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戦国小町苦労譚

一五七〇年 三月上旬

二月下旬,冬日的寒意開始緩和,織田家家臣間開始流行起清酒的熱燗。

冬の寒さが緩くなり始める二月下旬、織田家家臣の間で清酒の熱燗が流行り始めた。

濁酒也能做成熱燗,但加熱後常會產生獨特的怪味或酸味變強的酒。

濁酒でも熱燗は可能だが、温める事で独特の癖が出るものや酸味が強くなる酒が多い。

相比之下,清酒經加熱後香氣更為突出,與料理的相性也更為廣泛。

対して清酒は温める事で一層香りが際立ち、料理との相性が広まる。

而且從第一杯就能獲得喝下去的滿足感,若飲酒速度適中,用少量就能恰到好處地微醺。再者酒精對身體的暖身作用會更強,因此在寒冷的日子喝清酒的熱燗是合情合理的。

また一杯目から呑んだ満足感が得られ、飲酒速度が適量なら少ない量で程よく酔える。更にアルコールの身体を温める働きが強くなる為、寒い日に清酒の熱燗を呑む事は理に適っている。

濁酒雖然較難作成熱燗,但並不因此比清酒遜色。

濁酒は熱燗が難しい酒だが、だからと言って清酒より劣っている訳ではない。

經過冷藏後風味豐富且喉感良好的濁酒,其味道與冷酒(冷藏過的清酒)不同。此外濁酒的酒質較易變化,也能享受因陳年變化而帶來的熟成風味。

冷やす事で豊かな味と喉越しが良くなる濁酒は、冷酒(冷やした清酒)とは違った味わいがある。また酒質が清酒より変わり易く、経年変化による熟成を楽しむ事も出来る。

織田家家臣中也有喜歡濁酒者,並非人人都跟風沉迷熱燗。

織田家家臣の中にも濁酒を好む者がおり、全員が右へ倣えで熱燗に嵌っている訳ではない。

與冷飲的濁酒不同,清酒的熱燗有個缺點:會想吃下酒菜。

冷やして呑む濁酒と違い、清酒の熱燗には一つ欠点がある。それは肴が欲しくなる事だ。

酒精會增加胃液分泌、促進消化。因此即便是濁酒也會想配下酒菜,但熱燗因為酒精被加溫,對食慾促進的二次效果更強。

アルコールには胃液の分泌量を増やし、消化を促す作用がある。故に濁酒でも肴が欲しくなる事はあるが、熱燗はアルコールが温まっているので食欲を増進する二次効果が強い。

這不僅限於日本酒,燒酎的溫熱水割、含苦味成分酒花或碳酸的啤酒也被認為具有強烈的促進食慾效果。

これは何も日本酒に限らず焼酎のお湯割り、苦味成分ホップや炭酸ガスのあるビールも食欲増進効果が高いと言われている。

若只是要找下酒菜,岐阜也能滿足,但面海的尾張種類更為豐富;從這個意義上,靜子所在之處最為理想。

酒の肴を求めるだけなら岐阜でも可能だが、海に面している尾張の方が種類は豊富だ。その様な意味でも静子のいる場所は最適だった。

住宿設施完善、儲有許多可做下酒菜的食材、離岐阜適中距離、也離海不遠、隔日能泡溫暖的溫泉,這樣一來不可能不流行。

宿泊する施設が整っている、酒の肴になるものが多く保管されている、岐阜から程よく近く、また海へも程よく近い、翌日は温かい湯につかれる、とくれば流行らない訳はない。

視季節而定,喜歡的下酒菜有茄子煮浸、真鯵的干物、寒鯔的燻製、將魚骨稍微炙烤的料理、肉馬鈴薯(肉じゃが)、章魚的醋味噌拌、冷奴等各式各樣,但其中最受歡迎的是烏魚子。

季節によるがナスの煮浸しや真鯵の干物、寒ボラの燻製、魚の骨を軽く炙ったもの、肉じゃが、タコの酢味噌和え、冷奴など多種多様の肴が好まれたが、中でも一番好まれているものがカラスミだ。

