戦国小町苦労譚
千五百七十五年 十一月中旬
在東國征伐的善後工作告一段落後的十一月中旬,靜子率軍朝京城進發。
東国征伐の戦後処理が一段落した十一月中旬、静子は軍を率いて京を目指していた。
雖然正處於信長下達的幽居令中,但作為例外,為了作為藝事保護的一環而被允許外出,前往法隆寺。
信長から申し渡された蟄居中だが、例外的に外出が認められる芸事保護の一環として法隆寺に向かうためだ。
之所以不直接前往大和(現今奈良)而繞道京城,是為了順道拜會義父近衛前久,向他致謝並問候,感謝他千方百計安排讓她得以觀賞法隆寺所自豪的金堂壁畫。
直接大和(現在の奈良)へ向かわずに京を経由するのは、法隆寺(ほうりゅうじ)が誇る金堂(こんどう)壁画(へきが)を閲覧するためにほうぼう手を尽くしてくれた義父の近衛前久に礼を兼ねて挨拶をするためであった。
金堂壁畫是指繪於法隆寺金堂(供奉本尊的建築)內,區分為供奉佛像的內陣與供信眾參拜的外陣的土壁面上的佛教繪畫。由於缺乏史料,作者不詳,被認為繪於七世紀末。
金堂壁画とは法隆寺の金堂(本尊を安置する建物)内を二つに区分する内陣(仏様を祀る場所)、外陣(参拝する空間)に配置された土壁の壁面に描かれた仏教絵画である。歴史的な資料が存在しないため作者不詳であり、7世紀末頃に描かれたとされる。
史實上,二戰後的1949年外陣因一場可疑火災而燒毀,僅有為修復而拆下的內陣小壁上的二十幅壁畫倖免於難現存至今。
史実に於いては第二次世界大戦後の1949年に不審火で外陣が焼失してしまい、修復の為に取り外されていた内陣小壁の壁画20面のみが難を逃れて現存している。
知悉此等經緯的靜子,打算在保存狀況尚可時先拍攝留下資料。這亦是一項可以檢驗剛完成實用性試驗的相機能否成事的試金石工程。
そうした経緯を知っている静子は、少しでも保存状態の良いうちに写真に撮って資料を残そうと考えた。ようやく実用試験に漕ぎつけた写真がものになるかをはかる試金石となる事業でもあった。
能以照片而非臨摹把在靜子出生的時代已永遠消失的存在傳給後世,這件事讓靜子比東國征伐時還要激動。
静子が生まれた時代には既に永久に失われてしまった存在を、模写ではなく写真として後世に伝える機会を得られたことに静子は東国征伐よりも高揚していた。
「可以親眼看到平時不公開的藝術品!這才是藝事保護的好處嘛!」
「一般公開されない芸術品を目にできる! これこそ芸事保護の役得だよね!」
起初是受朝廷委託、由信長命令的藝事保護任務,但如今已名實相符成為靜子的終生志業。
端緒こそ朝廷からの依頼を受け、信長から命じられた芸事保護の役目だが、今では名実ともに静子のライフワークとなっていた。
即便信長命她卸任,她也打定主意要頑固堅守不放。身在現代時的靜子乃所謂的歷女,喜愛回顧悠久史事並對當時風物懷抱遐想。
仮に信長が任を離れるよう命じたとしても、頑としてしがみつく心づもりですらあった。現代にいたころの静子はいわゆる歴女、悠久の歴史を振り返って当時の風物へと思いを馳せる女だ。
對於能親眼或親手觸碰相當於現代國寶級的珍物,她絕無把這等特權讓給他人的打算。
現代ならば国宝級に相当するような代物を直接見たり触れたりできる特権を誰かに譲り渡すつもりなどさらさらなかった。
平日個性較為柔弱的靜子,在藝事保護與刀劍蒐藏上卻顯露出近乎鬼氣逼人的執著,面對她那般拼命的樣子就連信長也只能苦笑。
普段は押しの弱い静子が、芸事保護や刀剣蒐集に関しては鬼気迫る執着を見せることが判り、その懸命な様子には信長も苦笑するしかなかった。
「各位,這次遠征的成果將決定相機的價值。大家振作起來!」
「さあ皆、この遠征の結果如何(いかん)でカメラの価値が決まるんだ。気合を入れていこう!」
靜子在隊伍中段環顧四周,一邊指向大概是京城的方向一邊下令。見她少有的高昂情緒,周遭的人雖苦笑但仍肅然前進。
静子は隊の中ほどで周囲を見回しながら、恐らく京と思われる方角を指さして号令した。いつになく高揚している静子の様子に、周囲は苦笑しつつも粛々と進んでいった。
「我真不懂靜子哪些點會讓她有幹勁。」
「俺には静子がやる気を出すツボが判らん」
「我倒是有點懂。這是靜子大人親自掛心的『相機』的揭幕,若當作要展示長久修練成果,自然能理解不是嗎?」
「某には少し判る気がする。静子様肝煎(きもい)りの『かめら』のお披露目だ、長い修練の成果を見せるようなものと思えば理解できよう?」
「我可不只這麼認為。即便沒人承認,『相機』的價值已經被靜子和上樣認可,無可動搖。不過話說回來,光為了看寺廟的壁畫跑到大和那邊去,倒也真是個雅興。」
「俺はそれだけとは思わんがね。誰が認めなくとも『かめら』の価値は、既に静っちと上様が認めているから揺らぎようがない。まあ、そうは言っても寺の落書きを見るためだけに、大和くんだりまで出かけるのは酔狂だと思うがね」
慶次接過聽到長可低語的才蔵之言,做出總評。當事的靜子心情極好,幾欲哼起小曲,根本沒聽進他們的竊語。
長可の呟きを聞きつけた才蔵の言葉を慶次が引き継いで総評を下した。当の静子は鼻歌でも歌いださんばかりの上機嫌で、彼らの内緒話など耳に入っていなかった。
此次前往大和的隊列成員空前龐大。
今回の大和行きの隊列は、いつにない大所帯となっていた。
除了長可、才蔵、慶次三人外,靜子軍中亦挑選精銳,多達五千人隨軍。他們守護的不只是主君靜子,還有此次重點──攝影技師與整套攝影器材。
