が動いているようにも見える。その腕が運んだコンテナから搬出される荷物を次々と呑み込んでいく巨大な倉庫は、さながら巨人の口であった。

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日ノ本最先端にして東国最大の物資集積地、それが静子の延(ひ)いては信長が支配する尾張港であった。

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「お伽噺(とぎばなし)のようでしょう? これら全てを実質的に差配しておられるのが静子殿となります。名目上は織田の若様(信忠のこと)の直轄ということになってはいるのですが、完全に委任されているようです」

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「なんと……」

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それまで安宅舟の船長と何事かを話していた羽柴秀長が訳知り顔で官兵衛に語って見せる。目から入ってくる情報だけで圧倒されていた官兵衛は、これほどの規模の港が生み出す富がどれ程になるか想像もつかなかった。

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それらを一手に握る者ならば、有馬開発に巨費を投じるという話も頷ける。

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「ここ尾張を仕置(しおき)(所領統治全般を指す)されているのが静子殿、美濃の統治及び尾張の監督をされているのが若様と思って頂ければ判りやすいかと」

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「女人でありながら、これほどの領地を任されておられるのですか!?」

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「しっ、大きな声を出されますな! 誰かの耳に入れば大事になってしまいます。ここ尾張は静子殿が滅私奉公をして育て上げられた地、ゆえに民の誰もが彼女を敬っておりまする」

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「血の気が多い船人達ならば、口より先に手が出ますな」

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秀長は初めて尾張を訪れる官兵衛にそう助言した。静子本人は公然と罵倒されでもしない限り、陰口については当然あるものとして気にもしていない。

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しかし、彼女を信奉するものからすれば赦しがたい暴挙となる。実際に向こう見ずな若い船員が、公然と静子のことを批判した際には、年かさの船員総出で海へと叩き落されるという事件が起きている。

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これだけならば笑い話で済むのだが、愛知用水によって貧困のどん底から救い上げられた知多半島に住む者たちの耳に入れば恐ろしいことになる。

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彼らにとって静子は救い主であり、明るい未来の象徴的存在であるため、それを汚す存在はあらゆる手段を以て排除される。つまりは良くて袋叩き、悪ければ二度と日の目をみることが叶わなくなるのだ。

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「こうして立ち話をするのも悪くはないですが、まずは宿へ向かい腰を落ち着けましょう。その後は皆で食べ歩きとしゃれこみますか」

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「我らは物見遊山にきたわけでは……」

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官兵衛が抗弁しようとするが、秀長は聞く耳を持たずに先立って歩き始める。嘆息する官兵衛を励ますように肩を叩いた半兵衛がそれに続き、渋々官兵衛も歩を進めた。

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しかし宿に荷物を置いて街へと繰り出した一行のうち、最も浮かれて皆を引きずり回すことになるのは誰あろう官兵衛であった。

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翌日、見るものすべてが目新しく興奮冷めやらぬ官兵衛と、お上りさんの世話を半兵衛に押し付けてちゃっかり休暇を満喫した秀長は、明らかに疲れが隠せない様子の半兵衛を伴って静子邸へと向かっていた。

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秀長一行は静子邸に到着すると湯浴みをするよう促され、静子の準備が整うまで控えの間にて寛いでいる。当初の予定では昼過ぎに面会であったのだが、噂に名高い静子邸を一目見たいと官兵衛が言い出したため、予定を繰り上げられないかと打診したのだ。

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当の静子は昼餉の時間であったため、一緒に会食をと考えたのだが彩に却下されてしまう。そこまで破格の厚遇をしては、相手に誤った認識を持たれてしまうのと、ただでさえ忙しい静子にせめて昼餉ぐらいはゆっくりと取ってほしいという思いからであった。

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「ほう! これは良いお茶をお出しになる。香ばしくもふくよかな甘みが感じられますな」

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官兵衛は緊張からそれどころではないのだが、静子の人となりを知る半兵衛と秀長は出された茶請けを頬張りつつ、茶を啜(すす)って寛いでいた。

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それでも半兵衛は西国でのいくさが気にかかっているようだったが、秀長は完全に開き直っている。いくら気を揉んだところで尾張に居ては何も為せない、それならば尾張でしかできないことを為すべきだと秀長は考えた。

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そうこうしている内にも秀長らが到着してから半刻(約一時間)ほどが経ち、静子の準備が整ったと小姓から告げられた。

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ことがここに至って腹が座った官兵衛は、一息に茶を飲み干すと立ち上がり、一行は謁見の間へと案内される。

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謁見の間では既に静子が待っており、秀長一行は伏してそれぞれに挨拶の口上を述べると揃って面を上げた。

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秀長の斜め後方に座している官兵衛は、秀長の肩越しに初めて目にする静子の姿に見入っていた。最初に抱いた感想は思いのほか小さいということだった。

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戦国の世に於いては大女の部類に入る静子だが、彼女の業績や逸話が先行した結果、誰もが彼女を大柄な女傑だと思い込む節がある。