又鹹又美味的烏魚子與日本酒相性極佳,而且可以自行調整切片的厚度,這一點深受喜愛。

塩辛くて旨いカラスミは日本酒との相性が良く、自分で一切れの厚みを調整出来る所が好まれている。

在日本,提到烏魚子大家多半會聯想到用鯔(ボラ)的卵巢製作的烏魚子。

日本でカラスミと言えばボラの卵巣で作られたもの、というイメージが強い。

然而鯔的卵巢只是烏魚子的一種,在本場地中海沿岸會使用各種海魚的卵巢。香川縣則會用鰆或鯖的卵巢來製作。

しかしボラの卵巣はカラスミのうちの一つに過ぎず、本場の地中海沿岸では様々な海産魚の卵巣が用いられている。香川県はサワラあるいはサバの卵巣を用いている。

因此無論使用何種卵巢,只要依照烏魚子的製法來做,就能成為烏魚子。

故に如何なる卵巣を用いようと、カラスミの製法に従って作ればカラスミになるのだ。

由於費工費時,烏魚子的價格頗高,家境拮据者難以負擔。

手間暇をかけている関係でカラスミの値段は高く、懐が寂しい者は手が出し難い。

但出現了所謂卵巢味噌漬乾製的類似品,讓下級武士也能享受接近烏魚子的風味。

しかし卵巣の味噌漬け干しという類似品が出来た事で、下級武士でもカラスミに近い味を楽しめるようになった。

做法簡單:將味噌加入蒜、味醂、酒混合,然後在保存容器(如保鮮盒)內按味噌、紗布、卵巢、紗布、味噌的順序放入,於陰涼處放置約十日。

作り方は単純で味噌にニンニク、味醂、酒を混ぜ、タッパーなどの保存容器に味噌、サラシ布、卵巣、サラシ布、味噌の順に入れて十日ほど冷暗所に保管する。

之後像烏魚子般放在晾網上日曬,直到表面變硬即完成。

後は干し網でカラスミのように、表面が硬くなるまで天日干しすれば完成だ。

因為價格低廉且鹽分較少,成了受歡迎的商品,但也出現酒的消耗量暴增、直接打擊荷包的問題。

低価格、かつ塩分が控えめという事で人気商品となったが、酒の消費量が跳ね上がり懐を直撃するという問題も発生した。

家臣們為了熱燗配菜何者為首展開激烈辯論,但他們的主君信長則不是醉心於酒,而是熱衷於披風的製作。

熱燗の肴は何が一番かで白熱した議論を繰り広げる家臣たちだが、彼らの主君である信長は酒ではなくマントの出来に熱を入れていた。

起初他穿著讓靜子製作的披風,但後來看到宣教師獻上的天鵝絨披風,便產生了許多不滿之處。

最初は静子に作らせたマントを纏っていた彼だが、後に宣教師から献上されたビロードのマントを見て色々と気に入らない点が出てきた。

以靜子的性格而言這無可厚非,她重視功能勝於外觀,而且偏好沉穩的色調,對於好愛華麗的信長而言顏色顯得不夠張揚。

これは静子の性格上仕方ない事だが、彼女は見た目より機能を重視する。更に色合いは落ち着いた色を好む為、派手好きな信長としては物足りない色合いだった。

信長想要鮮豔的紅色披風,讓職人們反覆製作以紅花染成的試作品。

信長は鮮やかな赤色をしたマントを求め、紅花染めされた試供品を職人たちに何度も作らせる。

最終採用了符合信長口味的製法所染出的紅色。

最終的に信長の眼鏡に適った製法で出来た赤色が採用された。

然而事情並未就此結束。除了布料的顏色,信長還動了許多心思:處理披風的邊緣,並以金線或銀線繡上刺繡。

だが話はそれで終わらなかった。布地の色以外にも信長は多くの手を入れた。マントの端処理を行い、その上に金糸や銀糸で刺繍を施す。

背部所在的一片處繪上了滿版花紋,並如邊緣般以金線銀線繡上刺繡,扣具也施以精巧華美的細工。

背中部分に当たる場所には、一面柄模様が描かれた上に、端と同じく金糸や銀糸で刺繍を施す。留め具も見事なまでに精巧な細工が施されていた。

就這樣採用了信長的趣味於細節之中,做成了時價難估的信長專用披風。

こうして細部に至るまで信長の趣味が採用された、時価総額不明の信長専用マントが出来上がった。

對於此等成品大為滿意的信長賞賜了參與的職人們,並給予他們無保留的讚譽。

その出来栄えに大変満足した信長は、関わった職人たちに恩賞を与え、彼らに掛け値なしの賛辞を贈った。

「哼哈哈哈!如何,我的披風!投下重金,這成品應該相當值這代價吧!」

「ふはははっ! どうだ、わしのまんとは! 大金を投じたがそれに見合う出来栄えであろう!」

信長想把做好的披風向人誇耀。

出来上がったマントを信長は誰かに自慢したかった。

就在此時,他發現靜子前來居館報告苗木的進度並獻上堂上蜂屋柿。他不顧對方意願抓住靜子,向她炫耀披風的製作成果。

そんな時、苗の経過報告と堂上蜂屋柿の献上をするため居館に訪れた静子を見つけた。彼は有無を言わさず静子を捕まえると、彼女にマントの出来具合を見せつける。

信長心情大好翻著披風,靜子在心中煩惱該如何回應。

上機嫌でマントを翻す信長に、静子はどう答えるか心の中で頭を悩ます。

「那、那真是非常相襯,大人。」

「た、大変お似合いでございます」

「嗯!是如此,的確如此!」

「うむ! そうであろう、そうであろう!」

靜子察覺到只要稱讚信長就萬事大吉,但若信長心情稍有變化,回答就會立刻不同,因此需密切留意他的情緒。

信長の上機嫌な態度から褒めれば何でも良いのだ、と静子は気付く。ただし信長がちょっとでも気分が変わると、途端に答えが変わるので注視しておく必要はある。

「話說換個話題,靜子。技術街那邊正在跑的貨車,究竟何時能調回來?」

「さて話は変わるが、静子よ。技術街で走らせている荷車は、一体いつこちらに回せる?」

「欸、啊,是說手推車嗎?那個的大故障已經解決,目前正在量產。預計到四月底可生產約一百台。」

「え、あ、リヤカーの事ですか。あれなら大きな不具合を解消したので目下量産中です。四月末には百台ほど生産出来る目処が立っています」

「嗯……既然要用米,過度生產很難吧。但我想盡早讓以荷車為主的後勤運作起來。把十台荷車交付給第五軍。」

「ふむ……米を使う以上、過剰な生産は難しいか。だが荷車を使った兵站を、早期に運用させたい。荷車を十台、第五軍へ納品せよ」

「是,明白了。」

「はっ、了解しました」

靜子預感接下來會變得很忙。

これから忙しくなると静子は予感した。

總之,手推車的橡膠輪胎部分以ファクチス代用。畢竟能被選為橡膠的替代品,ファクチス的性能接近橡膠。

何しろリヤカーのゴムタイヤ部分はファクチスで代用している。流石にゴムの代用品として選ばれるだけの事はあり、ファクチスの性能はゴムに近い。

與橡膠相比在耐高溫性上有不足,但目前不會在高溫環境下使用輪胎。

ゴムと比較すると高温に対する耐久性に難があるものの、現状高温環境下でタイヤを使用することは無い。

能視為市售橡膠等同的ファクチス,對靜子而言,可說為農具的進化開闢了道路。

市販されているゴムと同等と見て良いファクチスは、静子にとって農耕具の進化の道が切り開かれたと言っても過言ではない。

(本來是想要生橡膠的……但現況只有印度橡膠樹。暫時可能得進口橡膠樹液吧)

(本当なら生ゴムが欲しいのだけれど……現状はインドゴムの木しかないのよね。暫くはゴム樹液を輸入かなぁ)

現代普遍使用的是從巴拉橡膠樹取得的橡膠液。

現代ではパラゴムの木から取れるゴム液が一般的だ。

巴拉橡膠樹之所以有名,是因為英國秘密帶回被禁止帶出巴西境外的樹苗,經過艱難後成功在殖民地各地栽培。

何故パラゴムの木が有名かというと、ブラジル国外への持ち出し禁止のパラゴムの木を、イギリスが密かに持ち帰り苦難の末、植民地各地で栽培する事に成功したからだ。

這主要是因為英國擁有與原產地巴西相似的熱帶雨林地帶殖民地。

これはイギリスが原産地ブラジルと同様の熱帯雨林地帯の植民地を抱えていた事が大きい。

此外,在原產地南美因子囊菌造成的南美葉枯病,無法如願大量繁殖橡膠樹,因此至今在原產地仍從天然自生的樹木採取橡膠液。

更に原産地の南米では子嚢菌による南アメリカ葉枯病のため、ゴムの木を増やす事が思うように出来なかった。故に今でも原産地では、天然の自生樹木からゴム液採取を行っている。