長可、才蔵、慶次の3人は当然として、静子軍の中でも精鋭が選抜され五千名もが従軍している。彼らが守るのは主君たる静子は勿論、今回の目玉である写真技師及び撮影機材一式。
為了途中經由京城與義父前久見面,已被安排為教導係並負責各項事務的森可成也一同隨行。
道中で京を経由するため、義父である前久(さきひさ)と顔合わせをさせるべく四六に器、教育係に収まった森可成も同道している。
此外還打算把新雇的家人──虎太郎、彌一、璐璃、紅葉這四名猶太人──介紹給前久。
更には新たに雇い入れた家人として、虎太郎(こたろう)、弥一(やいち)、瑠璃(るり)、紅葉(もみじ)のユダヤ人四名も前久に紹介するつもりだ。
他們各有所長,與前久結好決非虧損之舉。
彼らはそれぞれに一芸に秀でた才の持ち主であり、前久とよしみを結ぶことは決して損にはならない。
再者,若無此類機會,他們會埋首於工作而幾乎不肯好好休息。
それにこういう機会でも無ければ、彼らは仕事に掛かり切りになってしまい、ろくに休みを取ろうとしないのだ。
於是靜子想出一計,以露面作名目帶他們來遊山玩賞;置於無法實際工作的環境,想必能讓他們轉換心情。
そこで静子は一計を案じ、こうして顔見せと言う名目で物見遊山に連れてきている。物理的に仕事しようがない環境に置けば、彼らも気分転換になるだろうと言う思惑だ。
順帶一提,靜子本人已陷入工作狂,卻未意識到自己正讓相關人員焦急不安。
因みに静子自身がワーカホリックに陥っており、関係者をやきもきさせているという事には無自覚であった。
(多虧上樣發了朱印狀,旅途真是順利舒適啊)
(上様が朱印状を発してくださったお陰か、道中が快適だなあ)
關於靜子這次前往大和的行程,信長已事先向沿途的國人下發朱印狀。
静子の大和行きに際して、事前に経路上の国人に対して信長から朱印状が届けられていた。
當然靜子也交出黑印狀請求照顧便利,但信長寄來的朱印狀所載內容更甚於此。
当然静子自身も黒印状を出して便宜を図って貰うよう依頼していたが、信長からの朱印状にはそれ以上の内容が記されていた。
即是,信長幾近威脅般的命令:『對靜子的赴大和行給予最大程度的便利,若有任何不軌者現身,則以武力鎮壓。』
即ち、『静子の大和行きに対して最大限の便宜を図り、万が一にも不埒ものが現れようものなら武力を以て鎮圧する』という信長からの脅迫に近い命令であった。
見到朱印狀的國人們面色大變,紛紛去確認轄內路線,若道橋有損便急忙修繕,並在周邊山林進行山狩,拼命掃蕩山賊。
朱印状を見た国人たちは血相を変えて領内の順路を確認に赴き、道や橋などが傷んでいれば急いで普請を施し、付近の山々に対しても山狩りを行い野盗の一掃に血道を上げた。
在先前的東國征伐中,雖說曾遭遇慘敗,但傳聞其英勇立下赫赫戰功,幾乎未受重大損失便把武田·北條聯軍四處擊散。
前(さき)の東国征伐では、一敗地に塗(まみ)れたとは言え、殆ど損害も出さずに武田・北条連合軍を散々に追い散らしたという武勇が鳴り響いている。
僅因得罪靜子便令人畏懼,再加上信長的再三叮嚀,各地不敢有絲毫差錯,甚至有的領主親自到關所迎接。
静子の不興を買うだけでも恐ろしいと言うのに、更に信長からも念を押された形になり、僅かな粗相(そそう)もあってはならぬと、国主自らが関所まで出迎える領地すらあった。
此外,關於靜子軍的謠言也起了推波助瀾之效,加劇了大家的恐懼。
更には静子軍に対する噂も、彼らの抱く恐怖を煽り立てるのに一役買っていた。
據說靜子軍成員出身各異,不僅有純粹的武人,還有陷入困境的農民、匠人之子,乃至浪人與曾為山賊出身的無賴也都有所包含。
話によれば、静子軍を構成する人間の出自はバラバラであり、生粋の武人だけでなく、食い詰めた百姓や職人の倅(せがれ)や、浪人はおろか野盗上がりの元ならず者すら抱えていると言う。
原本通常只會是一群充其量成為無賴流氓的烏合之眾,卻被整合成以靜子為首、擁有鋼鐵般團結的組織。
通常であれば愚連隊(ぐれんたい)になるのが関の山という烏合の衆を、静子を頂点とする鋼の結束を誇る組織に纏め上げている。
愛說閒話的人將他們稱為崇拜靜子的狂信者,人人皆心服口服;那些想從內部瓦解靜子軍的人反而被吞併成了其棋子,悔不當初。
口さがない者は、彼らを指して静子を崇める狂信者と言う程には皆が心酔しており、内部から静子軍を切り崩そうと企んだ者たちは逆に手駒を取り込まれて臍(ほぞ)を噛んだ。
因此靜子軍的內部情形幾乎不為外人所知,流傳出去的多是被失敗的策略者出於悔恨而誇大散布的惡評。
そうした経緯から、静子軍の内情は外部に殆ど伝わらず、調略に失敗した者たちが悔し紛れに流布させた悪評のみが誇張されて伝わっていた。
雖不能說全然聽信那些消息,但諺語有云「無風不起浪」,國人們便把他們視作移動的天災,全力排除萬難讓隊伍通行。
そうした情報を鵜呑みにした訳ではないが、『火のない所に煙は立たぬ』の諺もあり、国人たちは彼ら一行を移動する天災と捉え、万難を排して通過させることに尽力することとなった。
「這次的路線不在安排內,但如果行程有餘裕想順道去春日大社看看……說不定寶庫裡有『那個』。」
「今回の順路には入ってないけれど、日程に余裕が出来たら春日大社にも寄りたいなあ……宝庫に『アレ』があるかもしれないし」
靜子所說的「那個」,指的是1939年(昭和14年)於寶庫天花板縫隙中發現的、從平安至鎌倉時代流傳下來的十二口名刀。
