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戦国小町苦労譚

少年よ、かれいを食らえ

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華嶺(かれい)行者(ぎょうじゃ)は魁偉(かいい)な風貌(ふうぼう)の持ち主であるため、静子邸どころか近隣でも名の知れた存在だ。

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街中にあればまだ行者か山伏にも見えようが、山中で出くわせば天狗や妖怪の類にしか見えない。

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先日も華嶺行者が夜の山中を疾駆していると、焚火らしき明かりを見つけた。そろそろ食事でも取ろうと思っていた矢先であったこともあり、渡りに船と火を貰おうと近づいた。

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果たして焚火を囲んで車座になっていた薄汚れた男たちは、闇の中に焚火の光を受けて浮かび上がる華嶺行者の姿を見るや否や絶叫して逃げ出した。

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いたく形容しがたい沈黙が下りた場には、華嶺行者と両腕を後ろ手に拘束され猿轡(さるぐつわ)を噛ませた状態で転がされている少年のみとなった。

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少年は目が零れ落ちる程に見開いて驚愕していたが、しばらくすると絶望したのかきつく目を瞑(つむ)って体を強張(こわば)らせた。

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少年が絶望して死を覚悟したのは無理からぬことだった。何せこの時の華嶺行者ときたら、夕暮れ前に仕留めた若い牝鹿を肩に担ぎ、内臓は傷みやすいため廃棄したものの歩いていれば血抜きになるだろうと、首から血を流す牝鹿の頭がぶら下がっているのだ。

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離れた位置からでも濃密に漂う血臭と、血に濡れた鹿の毛皮が発する獣臭は大型肉食獣を思わせた。迫りくる死そのものである華嶺行者は、しかし焚火の前にどっかりと座り込んだ。

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少年が身を固くしていると、おもむろに腰の辺りを掴まれ、凄まじい力で引き寄せられた。少年は己の体に獣の牙が突き立つのを覚悟していたが、一向にその瞬間は訪れない。

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それどころか、如何なる妖術によるものか、己を拘束していた荒縄と猿轡が消えており、自由を取り戻せたことに気が付いた。

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「お……俺は助かったの……か?」

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少年は己の無事を確かめながら周囲を見回し、最後に焚火へと目をやった。果たして焚火を挟んだ向かい側に、満面の笑みを浮かべた華嶺行者が居た。

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声も上げず、逃げ出しもしなかった少年を褒めたいところだが、実の処は脚が震えて立ち上がることすらできなかったのだ。

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沈黙したまま笑みを浮かべ続ける華嶺行者を少年は見つめた。いかつい容貌だが、笑みを浮かべていると不思議な愛嬌があり、ここで初めて少年は相手が人型の何かであると気が付いた。

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「御身(おんみ)は山の神であられるや?」

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少年は震える声で対面の怪人に語り掛けた。

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「はっはっは。拙僧はそんな大層なものではござらぬ。火種をお借りしようと参った旅の僧侶でござる。難儀しておられた様子だが大事ないかな?」

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目の前の存在が自分と同じ人間だとは信じがたかったが、華嶺行者の泰然とした様子と落ち着いた口調に少年の緊張は少しずつ解けていった。

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「命を救って頂いたというのに失礼した。まことにかたじけない」

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「拙僧は何もしておらぬよ。面(おもて)をあげられよ」

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華嶺行者の言葉通り、彼は実際に何もしていない。勝手に相手が逃げ出しただけのこと。少年の拘束を解いたのも片手間でしかない。

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「某は……家名はもう名乗れぬな。某は七助(しちすけ)と申します、お見知りおき下され」

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「ふむ、何やら訳ありのご様子。拙僧は華嶺(かれい)と申す、親しい者からは華嶺行者と呼ばれておりまする」

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一瞬言い淀んだだけで訳ありだと見抜いたものの、それについて問う事も無く会話を続ける華嶺行者と少年は次第に打ち解けていった。

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その身一つで諸国を渡る華嶺行者の話は面白く、確かな知性を感じさせる話しぶりとは真逆の破天荒な行動に少年は腹を抱えて笑い転げた。

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冷たい地面に転がったまま空を見上げると、樹冠の合間に蒼白い月が見えた。七助はこれ程までに笑ったのは、一体いつぶりだろうと記憶を振り返った。

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そして一瞬渋面を浮かべたが、ふと眉を緩めると身体から力を抜いて話し始める。

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「ここで会ったのも何かのご縁。華嶺行者どのの話とは比ぶべくもないが、某の身の上話を聞いては頂けまいか?」

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「かつては仏門に身を置いたこともあり申す、迷える衆生の話を聞くのに否やはござらぬ。気負わず話されよ」

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そうして七助の口から語られたのは、戦国の世ではありふれた物語であった。

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名前に七が入っていることからも判るように、子だくさんだった七助の兄弟たちは、父親の急死を機にして骨肉の跡目争いをすることとなった。

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紆余(うよ)曲折(きょくせつ)あったものの七助は争いに敗れ、己を支持してくれた者たちによって逃がされたことにより、国許を追われた放浪の身の上となったのだ。

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跡目争いをするほどの家であるため、今まで旅などしたことも無い七助は、すぐに路銀を使い果たしてしまい食うや食わずの生活となっていた。

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狂おしい程に腹は減っているのだが、どうしても己の矜持(きょうじ)が邪魔をして盗人に身を落とすことが出来ず、いっそ死ねば楽になるのではないかと思い立って山へ足を運んだのだった。

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「そうして山中を歩いていると、前(さき)の山賊が如き連中と鉢合わせとなり、これだけはと売らずにいた懐刀をはじめ、身ぐるみ剥がされた上に人買いに売られる寸前だった」