樹液量方面巴拉橡膠樹優於印度橡膠樹,但樹液品質則以印度橡膠樹較佳。

樹液の量はインドゴムの木よりパラゴムの木が優れているが、樹液の質はインドゴムの木の方が優れている。

而印度橡膠樹耐陰、耐熱、耐寒性皆佳,在日本戰前就作為觀葉植物栽培,有些地區甚至庭植可長成大樹。

またインドゴムの木は耐陰性、耐暑性、耐寒性に優れ、日本では戦前から観葉植物として栽培されていた。地域によっては庭植で大木に育っているインドゴムの木もある。

(把橡膠苗進口吧……玻璃加工也上軌道了,還有沃德箱的成果。如果能在石山合戰前做出雙筒望遠鏡或野戰望遠鏡……算是差不多的成果吧)

(ゴムの苗は輸入するとして……ガラス加工も軌道に乗ったし、ウォードの箱という成果も出た。石山合戦の日までに双眼鏡やフィールドスコープが出来れば……まずまずの成果かな)

成為生態箱先驅的沃德箱,是在空氣污染嚴重的倫敦中,能將外界隔絕並包容獨立世界的劃時代發明。

テラリウムの先駆けともなったウォードの箱とは、大気汚染が深刻であったロンドンにおいて外界と切り離された世界を内包する画期的な発明である。

此玻璃器由外科醫師奈森尼爾・巴格肖・沃德於約1829年發明,透過在容器內維持與外界相對獨立的環境,使得能將植物的生長環境封閉搬運。

1829年頃に外科医師であったナサニエル・バグショー・ウォードが発明したこのガラス器は、容器外の世界からある種独立した環境を保持することで内部に植物の生育環境を閉じ込めたまま運搬することを可能とした。

這大大幫助了世界各地採集植物的植物獵人活動,並作為先驅性的植物栽培容器獲得高度評價。

これは世界各地で植物を集めるプラントハンターの活動を大いに助け、先駆的な植物栽培容器として評価が高い。

作為利用沃德箱優良可攜性的案例,蘇格蘭植物學家羅伯特・福琼曾將中國上海的兩萬株茶樹運送到印度東北部的阿薩姆邦。

優れた可搬性を持つウォードの箱を利用した事例として、スコットランドの植物学者ロバート・フォーチュンは中国上海から茶の木二万本をインド東北部のアッサム州へ輸送した。

此外,英國秘密帶出自巴西的巴拉橡膠種子並成功發芽,便利用此箱計畫在斯里蘭卡的錫蘭島規劃大型橡膠種植園,並運往曾為其領土的馬來亞。

他にもブラジルから秘密裡に持ち出したパラゴム種子の発芽に成功したイギリスは、この箱を使ってスリランカのセイロン島や一大ゴム農園を計画し自国領であったマレーシアへと持ち運んだ。

現代已有多種仿照沃德箱在容器中飼養、栽培與觀賞的技術,如陸地環境的生態箱、僅水中飼育的水族箱、以及水陸混合的水陸生態箱等。

現代では陸上のみの環境で飼育・栽培するテラリウム、水中のみの環境で飼育・栽培するアクアリウム、水中と陸地が混在した環境で飼育・栽培するアクアテラリウム等、ウォードの箱のように容器の中で飼育・栽培・鑑賞する技術が幾つも発明されている。

「(但玻璃研磨還是仰賴職人的經驗判斷,量產很困難啊)」

「(でもガラス研磨が職人のカン頼りだから、量産が厳しいのよね)」

即便玻璃製造步上正軌,玻璃製品仍被視為稀有物品。

ガラス製造が軌道に乗ったとはいえ、まだまだガラス製品は希少品扱いだ。

劣質的玻璃製品或工匠不滿意的作品不會上市,會被細碎後再混入原料,雖然這也有影響,但最主要的原因是玻璃工匠太少。

質の悪いガラス製品や職人が気に入らないガラス製品は世に出ず、細かく砕かれて再度原料に混ぜられる事も影響しているが、一番の理由はガラス職人が少ない点だ。

即便在原料中加入蘇打灰,要獲得高透明度仍需優秀的研磨技術。

原材料にソーダ灰を入れようとも高い透明度を出すには、優れた研磨技術が要求されるのだ。

市面上的玻璃製品非常稀少,在日本擁有尾張切子的人只有信長、家臣森可成與丹羽長秀、被信長獻上的天皇,以及作為茶々出產祝賀所贈的淺井長政。

世に出ているガラス製品は非常に少なく、日ノ本で尾張切子を所持しているのは信長と家臣の森可成と丹羽長秀、信長から献上された帝、茶々の出産祝いとして贈られた浅井長政だけだ。