静子の言う『アレ』とは、1939年(昭和14年)に宝庫天井裏から発見された平安時代から鎌倉にかけての名刀12口(ふり)を指す。
雖然不確定何時被藏起,但至少在第二次世界大戰結束前就被發現,因此可排除是為了避開戰後GHQ實施的沒收刀劍的說法。
いつ頃に隠されたのかは定かではないが、少なくとも第二次世界大戦終結前に発見されているため、戦後にGHQが実施した刀狩りを避けるためという説は否定出来る。
不過若正大光明地申請搜查,很可能會被先行發現並遭到隱匿,因此他們安排周到,只求取得寶庫閱覽的許可。
とは言え、真正面から捜索を願い出れば、先に発見された挙句に隠匿される可能性もあるため、宝庫閲覧の許可のみを得られるよう手回しを整えていた。
原本沒打算停留,而且也有可能拿不到許可,但靜子仍讓一行隨行有能拆解並重建建築的宮大工等工匠同行。
元々立ち寄る予定はない上に、許可が得られない可能性もあると言うのに、静子は一行に宮大工をはじめとした建物を解体し、再構築できるだけの職人を同行させていた。
(大概即便在現時也還被藏著吧,不過沒有確證……)
(恐らく現時点でも隠されていると思うけど、確証はないからなあ……)
歷史記載中刀身是鏽蝕狀態被發現,但若是在現時,應能以更良好的保存狀態發現。想到尚未見過、被視為國寶級的名刀,靜子心中興奮不已。
史実に於いては刀身が錆びついた状態で発見されたが、現時点であればもっと保存状態の良い状態で発見できる。まだ見ぬ国宝級とされる名刀に思いを馳せ、静子は心を躍らせた。
由於靜子一行隊伍龐大,不得不選擇陸路前往京。
静子一行は大所帯であるため、京へと至る経路に陸路を選ばざるを得なかった。
即便湖上水運再怎麼發達,因為以小型到中型船舶為主,不適合大規模運送人員。
如何に湖上水運が整備されているとは言え、小型から中型船舶が主流であるため、大規模人員輸送には適さなかった。
因此送給前久的土產等先行經琵琶湖送往京,而靜子一行則在安土留宿一晚。
そこで前久への土産等は一行に先んじて琵琶湖経由で京へと届けられ、静子一行は安土で一泊することとなった。
安土既是信長的居所,不論身分為何,皆有義務在此留宿一晚。
信長の御座所でもある安土では、如何なる身分の人物であろうとも一泊することが義務付けられている。
靜子拜謁信長,並致上問候。
静子は信長に拝謁し、挨拶を述べた。
講述途中情形等後起身告辭,派人詢問高虎近況,但安土城工事正值關鍵階段,無法排出時間。
その他にも道中の様子などを語って席を辞すと、高虎に近況を聞こうと遣いを出したが、安土城の工事が佳境に差し掛かっており、時間が折り合わなかった。
代替的是總奉行丹羽前來說明情況。
代わりに総奉行である丹羽が出向いて状況を説明する運びとなった。
據說預計年明之後天守將完成,信長會待其完工後遷入,若如此一來,他將成為日ノ本首位在高層建築中生活的人物。
聞けば年明けには天守まで完成する見込みであり、それを待って信長が移り住むことが予定されており、そうなれば信長が日ノ本で初めて高層建築で生活を営んだ人物となる。
在參與安土城築城的人手忙到不可開交時,靜子留在那裡反而會妨礙他們。只做了最低限的問候後,靜子翌日離開安土,直奔京城。
安土城築城に携わる関係者が忙殺される中、静子が居ては相手をしない訳にもいかず彼らの邪魔をすることになる。最低限の挨拶だけを済ませた静子は、翌日安土を発ち一路京を目指した。
果然安土至京之間的街道修得很好,不久靜子一行便進入京。
流石に安土−京間の街道は良く整備をされており、程なくして静子一行は京へと入る。
「多蒙光臨。長途旅程定然疲憊,不如稍作歇息如何?」
「よくぞ参られた。長旅の疲れもあろう、しばし寛いでは如何(いかが)かな?」
靜子一入京便在京邸安頓,隨即派人向前久先報。
静子は京へ入ると京屋敷へ身を落ち着け、早速前久へと先触れを遣わせた。
回信正是前述那句話,並說會待時機成熟由前久派人迎接。
そこで返ってきたがのが前述の言葉であり、頃合いを見て前久から迎えを寄越すとあった。
靜子接受前久的好意,解下旅裝沐浴更衣整頓。
静子は前久の好意に甘えることにし、旅装を解いて湯浴みをして身支度を整えた。
恰似等候靜子整裝之時,前久的使者到訪,陪同靜子前往近衛家的屋敷。
まるで静子の支度が整うのを待っていたかのようなタイミングで前久の遣いが訪れ、静子を伴って近衛家の屋敷へと向かう。
被引入前久的居室後,前久難得穿著衣冠(いかん)(宮中的公務服)親自熱情迎接靜子。
前久の居室へと通された静子は、珍しく衣冠(いかん)(宮中等の勤務服)姿の前久自ら手厚く迎えてくれた。
雖然在入京前就已先行通報抵達,但或許他是從內裏匆忙返回來的也說不定。
京へと入る前から到着の先触れは出していたが、もしかすると内裏(だいり)から急いで戻ってきてくれたのかも知れない。
靜子在還未正式成為前久的猶子之前,並未見過他多有貴族氣度,此刻看到他的模樣才再度覺得他確實是作為攝政在宮中位列頂點的人物。
前久と猶子(ゆうし)を結ぶ前から余り貴族らしい振る舞いを見てこなかった静子は、彼の姿を見て改めて摂政という宮中の頂点に君臨する存在だと自覚した。
前久露出笑顏,以善意對待靜子,但近衛家僕役們臉色仍很僵硬;這也無怪,前久對靜子的人品十分瞭解,然而他們卻不然。
前久は相好を崩し好意的に静子に接するが、近衛家の家人達が浮かべる表情は硬い。それもそのはず、前久は静子の為人(ひととなり)を知悉(ちしつ)しているが、彼らはそうではない。