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「なるほど苦労をされたのであろう。しかし、死にたいとは穏やかではござらぬな」

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「某の人生はお家の為にあったのだ。しかし、お前は要らぬと断ぜられ、それでも何とか生を拾ったが、家から離れた己の無力さに呆れ果て、生きることに疲れ申した」

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「ふむ、なれば七助殿。拙僧が一つ飯をご馳走しようではないか。腹が減っているからつまらぬことを思い悩むのでござろう」

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「なっ! 幾ら恩人といえども、つまらぬこととは聞き捨てならぬ」

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「まさにそれでござろう? 腹が減っているから激し易い。そうは待たせぬゆえ、しばし寛いでおられよ」

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激昂して食ってかかる七助の怒りを、華嶺行者は柳に風とばかりに受け流し、背負っていた背嚢(はいのう)から大きな鉄鍋を取り出すと火にかけた。

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七助は華嶺行者の手際の良さに怒りも忘れて見惚れていた。華嶺行者はその辺りに転がっている石やら木片やらを巧みに使って、瞬く間に即席の竈を組み上げる。

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焼けた鍋肌から煙が上がるのを待って、華嶺行者は懐から油紙に包まれた白い脂身を取り出して鍋に落とす。

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白い脂身が熱されて透明な油となると、甘いような香ばしいような匂いが辺りに漂い始めた。

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思わず七助が喉を鳴らすと、華嶺行者は拾ったのであろうオニグルミを素手で割って中身を取り出し、これも採取したのであろうむかごと一緒に炒め始める。

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油にクルミの香りが移ったところで、牝鹿の背肉を一口大に切って次々と鍋に放り込んだ。肉の焼ける芳香が立ち上ると、七助は走り出したいような気持になった。

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更に華嶺行者はチチタケやタマゴタケ、乾燥させた行者ニンニクなども放り込むと水を注ぎ、七助の方を見てニヤリと笑うと大事そうに取り出した容器から何やら黄色い粉を鍋に一掴みほど投じた。

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その時生じた変化を七助は終生忘れられないだろう。悪く言えば山菜のアクなどが浮いたドブのような汁が、この世のものとは思えない程に華やかで馨(かぐわ)しい煮物に変じたのだ。

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死のうと思っていた七助の体は、生命力の塊のような香りに素直に反応した。即ち、盛大にぎゅるりと鳴いたのだ。

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「ほれ、体は正直であろう? 頭で死にたいなどと思ってみても、美味そうな食い物を前にすれば生きたいと叫ぶのが人というものよ」

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「くっ! しかし、某はこれほどまでに腹が空く匂いを嗅いだことが無い。一体何と言う料理でござろう?」

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「ふふふ。これこそが見果てぬ天竺(てんじく)の香り、拙僧の名として頂戴した至高の逸品、号して『かれい』と称す」

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「かれい……」

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ごくりと七助の喉が鳴る。充分に火が通って煮えたところで、華嶺行者は木椀にたっぷりとカレー汁を注いで七助に持たせてやった。

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「本来は炊き立ての飯に掛けて食すのが極上なれど、山中ゆえに汁とした。さあ、存分に食されよ。これが『かれい』! これこそが生きる意味というものよ!」

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七助は華嶺行者の言葉を殆ど聞いていなかった。汁から立ち上る香りを胸いっぱいに吸い込むと、脳髄が痺れたようになる。箸で具材を掴む時間も惜しいとばかりに、木椀に直接口を付け流し込むかのように掻き込んだ。

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誇張ではなく七助の瞳孔は開き、全身の毛穴から汗が噴き出す。舌では旨みと辛みが爆発し、脳には絶え間なく快楽が走り続けた。

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少年らしい旺盛な食欲で一息に椀を平らげると、無言で華嶺行者に差し出す。華嶺行者はその様子を微笑ましく見守り、溢れる程に中身を満たして返してやった。

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そこから二人は口々に快哉を叫びながら、魅惑の料理に酔いしれその素晴らしさを讃(たた)え合った。

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「ぶふう……も、もう入らぬ……」

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七助は鱈のように膨れ上がった腹を晒して仰向けになっていた。華嶺行者は最後の一滴まで鍋底を浚って食べつくすと、七助と同じようにごろりと身を横たえた。

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「さて、七助殿。まだ死にたいと思われるかな?」

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「くふふ……意地悪を申されるな。これ程の体験をして死にたい等と思うはずがない。なるほど、腹が減るから下らぬ事を考えるとは至言であった」

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「そうであろう? 拙僧はこれを食したいが為に仕官し、かれい粉を欲しいだけ下さる主に御恩を返しておる」

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「世はこんなにも素晴らしいものに満ちておる。某が勝手に世を儚(はかな)み、己が境遇を恨み、ままならぬ世を嫉(そね)んで素直に見ようとしておらなんだのだな」

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「七助殿よ、行く宛が無いのであれば拙僧の主に仕えぬか? 何はさておき、飯は腹いっぱい食わせて頂ける上に、かれいのような素晴らしい料理を味わわせて頂けるぞ?」

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「折角だから、お言葉に甘えるとしよう。ただ美味い飯を食べるために生きるというのも一興」

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「然様か。ならば今宵は山を枕に月を眺めて眠るとしよう。朝になれば山を下りて、我が主の許へと向かおうぞ」

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そう言うと華嶺行者は寝息を立て始め、その様子を苦笑しながら横目で見ていた七助も膨れ上がった腹を撫でながら目を閉じる。

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破天荒だが魅力あふれる華嶺行者が主と仰ぐ存在。まだ見ぬ主君を妄想しながら七助は眠りに落ちていった。