「你在嘀咕些什麼?」

「何をぶつぶつと言っておる」

「啊,不,抱歉。我剛才在想事情。」

「あ、いえ、すみません。ちょっと考え事をしていました」

「嗯……也好。」

「ふむ……まぁ良い」

信長覺得是老樣子,便沒有再追問靜子。

いつもの事、と考えて信長はそれ以上静子に問い質す事をしなかった。

之後,靜子打算獻上堂上蜂屋柿以此結束話題,但遺憾的是,那舉動只是讓信長的披風自誇話題裡多了曬柿子的插話而已。

その後、堂上蜂屋柿を献上して話を切り上げようと画策した静子だが、残念ながらその行為は信長のマント自慢話に干し柿の話が加わっただけだった。

三月上旬,靜子拜訪一個從事養蠶業的村莊。這不是為了執行信長的命令,而是單純因個人理由而來。

三月上旬、静子は養蚕業を営んでいる村を訪れる。これは信長の命令を遂行する為ではなく、単純に個人的な理由で村を訪れていた。

「真不容易找到呢,緋鯉(ひごい)。」

「中々いないよね、緋鯉(ひごい)」

個人理由是想找作為真鯉變種的緋鯉。

個人的な理由とは真鯉の変種である緋鯉探しだ。

鯉的飼養由來已久,《日本書紀》甚至記載景行天皇曾放鯉入池。

鯉は『日本書紀』に景行天皇が池へ放っていた記述があるほど、古くから飼育が行われている。

由於養蠶業的副產物蠶蛹可作為鯉的餌料,靜子便在從事養蠶的村莊推行鯉的養殖。

養蚕業の副産物である蚕の蛹(さなぎ)は鯉の餌になる事から、静子は養蚕業を営んでいる村で鯉の養殖を行うようにした。

牠們營養豐富,被稱為藥用魚或療養魚,且具備在污濁水中生存的高環境適應能力,因此非常適合養殖的河魚。

薬用魚や療養魚と言われるほど栄養に富み、汚れた水にも対応する高い環境適応能力がある事から、養殖するにはうってつけの川魚だ。

靜子也想養鯰,但從孵化到幼魚階段非常困難,加上鯰不像鯉那樣在哪個田裡都能見到,養殖的意義不大,於是放棄了。

なまずも養殖したかった静子だが、孵化から稚魚になるまでが大変な上に、鯉と違ってどの田んぼにも棲んでいるなまずを養殖する意味が薄かったため見送った。

「好鮮豔的鯉耶。我倒沒看過,才藏那邊有看過嗎?」

「色鮮やかな鯉ねぇ。俺は見た事ないが、才蔵の方は?」

「沒看過。正因如此才引人興趣。」

「ないな。だからこそ興味が惹かれる」

「兩個人都沒看過啊。就是那種……不是全黑的體色,而是變成鮮豔紅色的個體……果然突變種就是沒那麼容易找到嗎」

「二人も見た事ないかぁ。こう……真っ黒な身体じゃなく色鮮やかな赤になっている個体の事なのだけど……やっぱり突然変異種はそう簡単に見つからないか」

然而並非完全沒有可能。錦鯉的原型緋鯉,是在養殖食用鯉時誕生的品種。既然如此,在從事養蠶的村落某處,緋鯉誕生的可能性也不是零。

しかし可能性がない訳ではない。錦鯉の元となった緋鯉は、食用鯉を養殖している時に生まれた品種だ。ならば養蚕業を営んでいる村のどこかで、緋鯉が誕生する可能性は零ではない。

「對了,也去有水田養鯉的村子看看」

「そうだ、水田養鯉をする村にも行ってみよう」

所謂的水田養鯉,如其名,是把鯉的稚魚放入水田,與稻作並行飼養的一種養殖方式。

水田養鯉とは名前の通り水田に鯉の稚魚を放流し、稲作と平行して鯉を育てる養殖方法だ。

如同合鴨農法,若把鯉放入水田,鯉旺盛的食慾會大幅減少害蟲與雜草。另外鯉游動會使水變渾濁,阻止雜草萌芽。

合鴨農法と同じく水田に鯉を放つと、鯉の旺盛な食欲によって害虫や雑草が激減する。また鯉が泳ぐ事で水が濁り、雑草が芽吹くのを防げる。

雖然偶爾會有鯉傷到稻秧的情形,但基本上只要放養就能成長,這是其優點。

稀に鯉が稲を傷つける事はあるものの、基本的に放し飼いするだけで成長する利点がある。

不過大多數鯉會在一年內被作為食用出售,需數年養殖的鯉反而稀少。

しかし大半の鯉は一年で食用に回され、数年かけて養殖される鯉は稀だ。

反觀養蠶業興盛的村子,因為當作飼料的蠶蛹容易取得,所以不是水田而是池塘或網箱養殖較盛行。

対して養蚕業が盛んな村は、餌である蚕の蛹(さなぎ)が容易に手に入るため、水田ではなくため池や網いけす養殖が盛んだ。

從一年鯉到三年鯉出貨年的調整容易,且按池塘分區管理,因此不像水田養鯉那樣會混入生長年數不同的鯉。

一年鯉から三年鯉まで出荷の年数が調整し易く、ため池ごとに切り分けられているため、水田養鯉のように成長年数が違う鯉が混ざる心配もない。

不過無論是水田養鯉或池塘養鯉,都不會花超過四年的時間來養殖。那是因為養超過四年的鯉魚肉會變硬,且在產卵等情況下失去營養、味道變差。

ただ水田養鯉もため池養鯉も、四年以上養殖に時間をかける事はない。これは四年以上の鯉は身が硬くなり、産卵などで栄養が失われて味が落ちるためだ。

「嗯……果然不行嗎」

「むぅ……やはり駄目か」

雖然跑遍了導入水田養鯉的五個村子,但不出所料並沒有發現突變種的鯉。

水田養鯉が導入される五つの村を回ったが、案の定突然変異種の鯉は存在しなかった。

結果,尋找緋鯉的工作只剩下告知村長會以高價收購外觀鮮豔的鯉,不論大小,便結束了。

結局、見た目が色鮮やかな鯉は、大きさ問わず高値で買い取る旨を村長に伝えるだけで緋鯉探しは終わった。

「帶著シロ當散步的同伴真是太對了。這團毛茸茸療癒了我」

「散歩代わりにシロを連れてきて正解だ。このもふもふが私を癒やす」

靜子一邊沮喪,一邊愛撫停在手臂上的オウギワシ。靜子為名字苦惱,但因オウギワシ的羽毛偏白,她就簡單地給牠取名為銀(しろがね)。

落ち込みながら静子は腕にのっているオウギワシを愛でる。名前で悩んだ静子だが、オウギワシの毛が白っぽい所から、彼女は銀(しろがね)と安直な名前を付けた。

木菟們給哥哥取名為銅(あかがね)、給弟弟取名為鉄(くろがね)。雖然只是簡單取自金屬名,出乎意料地木菟們以及オウギワシ都接受了。

木菟たちは兄に銅(あかがね)、弟に鉄(くろがね)という名前をつけた。単純に金属から取ったが、意外にも木菟たちやオウギワシは受け入れた。

但因為所有鳥名都共通帶有「がね」,所以用全名叫會讓全部鳥都回應。因此オウギワシ稱為「白(シロ)」、木菟兄為「朱(アカ)」、木菟弟為「黒(クロ)」。

ただし全羽の名前に「がね」が共通しているため、フルネームで呼ぶと全羽が反応する。故にオウギワシを「白(シロ)」、木菟兄を「朱(アカ)」、木菟弟を「黒(クロ)」と呼んでいる。