在許多公家困頓之際,近衛家的財政仍相當富裕。
多くの公家達が困窮する中、近衛家の財政は隆々たるものがあった。
本就為五摂家首位的近衛家,家業不會輕易衰落,但自從迎靜子為猶子後則劇烈復甦。
元より五摂家筆頭である近衛家の身代はそう易々とやつれるものではなかったが、静子を猶子に迎えて以降劇的に盛り返した。
作為把尾張發出的各種文物帶入京中的流行推手,並在靜子的指導下推進莊園經營改革,結果雖未達曾作「望月の歌」之藤原卿的程度,卻也名實相符地躍升為公家之頂點。
尾張から発信される様々な文物を京へ伝える流行の担い手にして、静子の手ほどきを受けて荘園運営改革を推し進めた結果、かつて『望月の歌』を詠んだ藤原卿程ではないにせよ、名実共に公家の頂点へと駆けあがった。
今日的賓客正是那些變革的原動力,家人們心裡有種迫切感:若冒犯了對方,恐怕不只自家滅亡那麼簡單,於是萎縮不前。
今日の賓客はそれらの原動力となった人物であり、万が一にも不興を買えば我が身の破滅程度では済まないと言う切迫した思いが家人を萎縮させていた。
「話說久別重逢,若這般拘謹也難以放鬆。我已在別室備了一席,可否到那裡聊聊土產趣事?」
「さて、久々の顔合わせだと言うのにこうも堅苦しくては気も休まるまい。離れに一席用意させたので、そちらで土産話でも聞かせてはもらえまいか?」
「多謝您的關心」
「お気遣い痛み入ります」
在靜子答應後,前久起身領路,親自帶領到別室就座。
静子の応諾を待って前久が席を立ち、彼自らが先導する形で離れへと席を移した。
前久引以為傲的別室內擺有冒著熱氣的煎茶和兩份輕食,義父與義女面對面入座。
前久自慢の離れには、湯気を立てる煎茶と軽食が二膳用意され、義父と義理の娘が向かい合う形で席へ着いた。
(果然是京城。就連一餐也和尾張、美濃……不,和武家式樣不同。)
(流石は京だね。食事一つとっても尾張や美濃……いや、武家様式とは異なるんだね)
即便只是輕食,連擺盤與裝飾都講究,從膳具、器皿到小物都極盡奢華,實在雅緻的懷石料理。
軽食とは言え、料理の盛り付けやあしらいにまで気を配り、膳や器、小物に至るまで贅を凝らした実に雅な懐石(かいせき)となっていた。
相較之下,尾張與美濃可說是實利主義,去除虛飾,以料理的味道與份量取勝,頗有豪氣。
対する尾張や美濃では、良く言えば実利主義であり虚飾を排し、料理の味と量で勝負するという豪胆さがあった。
並無優劣之分,只能視為文化差異而接受。
どちらが優れていると言うものではないが、これも文化の違いと受け入れた。
「聽說此次前往大和,將成為保護藝能的一次試金石?」
「此度の大和行きは、芸事保護を行う上で試金石となると小耳に挟んだのだが?」
「您消息真靈通。是的,長久以來研究的『相機』終於有了具體成形。」
「随分と良いお耳をお持ちですね。そうです、かねがね研究を続けて参りました『カメラ』がようやく形になりまして」
「哦!那就是傳說中能瞬間把世界攝下來的那個嗎?」
「ほう! それは、一瞬にして世界を写し取ると噂の?」
「您消息真靈通。這次前往大和是打算評估是否能實用,並以結果在京城普及。」
「本当にお耳が早いですね。今回の大和行きで実用に耐えるか評価し、その結果を以て京でも広めていこうと考えております」
「原來如此。這樣一來,真為以前戰亂中失去許多文物而惋惜。」
「なるほど。そうなると前のいくさで多くの文物が失われたのが口惜しい」
所謂的前一場戰事指的是應仁之亂,自奈良時代到平安時代達到極盛的朝廷文化已歸於灰燼。
前のいくさとは応仁の乱を指し、奈良時代から平安にかけて栄耀栄華を極めた朝廷文化は灰燼(かいじん)に帰している。
持續長達十一年的戰亂使京城荒廢,市街等北部一帶盡被燒毀。
11年にも亘って続いた戦乱によって京は荒廃し、京の市街などは北部一帯が焼け落ちた。
治安惡化導致夜盜橫行,且屢遭戰禍,許多具高歷史價值的書籍、金物與藝術品一一喪失。
治安の悪化から夜盗が横行し、他にも度々いくさに巻き込まれ、歴史的価値の高い書物や金品、芸術品などは軒並み失われてしまった。
如今在信長的庇護下,治安已恢復,作為日本少數的大城市之一復興。
現在は信長の庇護下、治安も回復し日ノ本有数の都市として復興していた。
京城恢復平穩後,以天皇為中心的朝廷文化與以大眾為主的庶民文化互相影響,逐漸形成獨特文化。
京に平穏が戻ると、帝を中心とした朝廷文化と、大衆を中心として庶民文化が相互に影響し合い、独特の文化を形成しつつあった。
「既然已然失去的東西無可挽回,但有了『カメラ』就能長久留存事物的樣貌吧?」
「既に失われてしまったものはどうしようもないが、『カメラ』があれば物の在り様を永く留め置けるのであろう?」
「自從承擔起藝事保護的職責以來,也曾在京城找到被認為已失去的資料。『カメラ』能大幅縮短複寫資料的時間,對藝事保護也是一大助力。」
「芸事保護のお役目を頂戴して以降、京でも失われたと思われていた資料を見つけたことも御座います。『カメラ』が資料を複写する時間を大幅に削減してくれます。芸事保護にも弾みがつこうというものです」
「那真是再好不過。總有一天想見見這所謂的『カメラ』。」
「それは重畳(ちょうじょう)。いずれ『カメラ』とやらを見たいものよ」
隨著靜子在藝事保護方面聲名鵲起,散落日本各地的文藝品與資料紛紛匯集而來。
静子の芸事保護が有名になるにつれ、日本中に散逸した文芸品や資料等が続々と集まるようになってきていた。