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実際の静子は農作業から解放されたためか、優し気な面持ちもあってほっそりとした手弱女(たおやめ)に見える。濃姫などのような一目見て分かる威厳も感じられないため、官兵衛は本当に彼女が立志伝中の人物なのかと首を傾げた。

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しかし落ち着いて周囲を見回せば、彼の疑問が的外れであったことはすぐに理解できた。彼女に仕える者たちは見るからに覇気に満ち、己の職責に誇りを持っていることが窺える。

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五摂家の姫であるという立場や、信長の寵臣(ちょうしん)であるというだけでは配下の士気は上がらない。心より尊敬できる相手に仕えるからこその表情であった。

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(彼らは本当に静子殿に心酔しているのだろう。利のみを以て味方を作るのは容易いが、情でも結びついた関係は強固となる。確かに恐ろしい御仁だ)

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基本的に主従関係というのは利によって為される。主人から与えられる利があるからこそ、ご恩を以て奉公するのである。主人が自分及び自分の一族を守ってくれるからこそ、主人に命を懸けて尽くすのだ。

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主人が配下に利を与えるのは当然として、更に人徳を以て配下から敬われればその結びつきは更に堅固なものとなる。情による結びつきは時に損得勘定を超えた行動を促すからだ。損得で測れない相手は軍師の立場からすればやりにくい。

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「お待たせしました。お久しぶりとなりますが、お変わりありませんか?」

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「はっ! お陰様で兄共々変わりなく過ごしておりまする。急な申し出に応じて頂いた上に、更に余計なお時間をお掛けする訳にも参りませぬ。早速本題に入ってもよろしいでしょうか?」

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「そうですね、いくさの最中(さなか)に世間話は無粋でしょう。本題とは有馬開発についてですね」

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静子の口から有馬という単語が出てきたことに官兵衛は驚愕していた。具体的な地名を挙げられるほどにはこちらの手の内が読まれ切っているのだ、それでなくとも支援を請う側であるため立場が弱いというのにと気が急いてしまう。

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一方秀長は静子に心の内を読まれることなどいつものことと開き直っており、「流石は静子殿、ご賢察であられる」などと追従する余裕すらあった。

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「仰るように有馬の開発にご支援を賜りたく参りました。幸いにして神戸港は順調に滑り出しましたが、付近の播磨や摂津にこれと言った魅力がありませぬ。そこで摂津は有馬の地に湧く温泉を利用できぬものかと」

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秀長の言葉を聞いて静子は尤(もっと)もだと首肯する。実際に秀吉及び秀長兄弟は今浜(現在の長浜)の統治に関して何度も失敗している。そこには御座所である今浜のみが富めば良く、他は適当で良いという視野の狭さがあったのだろう。

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今までの苦い経験を踏まえ、秀吉は播磨や摂津一帯を巻き込んでの経済圏を盛り上げる必要があると考えた。ただし構想は大きくとも先立つものが無い。そんな折に静子が神戸港の開発を打診してきたため、一も二もなく食いついたのだ。

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静子が手掛ける港となれば利に聡い商人たちが放っておくわけがない。果たして秀吉の読み通り、神戸港はかつての寒村だった頃の面影すらない程の繁栄を見せている。しかし、港だけでは領地全体が富むわけではない。

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神戸港は九州と堺とを結ぶ中継地であり、継続した発展を願うのであれば港周辺の地域に特産品なり、遠くからでも足を運びたいと思わせる景勝地なりが欲しい。そこで静子の村も当初温泉で名を上げたことに思い至り、有馬の地に白羽の矢を立てた。

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「事情は判りました。確かに有馬は良質の温泉が湧いており、開発すれば良い湯治場になるでしょう」

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静子としても有馬温泉の開発は魅力的であった。現在でも関西の温泉と言えば真っ先に名が挙がるほどに有名であり、史実に於いても秀吉と有馬温泉には密接な関係がある。

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史実通りであるならば近い将来近畿一円を襲うことになる『慶長伏見地震』の後、有馬温泉全体の湯温が上昇してしまい入浴に適さなくなるという事件が起こっている。

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これを憂いた秀吉は地震の翌年から大規模な改修工事を行い、有馬温泉の泉源に手を入れている。これによって湯温は落ち着き、またある程度の調整ができるようにもなった。

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そしてそれ以降、有馬温泉は現代に至るまで泉源に対して工事を行っていない。秀吉の決断が有馬温泉の繁栄を支えたと言っても過言ではないだろう。

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「とは言え、問題がない訳でもありませんね」

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静子には有馬温泉の開発を行うに当たって懸念する問題が一つあった。秀吉の内部事情を把握している半兵衛は静子の言葉を耳にして難しい顔を作るが、事態が呑み込めていない官兵衛は首を傾げている。

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これは早い段階から秀吉に臣従し、苦楽を共にしてきた者と、播磨侵攻によって新たに配下となった者との差であろう。秀吉と言うよりも羽柴氏一門が抱える積弊(せきへい)(長く積もり重なった害)とも言えた。

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「仰ることは判っておりまする。問題は有馬ではなく、我々にこそあるということも」

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苦い沈黙ののち、半兵衛はその理由を口にした。