一路平安到家放下行李後,靜子朝屋子稍遠處的一個池塘走去。

道中何事も無く家に到着し荷物を置いた後、静子は家から少し離れた場所にある池へ向かう。

「好不容易幫我做的池塘卻讓人空虛……」

「折角作って貰った池なのに虚しいぜ……」

考慮到養金魚和緋鯉,設計了淺灘逐漸加深、深度變化最大到80公分以讓野鳥能逃離的池塘,鋪上礫石、種植水草,並引入微生物淨化水質的系統,但若沒有重要的鯉或金魚,那不過就是個普通的蓄水池。

金魚や緋鯉用にと考え、徐々に深くなる浅瀬と野鳥から逃げられるように深さが最大80cmに変化する池に、砂利を敷き水草を植え、微生物に水を浄化させるシステムを組み込んだが、肝心の鯉や金魚がいなければ単なるため池だ。

在用自然石營造日式庭園風格的池塘淺灘處,本想期待會有小鳥來玩,但淺灘成了不是小鳥而是アカガネ和クロガネ的浴場。

自然石で日本庭園風を醸し出した池の浅瀬に、小鳥が遊びに来ないか期待したが、浅瀬は小鳥ではなくアカガネとクロガネの水浴び場になっていた。

或許是愛乾淨,兩隻今天也精神地在洗澡。周圍都濺得到處都是水,但クロガネ毫不在意,在淺灘拍打翅膀。

綺麗好きなのか二羽は今日も元気に水浴びをしていた。周囲が水浸しになっているが、クロガネは気にせず浅瀬で羽ばたいていた。

至於アカガネ則把翅膀張開巧妙地漂浮著。那模樣就像渡假地泳池裡躺在浮排上晒太陽的人一樣。

アカガネに至っては羽を広げて器用に浮かんでいた。その姿はリゾート地のプールに浮かぶビーチマットに寝転んでいる人と同じだ。

「你們也太放鬆了吧?」

「お前ら、気を抜きすぎじゃないか?」

靜子戳了戳漂在池中的アカガネ,卻反應遲鈍,讓她在各方面都對兩隻鳥的將來感到不安。

池に浮かぶアカガネをつつくも反応が鈍い事に、静子は色々な意味で二羽の将来に不安を覚えた。

進入櫻花綻放的季節後,信長對長政的諜略加強了。

桜が咲く季節に入ると、信長は長政への諜略を強めた。

他積極地送禮、互通信函、有時面對面交談,處心積慮地讓長政傾心於自己一方。

贈り物をしたり、文を交わしたり、時には対面で語り合ったりと、精力的に長政を自陣営へ心酔させるよう仕向けた。

長政的父親久政察覺到信長的企圖,試圖透過妨害手段將其疏遠,但效果並不理想。

長政の父親である久政は信長の思惑に気付き、妨害工作をして遠ざけようとしたが効果は芳しくはなかった。

原因在於信長所施行的經濟政策刺激了近江國經濟,加上京與美濃之間的要衝使得物流活絡,結果比久政時代更為繁榮。

それは信長が行う経済政策の影響で近江国の経済も刺激され、また京と美濃を結ぶ要衝がある事から物流が活発になり、結果久政の時代よりも近江国は潤っていたからだ。

若利益全落在信長身上另當別論,但近江國居民普遍腰包變暖,多數人還是以利益為先,對久政的言論置之不理。

利益が信長に集中すれば話は別だが、近江国に住む様々な人間の懐が温かくなっているため、多くの人間は利益を優先し久政の話を聞き流した。

久政認為現在的自己等人是從信長那兒討生活的吸盤魚,因此對信長的反感加劇。

今の自分たちは信長からおこぼれを頂戴するコバンザメだ、と考え久政は信長への反発を強めた。

近距離觀察久政動向的長政對信長抱持一定程度的敬意,但實際上並沒有如久政所擔心的那般心服信長。

久政の動向を間近で見ていた長政は信長に一定の尊敬を抱きつつも、実は彼が危惧するほど信長に心酔はしていなかった。

近江雖是通往京的重要樞紐,但因琵琶湖的關係人口稀少。要活絡經濟必然需要人員流動增加。

近江は京へ通ずる要衝の地だが、琵琶湖の関係で人口は少ない。必然的に経済を活性化するには、人の移動が活発化する必要がある。

正因明白這點,長政感謝信長的經濟政策。同時他也開始對父親久政及其拍檔們的目光短淺感到厭煩。

そこを理解しているからこそ、信長の経済政策を長政はありがたく思っていた。同時に親の久政と彼の腰巾着たちの現実の見えなさにうんざりし始めていた。

當信長、長政、久政三人之間進行激烈博弈的時候,以濃姫為首的まつ、おね、えい四人聚集到靜子處。

信長、長政、久政の間で激しい駆け引きが行われている頃、濃姫を筆頭にまつ、おね、えいの四人が静子の元に集まる。

「呵呵,終於可以吃了嗎」

「ほほっ、ようやく食せるようになったか」

「是的,對於耽擱了許多時間深感抱歉。不過酪農終於步入正軌,得以獲得濃姫大人試食的機會。」

「はい、大変お時間を頂く事になりました事をお詫び致します。ですがようやく酪農も軌道に乗り、こうして濃姫様にご試食頂ける機会を得られました」

她們此行的目的在於讓人品嚐黑豬アグー的料理。除此之外還有羊及牛的乳製品和肉等,在戰國時代屬於少見的菜餚。

彼女たちの目的は黒豚アグーの料理だ。それ以外にも羊や牛の乳製品や肉など、戦国時代では珍しい料理が供される。

然而要讓牛肉美味,就得限制運動讓其增肥以調整脂肪。當然,即使是脂肪較少的瘦肉,也有用蘿蔔或鳳梨汁等方法讓肉變嫩。

しかし牛の肉を美味しくするには、運動させず太らせて脂肪を調整する必要がある。無論、脂肪の少ない赤身の肉でも、大根やパイナップルの汁で肉を柔らかくする方法は幾つもある。