在編纂接近《群書類從》之類的資料時,發現了被認為遭竊的古書,也有為避戰禍而搬運出來的資料被帶來集合。
群書類従(ぐんしょるいじゅう)に近い資料を編纂する中で、盗難被害に遭ったとされる古書が発見されたり、戦災を避ける為に持ち出されていた資料が持ち寄られたりしている。
為避免這些古書與資料再度流失,靜子親自複製,並將部分託付給近衛派的公家們,承擔起朝廷文化的保存工作。
これらの古書や資料などは再び紛失しないよう、静子の手により複製が作られ近衛派の公家達にも一部が託され、朝廷文化の保管を担っていた。
崇尚歷史與格式的公家中,管理貴重資料的近衛派公家逐漸備受重視,終於形成一個龐大的派閥。
歴史や格式を重んじる公家達の中で、貴重な資料を管理している近衛派の公家達は一目置かれるようになり、いつしか一大派閥を形成するまでになっていた。
「無意責難,但武家的人常有輕視藝事的傾向。雖有理解者,但多數以是否能變現作評斷。當然金錢價值是重要指標,但也希望能讓人知道隨筆等作品也有應當留給後世的美。」
「誹(そし)るつもりはないが、得てして武家の人間は芸事を軽んじる向きがある。中には理解を示す御仁も居られるが、多くは金になるかならぬかが評を分ける。無論、金銭的価値も重要な指標だとは思うのだが、随筆なども後世に残すべき美があると知って貰いたいものだ」
「那樣的事屬於個人性向,確實有難處。武家中許多人行事匆促,連本應較為親近的刀劍蒐集也常得不到理解……」
「そればかりは個人の性向ですゆえ、難しい面もあるでしょう。武家の方々は生き急ぐ方も多く、比較的身近であるはずの刀剣蒐集などにも理解を示されないこともしばしば……」
「多元價值觀的共存竟是如此困難,至少得努力讓彼此有適當的分際。」
「多様な価値観の共存とは斯(か)くも難しい、せめて棲み分けが出来るよう力を尽くさねばならぬ」
「略盡綿薄之力幫忙。」
「微力ながらお手伝い致します」
邊聊著這些話,靜子在近衛邸過了一夜。昨晚前久邀請了自派的公家設宴,成了盛大的宴會。
そんな会話を交わしつつ、静子は近衛邸で一夜を過ごした。昨夜は前久が自分の派閥の公家を招き、宴席を設けたため盛大な会食となった。
靜子帶來的稀有食材與隨行廚師烹調的菜餚擺滿席面,前久也算是名副其實地出了一口氣。
静子が持ち寄った珍しい食材や、静子が連れてきた料理人の振る舞う料理が並び、前久も面目躍如といったところだろう。
前久輪流介紹自派的公家,但靜子幾乎難以記住他們。
前久が自派の公家達を入れ替わり立ち替わり紹介するのだが、静子の頭にはまったくと言って良い程入ってこなかった。
她想著只要維持聯繫就好,便以笑容應對,心裡卻感到厭倦。
取りあえず顔を繋ぎさえすれば良いと割り切り、にこやかに応対していたが内心辟易していた。
翌晨,晨霧籠罩,靜子一行離開近衛邸。四六與器,以及教育係可成留在近衛家,等待靜子一行自大和回來。
翌朝、朝靄(あさもや)が立ち込める中、静子一行は近衛邸を後にした。四六と器、教育係の可成は近衛家に残り、大和より戻る静子一行を待つことになる。
在此,四六與器將學習作為公家子女最低應知的禮節與事務。
ここで四六と器は、公家の子女として最低限心得ておかねばならないことを学ぶこととなる。
因為前久已承擔起他們的教育,且可成也同行,靜子判斷他們不會遭遇不妥的處理。
彼らの教育については前久が請け負ってくれたこともあり、可成も同道しているため悪いようにはしないだろうと判断している。
就這樣,靜子一行一路前往法隆寺,與事先負責與法隆寺交涉的足滿會合後,在法隆寺周邊紮營駐紮。
こうして一路法隆寺を目指す静子一行は、事前に法隆寺と交渉役を担っていた足満と合流すると、法隆寺の周辺に陣を張った。
如同信長曾在東大寺所為,靜子命令兵士安撫附近治安,並向法隆寺方面通報到達。
かつて信長が東大寺でそうしたように、静子も付近の治安を安堵するよう兵に命じると、法隆寺側へと到着を伝えた。
因為事先已協商好,除了限制進入境內的人員外,並無其他苛責。
事前に交渉が済んでいることもあり、境内へ立ち入る人間を制限された以外は注文を付けられることもなかった。
靜子也不打算帶著大批武裝兵士,僅同意隨行最低人員。
静子としても武装した兵士を大勢連れ歩くつもりはなく、最低限の人員のみを随行させることで了承した。
法隆寺是約七世紀創建、與聖德太子有關聯的寺院。
法隆寺は7世紀ごろに創建された聖徳(しょうとく)太子(たいし)ゆかりの寺院である。
靜子前往的金堂所在的西院伽藍,被現代稱為世界最古的木造建築群。
静子が目指す金堂が存在する西院伽藍(がらん)は、現代に於いて世界最古の木造建築物群と呼ばれていた。
若攝影順利完成,接著也申請調查以夢殿為中心的東院伽藍。
写真撮影が順調に済めば、続けて夢殿(ゆめどの)を中心とした東院伽藍の調査も申し入れていた。
法隆寺方面雖極力排斥給人無法者印象的武家介入,但因為對方是信長的心腹,且被朝廷委以藝事保護,故無法完全拒絕,採折衷方案,僅在不妨礙僧侶修行的時段內同意。
法隆寺側としては無法者の印象が強い武家の介入を極力排除したいが、信長の懐刀であり朝廷から芸事保護を託された人物であるため無下にも出来ず、折衷(せっちゅう)案として僧侶の修行を邪魔とならない間に限って了承した。
經雙方協商條件後,決定拍攝時法隆寺方面人員必須在場、拍攝結束後迅速撤離,且拍攝器材與顯影器具包含昂貴及危險藥劑,絕對不得未經允許觸碰。