「不用擔心,等待也是一種樂趣。話雖可聊,但那會讓料理冷掉。先來好好享用料理吧。」

「気にする事はない、待つのも楽しみの一つじゃ。さて、雑談に花を咲かせるのも一興じゃが、それでは料理が冷めてしまう。まずは料理を堪能しようぞ」

「那麼,首先請先品嚐……南蠻來的飲品『牛乳』與『山羊乳(やぎにゅう)』。」

「はっ、ではまず……南蛮の飲み物である『牛乳』と『山羊乳(やぎにゅう)』をご試飲下さい」

濃姫等人面前擺著牛奶與山羊奶。兩者字面上就是牛的乳汁與山羊的乳汁。

濃姫たちの前に牛乳と山羊乳が並べられる。どちらも言葉通り、牛の乳と山羊の乳だ。

因為玻璃杯產量稀少,兩者都盛在瓷製的馬克杯中。

グラスの生産数が少ない事から、どちらも磁器で出来たマグカップに入れられていた。

感覺到無形的隔閡的みつお,對把牛奶倒進馬克杯有抵觸,但想了一會兒便閉上眼。

目に見えない区切りを感じたみつおは、マグカップに牛乳を入れる事に抵抗感はあったが暫く考えて目を瞑る事にした。

幸運的是,濃姫等人並未厭惡牛奶放在馬克杯裡。她們帶著好奇的表情凝視著牛奶。

幸いにも濃姫たちはマグカップに牛乳が入れられる事に嫌悪しなかった。彼女たちは牛乳を不思議そうな表情で凝視する。

一般認為戰國時代的日本沒有喝牛奶的習慣,但實際上自六世紀左右起,牛乳曾在限定範圍內作為乳製品出現在餐桌上。

戦国時代の日本には牛乳を飲む習慣など無かったと思われがちだが、実は六世紀ごろより限定的範囲で乳製品として食卓に上っていた。

關於牛奶的傳入,有記載說在上述的六世紀左右曾作為藥物獻給孝德天皇,並以和薬使主(やまとくすしのおみ)之名擔任管理牛奶的職務。

牛乳の伝来については前述の六世紀ごろに孝徳天皇に薬として献上された記録があり、牛乳を管理する職として和薬使主(やまとくすしのおみ)の称号を以て遇された。

自此之後,京都與奈良出現了被稱為乳戸(にゅうこ)的酪農戶,據說向當時的天皇家族供應牛奶。

これ以降、京都や奈良に乳戸(にゅうこ)と呼ばれる酪農家が増え、時の帝一族へ牛乳を届けていたとされる。

隨著酪農擴大,當生產量超過消費量時,把牛奶煮濃至十分之一的乳製品蘇(そ)出現了。

更に酪農の拡大に伴い生産量が消費量を上回ると牛乳を十分の一にまで煮詰めた、乳製品の蘇(そ)が登場する。

因此在927年成立了以蘇作為稅納的「貢蘇(こうそ)」制度。

これにより927年に蘇を税として納める「貢蘇(こうそ)」の制度が成立した。

隨著生產擴大,蘇不僅為天皇家所用,亦成為藤原等有力貴族重用的健康食品或藥用之物。

生産量の拡大と共に天皇家のみではなく、藤原家などの有力貴族にも蘇は健康食品、または薬として重用されることとなる。

然而平安末期武士崛起,馬的飼養被視為更重要,牛奶便逐漸從前台消失。

しかし平安末期に武士の台頭と共に牛よりも馬の生産が重要視され、牛乳は表舞台から姿を消す。

要使牛奶再次受到注目,需時至江戶時代。

再び牛乳が注目されるには江戸時代まで時を進める必要がある。

江戶幕府第八代將軍吉宗受一位荷蘭獸醫建議,牛奶與奶油對馬治療有益,便從印度引入三頭白牛。

江戸幕府八代将軍吉宗がオランダ人獣医より、馬の治療に牛乳やバターが良いと薦められインドより白牛三頭を輸入した。

這些牛在被視為近代酪農先驅的千葉嶺岡牧場飼養,用於馬匹治療,並將以這些牛乳製成的蘇稱為白牛酪(はくぎゅうらく),供奉於將軍與大名的膳食。

これを近代酪農の先駆けとされる千葉の嶺岡牧場で飼育し、馬の治療をはじめ、この牛の乳から作った蘇を白牛酪(はくぎゅうらく)と呼び、将軍や大名の食膳に供せられた。

山羊奶和牛奶一樣有著悠久的歷史,據稱世界最早的起司就是以山羊奶製成。

山羊乳も牛乳と同様に長い歴史を持ち、世界最古のチーズは山羊乳から作ったとも言われている。

在日本則被認為約於15世紀由中國傳入,但當時主要作為肉用,僅在九州或沖繩等少數地區飼養。

日本では15世紀ごろに中国より伝来したとされるが、これは採肉用であり九州や沖縄といった一部地方でのみ飼育されるに留まった。

真正用於擠奶的山羊則是在佩里上將來日的寬永年間被引進。

本格的な採乳用山羊はペリー提督が来日した寛永年間に持ち込まれた。

換言之,靜子所飼的山羊雖然是為了提供肉,但若懷孕亦會自然產奶。

つまり静子が飼育している山羊も採肉用ではあるが、当然妊娠すれば乳を出す。

只是可供採乳的量比專門乳用品種少罷了。

単に乳の採取可能量が乳用品種に比べて少ないだけである。

「本以為獸類的乳會如何,沒想到口感出奇地順口。妾喜歡山羊奶。」

「獣の乳など、と思ったが意外と口当たりが良い。妾は山羊の乳が好みじゃ」

みつお原本擔心因為是獸的乳會被人敬而遠之,但濃姫不是會在乎這種小事的人。當然不只是她,まつやおね與えい也一樣。

獣の乳という事で敬遠されないか心配だったみつおだが、濃姫はその程度の事を気にする人物ではなかった。無論、彼女だけでなくまつやおね、えいも同様であった。

「妾偏好牛奶。不知まつ殿喜歡哪一種?」

「妾は牛乳が好みです。まつ殿はどちらですかな?」

「妾兩種都能接受哦。」

「妾はどちらもいけますよ」

「然而……呵呵,長大到如今,居然又喝起乳來,真是沒想到啊。」

「しかし……ふふっ、こうして大人になった今、再び乳を飲むとは思わなかったのぅ」

「在南蠻一帶,牛奶與山羊奶自古被視為有益健康而廣受喜愛。尤其山羊雖雜食但食量小,且比牛更能適應環境,對生活在山岳等特殊環境的人們是珍貴的營養來源。」

「南蛮では牛乳や山羊乳は、昔から健康に良いとされ愛飲されてきました。特に山羊は雑食ですが少食で、また牛より環境に適応する能力が高いので、山岳地帯など特殊な環境で暮らす人々には、貴重な栄養源として重宝されております」

本來山羊就是具有能在山嶺峭壁生存的高超體能的動物。

元々、山羊は山岳地帯の断崖絶壁でも暮らせる高い身体能力を持つ動物である。

因此即便在世界海拔最高的喜馬拉雅山脈,山羊也能不畏惡劣環境而生存下來。

故に世界で最も高い地域のヒマラヤ山脈でも、山羊は過酷な環境を物ともせず生き抜いている。

「嗯……不錯。不過今日的主角是從所謂琉球國調來的黑豬。即便牛奶與山羊奶再好,若黑豬不好也毫無意義。」

「ふむ……悪くないな。しかし本日の主役は、琉球国とやらから取り寄せた黒豚じゃ。牛乳や山羊乳が良くても、黒豚が悪ければ意味がないぞ」

「這話很嚴厲。不過請安心,今日的菜單全是阿古豬料理。此外,我們準備了南蠻點心作為餐後甜品。那麼,開始吧。」

「これは手厳しい。ですがご安心下さい、本日はアグー尽くしの献立にしております。更に、南蛮菓子を食後にご用意致しております。では、お願いします」

小姓們應聲行動,料理陸續擺到濃姫等人面前。

その言葉に小姓たちが反応し、料理が濃姫たちの前に並べられる。

「說明一下:飯是阿古豬生薑燒蓋飯,湯是豚汁。此外為了讓各位享受肉品,我們準備了骰子牛排、炸豬排與香腸。解膩的是數種漬物。」

「ご説明致します。飯はアグーの生姜焼き丼、汁は豚汁です。また肉単品を堪能して頂く為にサイコロステーキにカツレツ、ソーセージを用意致しました。口直しは数種類の漬物でございます」

「倒有點像芳飯(ほうはん),但沒放味噌湯,取而代之的是肉上淋了汁。」

「芳飯(ほうはん)に似ておるが、味噌汁が入っておらぬ。代わりに肉に汁がかけられておるな」

「去掉味噌湯真是新奇的想法。我們這等人絕想不到的料理。」

「味噌汁を抜くとは斬新な考えよのぅ。妾たちでは到底思いつかない料理じゃ」

「這不是件好事嗎。新的料理往往由些微小的契機誕生,然後流傳開來。」

「良い事ではありませんか。新しき料理とはふとした事で生まれ、そして広まるのです」

「正是。無論外表如何,好吃的就是好吃,不好吃的就是不好吃,就如此簡單。」

「左様。見た目がどうであれ旨いものは旨い、不味いものは不味い。ただそれだけの事じゃ」

蓋飯與散壽司的起源被認為是芳飯(ほうはん),即在飯上把魚或蔬菜剁碎放上,再淋上味噌湯的做法。

丼ものやちらし寿司の原点は、飯の上に魚や野菜を刻んで乗せ、その上に味噌汁を注ぐ芳飯(ほうはん)が原点とされている。

然而在以把主食飯與配菜分別配膳為基本的日本,即便現代也有人忌諱把配菜放在主食上。

しかし主食であるご飯とおかずを別々に配膳する事が基本とされている日本では、現代でも主食におかずを乗せる事を忌避する人がいる。

(雖是相當冒險,但最重要的是要有衝擊力。說不定當藝術家向貴族請求贊助時,也像我現在一樣忐忑不安地等待回應吧)

(かなりの冒険でしたが、何よりもインパクトが必要でしたからね。もしかして芸術家が貴族にパトロンを頼む時って、今の私と同じように胃を痛めながら反応を窺っていたのでしょうかね)

稍有不慎或許會激怒濃姫等人,但情況並非如此,她們邊愉快閒聊邊把料理吃光。

下手をすれば濃姫たちを激怒させていたが、その様な事はなく彼女たちは楽しくお喋りをしながら料理を平らげていた。

みつお認為若她們心情好,就比較容易提出請求;但在他開口之前,濃姫已經察覺到他會說出怎樣的願望。

彼女たちの気分が良い状態なら、お願いもしやすいとみつおは思った。しかしみつおが何かを言う前に、濃姫は彼がどんな願いを口にするか察した。

「好吃啊,みつお。這麼一來,殿肯定會喜歡的。關於鶴姬的事,我也會替她說幾句好話的。」

「旨かったぞ、みつお。これだけのものなら、きっと殿も気にいるであろう。鶴姫の事も、妾から口添えをしておこう」

「謝謝您」

「ありがとうございます」

鶴姬是從島津家嫁來的,她在尾張與美濃的行動受到限制,特別是對重要據點管得相當嚴格。

島津家から嫁いできた鶴姫には、尾張・美濃の移動に制限がかけられていた。特に重要な拠点については、かなり口煩い状態だ。

理所當然地,她很難來到靜子身邊,而且能取得的器具也受到相當的限制,被迫過著不便的生活。

当然ながら静子の元へ、彼女は中々こられない。更に入手する道具類もそれなりに制限がかかるという、不便な生活を強いられていた。

但若能得到濃姬的幫腔,みつお覺得生活會稍微好過一些。

しかし濃姫から口添えがされるなら、幾分生活が楽になるとみつおは思った。

「(我記得沒有向她說明過情況……畢竟是信長的正室,知道也不奇怪)餐後想請您品嚐南蠻點心年輪蛋糕。雖然需要特殊的烹飪器具,但在靜子小姐的協助下已能製作。」

「(事情を説明した覚えはないのですが……信長の正室ですし知っていても不思議ではないですね)食後は南蛮菓子バウムクーヘンをお召し上がり頂きとうございます。特殊な調理器具が必要でしたが、静子さんにご協力頂き作成する事が可能となりました」