双方がそれぞれの条件をすり合わせた結果、撮影には法隆寺側の人間が必ず立ち会うこと、撮影が済み次第速やかに撤収すること、撮影機材や現像器具等は高価かつ危険な薬剤も存在するため、決して許可なく触れない事を取り決めた。
就這樣,在靜子於法隆寺前駐紮數日後,於斑鳩之地進行了世界首例的攝影。
こうして静子が法隆寺前に陣を張ってから数日後、世界初となる写真撮影が斑鳩(いかるが)の地にて執り行われることとなった。
帶來的相機有兩台。相當於底片的玻璃乾板(以下稱乾板)準備了數百片,作為相紙的蛋白紙素材則帶來約一千張高級越前和紙。
持ち込まれたカメラは二台。フィルムカメラで言うところのネガに相当するガラス乾板(以降、乾板と呼ぶ)は数百枚が用意され、印画紙に相当する鶏卵紙の素材として高級越前和紙を千枚ほどが持ち込まれた。
顯影用的器材多為大型,素為門外漢的法隆寺僧侶們遠遠地膽怯地注視操縱未知器具的技術人員。
現像用の機材については大型の物も多く、文字通りの門外漢である法隆寺の僧侶たちは未知の道具を操る技術者を、遠巻きにこわごわと見守っていた。
「首先拍攝塔(指五重塔)的外觀。」
「まず塔(五重塔(ごじゅうのとう)の事)の外観を撮影します」
現代主流的所謂數位相機,對準鏡頭按下快門瞬間即可完成拍攝並保存數位影像。
現代に於いて主流となっている所謂デジカメは、レンズを被写体に向けボタンを押した瞬間に撮影が完了し、デジタル画像が保存される。
與之相對,靜子他們的乾板攝影在拍攝前後需進行各種工序。
対する静子達の乾板写真は撮影の前後に様々な作業が必要となった。
先將相機固定在三腳架上,打開蛇腹安裝鏡頭,罩上遮光的黑布,打開鏡頭,對著稱為對焦玻璃的霧面玻璃影像,用放大鏡確認並調整焦距。
まずカメラを三脚で固定し、蛇腹を開いてレンズを取り付け、光を遮る黒布を被り、レンズを開いてピントグラスと呼ばれる曇りガラスに映った像をルーペで確認しながらピントを合わせる。
接著在被暗幕覆蓋的臨時暗室內,將乾板裝入底片夾,關上快門並將光圈縮小。
次に暗幕に覆われた即席の暗室内で乾板をフィルムホルダーにセットし、シャッターを閉じてシボリを絞る。
關上對焦玻璃並裝入底片夾,從底片夾抽出遮光板。
ピントグラスを閉じてフィルムホルダーをセットし、フィルムホルダーから遮光板を引き抜く。
在此狀態下啟動機械式快門一次,使其按規定時間曝光,攝影便完成。
その状態で機械式のシャッターを一度だけ作動させ、規定時間露光させることにより撮影が完了する。
之後再將遮光片插回底片夾,並在暗室內取出乾板,這一連串作業要對每張照片都進行一次。
その後、再び遮光板をフィルムホルダーに差し込み、暗室内で乾板を取り出すという一連の作業を写真1枚ごとにすることになる。
即便如此,因感光基材改良而得以縮短曝光時間,一張照片平均仍需約五分鐘左右,但與濕板時代耗費數十分鐘的攝影相比,已是顯著的進步。
これでも感光基材の改良によって露光時間を短くできた方であり、1枚の写真を撮るのに平均5分程度の時間を要するが、湿板時代の数十分かかる撮影と比較すると格段の進歩を遂げていた。
「拍攝完成了!接下來開始顯影。」
「撮影できました! これより現像致します」
持著拍攝完畢的底片夾的技術者走向暗室,開始顯影作業。
撮影を終えたフィルムホルダーを持った技術者が暗室へ向かい、現像作業に入ることになる。
這底片上記錄的影像呈現明暗顛倒,稱為負片,將其投印到塗有感光材料的印畫紙上稱為顯影。
このフィルムに記録された像は明暗が逆転したネガと呼ばれる状態になっており、これを印画紙と呼ばれる感光材料を塗った紙に焼き付けることを現像と呼ぶ。
由於顯影的原理,可由一張負片得到多張照片,能大量複製相同的影像。
この現像の仕組みから、一枚のネガから複数の写真を得る事が出来、同じ写真を大量に作ることが可能となる。
這次靜子等人選用的是稱為蛋白紙的印畫紙。蛋白紙的特徵是價格低廉、適合大量生產,能獲得高對比、鮮明的影像。
今回静子達が選んだ印画紙は鶏卵紙と呼ばれるものを用いる。鶏卵紙の特徴としては安価で大量生産に向き、コントラストの強い鮮やかな像を得られることがある。
在暗室的微弱光線下,將浸泡於硝酸銀溶液的蛋白紙與乾板貼合,然後從暗室帶出曝光,藉此把乾板的影像燒印到印畫紙上。
暗室にて薄明りの中、硝酸銀水溶液に浸された鶏卵紙を乾板と接着し、暗室から持ち出して露光させることにより乾板の画像を印画紙に焼き付ける。
此時透過負片投印出的影像會在明暗及左右方向上反轉。將充分曝光的蛋白紙小心從乾板剝離,並以流水沖洗,影像會逐漸顯現。
この際に、ネガを通して焼き付いた像は明暗及び左右が反転した像となる。充分に露光させた鶏卵紙を乾板から慎重に剥がし、流水で洗うと徐々に映像が浮かび上がってくる。
當得到適度清晰的影像時,將印畫紙浸入定影液,以停止進一步的化學反應。若不這樣做,反應會繼續進行,最終整張印畫紙會被染成全黑。
程よく鮮明な像が得られた時点で印画紙を定着液に浸け、それ以上化学反応が進むことを止める。これをしないとどんどん反応が進み、最終的には印画紙全面が真っ黒に染まることになる。
經過上述程序,終於能得到一張黑白照片的印刷品。
ここまでの手順を踏むことによって、ようやく白黒の写真プリントが一枚手に入れることが出来るのだ。
本來應該連續不停地拍攝,但必須先確認第一張洗出來再行進一步。眾人屏息凝視時,技術者從顯影室走了出來。
本来ならば連続でどんどん撮影を続けるべきだが、まずは一枚焼き上がりを確認しないことには先に進めない。皆が固唾を呑んで見守る中、技術者が現像室より出てきた。
「靜子大人,成功了!!請您確認這張!」
「静子様、成功です!! これをご確認下さい!」
眼睛像孩子般閃亮的技術者遞出一張蛋白紙,上面在棕褐色的背景中黑色地顯出一座巍然矗立的五重塔。
子供のように目を輝かせた技術者が差し出した一枚の鶏卵紙。そこにはセピア調の背景に黒く浮かび上がる五重塔が屹立(きつりつ)していた。
現代人雖然看過許多更清晰的彩色影像,但恐怕從未像現在這樣感動。
現代ではもっと鮮明にカラーで撮影された画像を何度も見たはずだが、これほどに感動することは無かっただろう。
仰賴資料,從無到有一步步打造出來的照片就在眼前,這份感動無法用言語形容。
資料を頼りに、何もない処から始めて一から作り上げた写真がここにある。その感動たるやとても口で語ることなど出来なかった。
靜子一邊眯眼端詳、細細觀賞照片,然後率先把照片轉交給法隆寺的僧侶們。那裡記錄的是用畫筆無法再現的細緻且鮮明的影像。
静子は矯(た)めつ眇(すが)めつして十分写真を堪能した後、真っ先に法隆寺の僧侶たちに写真を回した。とても絵筆では再現できない繊細かつ鮮明な画像がそこには写し取られていた。
僧侶們將照片與實際存在的五重塔相比,驚嘆於其高度還原性。以相同手法沖洗出三張照片,並各自傳閱。
僧侶たちは写真と実際に存在する五重塔を見比べ、その再現性の高さに驚嘆する。同様の手順で3枚の写真が現像され、それぞれに回覧された。
平日對何事都泰然自若、飄然自得的慶次也驚得說不出話來,而在照片研發上多少盡力的足滿則滿意地點頭。
普段は何事にも動じず飄々とした態度を貫いている慶次ですら開いた口が塞がらない様子であり、写真の開発に少なからず尽力した足満も満足げに頷いている。
另一邊,對藝術興趣不大的長可反應平平,而才藏雖然不懂,但仍讚歎總之很厲害,等反應各異。
一方、芸術には然程興味がないため、大した反応を示さない長可、何だか判らないが兎に角凄いと感心する才蔵など反応は様々であった。
「成品很不錯。這樣的話應該能得到上樣的稱讚吧。」
「良い仕上がりです。これならば上様からお褒めの言葉も賜れましょう」
「哈!從此終於能跟被罵是吃錢鬼的日子說再見了!」
「はっ! これで金食い虫と詰(なじ)られる日々ともお別れです!」
長年踏實的研究成果,竟由許多人給予肯定。看到這情景其中一名技術者流下淚水。技術者堅信,對攝影的評價將因此改變。
長く地道な研究を積み重ねた結果が、こうして多くの人に評価される。その様を見た技術者の一人が涙を流した。これで写真に対する評価は変わる、技術者はそう確信していた。
「好了,時間有限。顯影可以稍後再做,先盡可能多拍吧。」
「さて、時間が限られています。現像は後回しにしても良いので、撮れるだけ撮りましょう」
「哈哈!」
「ははっ!」
接到靜子的號令後,技術者們再次開始拍攝。
静子の号令を受けて、技術者たちが再び撮影に取り掛かった。
然而與他們的鬥志相反,相機並未完全正常運作。首先發條式快門停止動作,他們不得不一手拿著沙漏,一手手動操作快門。
しかし、彼らの意気込みに反してカメラは十全には機能しなかった。真っ先にゼンマイ式のシャッターが動作しなくなり、砂時計を片手にシャッターを手で操作する羽目になった。
另外,隨著對拍攝作業變得熟練,或許程序被疏忽,忘記插入保護乾板免遭光線的遮光板,或在搬運途中把乾板掉落摔破,等故障接連發生。
他にも撮影作業に慣れてくると、手順が疎かになったのか乾板を光から保護する遮光板を差し込み忘れたり、運搬途中に乾板を落として割ってしまったりとトラブルが続発した。
在顯影作業方面,由於藥劑昂貴,未能做連續耐久試驗的代價此時顯現出來。定影液每次接觸空氣或進行處理,其品質就會劣化。
現像作業に於いても、薬剤が高価であるため連続耐用試験をしてこなかったツケがここにきて表面化する。定着液は空気に触れたり、処理をしたりする度にその品質が劣化していく。
因為從未用到定影液的極限,導致無法充分定影,感光持續進行,結果做出全黑的照片。
限界まで定着液を使用したことがなかったため、充分な定着が出来ず感光が進んでしまい真っ黒な写真が出来上がったりもした。
在實地運用中雖發生許多失敗,但仍能拍攝到包括金堂全壁面及相當於五重塔立面圖的照片,並把金剛力士像「阿形」與「吽形」也收入照片中。
実地運用に際して多くの失敗もしたが、それでも金堂の壁面全てに加え、五重塔の立面図に相当する写真を撮影でき、金剛力士像『阿形(あぎょう)』と『吽形(うんぎょう)』をも写真に収める事が出来た。
此外,被帶來作為給予休假之用的猶太人彌一,看了拍攝出來的照片似乎有所靈感,便向靜子請求拍攝許可。
また、休暇を取らせる目的で連れて来ていたユダヤ人の弥一だが、撮影された写真を見て閃くものがあったのか、静子に撮影の許可を願い出た。
靜子想要從不同於技術者視角的照片,便批准了拍攝,彌一讓虎太郎擔任翻譯,向技術者指出拍攝要點。
技術者の観点とは異なる視点から撮影された写真を欲しいと考えた静子は撮影の許可を出し、弥一は虎太郎を通訳として技術者に撮影するポイントを示した。
「下一張請從這個位置、以從下向上仰視的角度拍攝。」
「次の写真はこの地点から、下から見上げるような角度を付けてお願いします」
為了取得相機的視點,蹲在地上的彌一抬頭看著虎太郎,請他把內容轉達給技術者。
カメラの視点を得るべく、地面にしゃがみこんだ弥一が虎太郎を振り仰ぎ、技術者に内容を伝えて貰う。
與喜歡拍攝正射影像的技術者相對,彌一偏好能像投影圖那樣帶有立體感的照片。
正射影像を撮りたがる技術者とは対照的に、弥一は投影図のような立体感を感じさせる写真を好んだ。
就這樣在法隆寺持續拍攝了十天,乾板的庫存終於見底了。
こうして法隆寺にて撮影を続けること十日。遂に乾板のストックが底をついた。
京城的靜子宅裡還留有一些備用乾板,但靜子判斷已經拍到所需的數量,便宣告結束拍攝。
京の静子邸にいくらか予備の乾板が遺されているのだが、必要な量の撮影は出来たと判断した静子は撮影の終了を宣言した。
「這是……」
「これは……」
在將攝影器材小心打包的作業進行時,靜子將幾張照片贈送給未曾參與拍攝的法隆寺高僧們。
撮影機材を厳重に梱包される作業が進められる中、静子は撮影に立ち会わなかった法隆寺の高僧達へ、数枚の写真を寄贈した。
初次見到照片的清晰度,似乎撼動了年老高僧們的心,他們未將照片斷定為惡鬼的所為,而是能正確地加以評價。
初めて目にする写真の鮮明さは、年老いた高僧の胸をも打つものがあったのか、写真を悪鬼の所業と断じることなく正しく評価してくれたようだった。
(其實我也想拍攝人物的……)
(本当は人物も撮りたかったんだけどね……)
不僅在戰國時代,在日之本,人們相信具有人的形狀之物會寄宿靈魂。
戦国の世に限らず、日ノ本では人の形をしたものには魂が宿ると信じられていた。
史實上在攝影黎明期,也有人認為把人物攝入照片會使靈魂被封在照片中,因此曾被忌避。
史実に於いても写真黎明期には、写真に人物を撮ると魂が写真に封じ込められると考え、忌避されることがあったという。
(嘛,急速的變革會招致反彈,逐步普及就好。對了!就從我家的動物開始吧!)
(まあ、急激な変革は反発を招くし、徐々に普及すれば良いよね。そうだ! 我が家の動物から始めよう!)
「主人看起來頗為高興呢」
「ご主人は随分とご機嫌なご様子だ」
虎太郎帶著一絲無奈地嘟嚷道。
虎太郎が呆れ気味に呟いた。
「很有趣啊。尤其像這樣新事物有了成果時更是如此。嘛,這次算是表現不錯,但大多數情況總會伴隨一些失敗。」
「楽しいよ。こうやって新しい事の成果が出た時は特にね。ま、今回は上出来の部類だけど、大抵何かしら失敗がつきものだよね」
「話雖如此,您對失敗還真寬容呢?」
「それにしては失敗に対して寛容ですな?」
「若是反覆犯同樣的錯誤就會責罵的喔?若是初次挑戰就失敗,那連那次失敗也是寶貴的經驗。我相信在堆積起失敗的山頭之後,有著人人羨慕的成功。」
「同じ失敗を何度も繰り返すようなら叱責もするよ? 初めて挑んだ結果で失敗したのなら、その失敗さえも貴重な経験だよ。失敗を山と積み上げた先に、誰もが羨む成功があるんだと私は信じている」
聽了靜子的話,虎太郎一邊玩弄下巴鬍子一邊回答。
静子の言葉を聞いて虎太郎は顎髭を弄(もてあそ)びながら応える。
「至理名言啊。沒有失敗的技術令人不安而無法使用。與其責備失敗讓人畏縮,不如把失敗當作學習並通往成功的第一步才好。」
「至言ですな。失敗無き技術など危なっかしくて使えませぬ。失敗を責めて萎縮させるより、失敗から学ばせて成功に繋げる第一歩とすれば良いのですな」
「沒錯。過度害怕失敗而一味追求成功會變得目光短淺,走入死胡同。因此不怕失敗,廣闊地做研究。如此一來,即便看似失敗,也可能從中萌生新的芽。最重要的是為研究者創造不因眼前的浪費而氣餒的環境。」
「そうだね。過度に失敗を恐れ、成功を求め続ければ近視眼的になって袋小路に迷い込む。だから失敗を恐れず、裾野を広くとって研究をするんだ。そうすれば一見失敗に見えても、そこから新たな芽が出ることもある。一番大事なのは研究者が、目の前の無駄に心を折らない環境を作ることだよ」
「哈哈哈。難怪您大方地不斷重複投資設備呢?」
「ははは。それで気前良く設備投資を繰り返されておるのか」
「優秀的研究成果較易出自良好的環境。嘛,正因如此研究經費會無上限地增加,令人頭疼。就目前而言,我的利潤也在上升,所以還能支應。」
「優れた研究成果は、優れた環境から生まれやすい。まあ、そのせいで研究費用は天井知らずに増えるから悩みどころ。今の処は、私の利益も右肩上がりだからお釣りがくるけどね」
「追逐夢想的同時,也能踏實地看待現實嗎?」
「夢を追いつつ、現実もしっかりと見ておられると?」
「短期的成果沒意義。需要為繼續做百年、二百年後都還在的基礎研究打下基礎。」
「短期的な成果じゃ意味がないからね。百年、二百年先を見据えて基礎研究を続けられる下地を作っておく必要があるのよ」
「原來如此。也就是不滿足於現狀,永遠目標再更邁一步,對吧?」
「なるほど。現状に満足せず、常にもう一歩先を目指せと言うわけですな」
「不只是研究,若滿足於現狀停止前進,就會從那裡慢慢開始腐敗。」
「研究だけに限った話じゃないけれど、現状に満足して歩みを止めたら、そこからゆっくりと腐り始めるんだよ」
靜子的話讓虎太郎有所感觸。於是他離棄了停滯不前的祖國,尋求新天地。心中暗自覺得自己遇到了一位有趣的主人,獨自冷笑著。
静子の言葉に虎太郎は感じるものがあった。そうして停滞してしまった祖国を捨て、新天地を求めた。自分は面白い主人に巡り合えたものだと、一人ほくそ笑んでいた。