「是啊,靜子怎麼了?她竟然沒出來參與這類話題,真是有些奇怪啊。」

「そうじゃ、静子はどうした? 奴がこの手の話に出てこないとは、不思議な事もあるのぅ」

「因為今天是我的阿古豬試吃會,她說若搶風頭有失禮,便一直在幕後忙碌著。」

「本日は私のアグー試食会でしたので、出しゃばるのは失礼と言って裏方に徹しておられます」

「那就沒辦法了。這次為了尊重靜子的意思,我們認真享受みつお的料理吧。」

「ならば仕方ない。今回は静子の意を汲んで、みつおの料理を真剣に楽しもうぞ」

「謝謝您(最好把她說『一定會被戲弄所以要逃走』這句當作沒聽到比較好)」

「ありがとうございます(絶対遊ばれるから逃げる、と言っていたのは聞かなかった事にした方がいいですね)」

如みつお在心中所想,靜子在被濃姬玩弄之前已完成策略性撤退。

みつおの心の言葉通り、静子は濃姫に遊ばれる前に戦略的撤退を完了していた。

當濃姬對黑豬阿古豬點頭讚許時,靜子和足滿正待在果園裡。

濃姫が黒豚アグーに太鼓判を押している頃、静子は足満と共に果樹園にいた。

「肉料理果然還是需要胡椒呢。」

「肉料理はやっぱり胡椒が欲しいね」

「在日本的環境下栽培胡椒,應該相當困難吧。」

「日本の環境で胡椒の栽培は、厳しいのではないかね」

胡椒原產於印度,是胡椒科胡椒屬的攀緣性植物。在日本栽培需準備熱帶植物用的溫室環境。

胡椒はインド原産のコショウ科コショウ属のつる性植物だ。日本で栽培するには、熱帯性植物を栽培するための温室環境を用意する必要がある。

再者還需要對胡椒的知識與栽培技術,因此並不適合一般家庭菜園種植。

更に胡椒への知識と栽培する技術が要求されるため、一般の家庭菜園には不向きな作物だ。

「確實很難。尤其是種子的發芽率太差了。不過……一旦發芽了,只要有塑膠溫室就能行得通。」

「確かに難しいね。何より種の発芽率が悪すぎる。けど……一度、発芽すればビニールハウスさえあれば行けるね」

「……靜子不是說過從成本面看不划算嗎?」

「……コスト的な意味で割に合わない、と静子は言っていなかったかな」

「現代日本的話是如此。我確實在那個時代嘗試過栽培胡椒……那也只是出於一時的固執罷了。但是若能在戰國時代栽培胡椒,會成為極好的交易商品。」

「現代日本ならね。確かにあの時代で、私は胡椒の栽培に挑戦していたけど……あれも単に意地になっただけ。だけど戦国時代に胡椒栽培が出来るなら、優秀な交易品になるわ」

「所以為此需要塑膠溫室,是這個意思嗎?」

「その為にビニールハウスが必要、という訳か」

「玻璃溫室需要高超的建築技術。雖然已經試驗性地建過……但應該很難。哦,用來接枝增加蜜柑與檸檬的砧木長得很順利。」

「ガラスハウスは高度な建築技術を要求されるからね。まぁ試験的に建築はしてはいるけど……難しいかな。お、みかんとレモンを接ぎ木で増やすための台木は、順調に育っているね」

由於蜜柑與檸檬同屬柑橘類,作為砧木以枸橘(カラタチ)最為合適。

みかんとレモンはどちらも柑橘類に分類されるので、台木はカラタチが最も優れている。

一般接枝是為了縮短育種年限的技術,但還有一種叫做高接ぎ(たかつぎ)的技法。

一般的に接ぎ木は育種年限の短縮化を図る為の技術だが、もう一つ高接ぎ(たかつぎ)と呼ばれる技術がある。

這是用來在短時間內把收益下降的品種更新為新種的技術。應用此技術可以在一棵樹上栽培出多種果樹。

これは収益性が低下した品種を、新しい品種に短期間で更新するための技術だ。この技術を応用すると、一本の木に何種類もの果樹を作る事が出来る。

舉蘋果為例,把某一品種的蘋果樹當作砧木,就能收穫到富士、津輕、むつ這三種蘋果。

りんごで例えると、とある品種のりんごの木を台木にふじ、つがる、むつの三種類が収穫出来るようになる。

然而高接ぎ(たかつぎ)依品種而異成功率可能很低,做十棵左右的高接ぎ(たかつぎ)卻全滅也有可能。

しかし高接ぎ(たかつぎ)は品種によっては成功率が低く、十本ほど高接ぎ(たかつぎ)をして全滅、という事もあり得る。

「接枝方面沒問題吧。話說回來,要栽培胡椒我想需要溫度計,那要怎麼解決?」

「接ぎ木は問題無いか。話を戻すが胡椒を育てるには、温度計が必要だと思うがそれはどうするのだ?」

「嗯?簡單的吸管溫度計已經能實用化了喔?不過必須是在像塑膠溫室那樣的場所,不然意義不大。」

「ん? 簡単なストロー温度計なら既に実用化しているよ? ただ単に、ビニールハウスみたいな場所でないと、あんまり意味がないけどね」

「……胡椒低於七度就會枯萎。若能取得胡椒苗或種子,且建好塑膠溫室的話,就能開始栽培胡椒了嗎?」

「……確か胡椒は七度以下になると枯れるのだったな。ならば胡椒の苗や種が手に入り、ビニールハウスが出来たならば、胡椒栽培に取り掛かれるという事か」

「實際上還有更多麻煩事。取得苗或種要花大錢,而且也不知道在戰國時代的日本能否發芽。」

「実際はもっと面倒な事があると思うよ。苗や種の入手には大金が必要だし、戦国時代の日本で発芽するかどうかも分からないしね」

胡椒從播種到收成要三年,之後可收成十五到二十年。

胡椒は種を植えてから実を収穫するまで三年かかり、そこから十五年から二十年の間は収穫が出来る。

靜子在胡椒栽培遇到最大難題是發芽率太差。胡椒多用插枝而非種子繁殖,這點讓人能理解,因為要讓胡椒種子發芽極為困難。

静子が胡椒栽培で一番躓いたのが、発芽率の悪さだった。胡椒は種からではなく挿し木で増やす理由も納得出来るほど、胡椒の種を発芽させる事は困難を極めた。

結果靜子細心記錄溫度與水量,為尋找最佳溫度與水量,消耗了約二十包每包十粒、每包五百円的種子。

結局、温度や水の量を小まめに記録し、最適な温度と水量を探り当てる為に十粒五百円の種を二十袋ほど消費した静子だった。

就算是厲害如靜子,也不再從種子開始栽培,而採用插枝繁殖的方式。

流石の静子もそれ以上、種から栽培する事はなく、挿し木で増やしていく方式を採用した。

「(真沒想到會有人為了阻撓對手的胡椒栽培,竟然從對方田裡偷取插枝……)嘛,不過苗和種目前都順利取得了,塑膠溫室也可望在本月完成。」

「(流石にライバルの胡椒栽培を邪魔する為、相手の畑から挿し木を頂戴するとは思わなかったけど……)まぁ順調に苗と種は入手出来ているよ。ビニールハウスも今月には出来そうだしね」

與南蠻和明有交易路線的靜子,早就看上胡椒栽培這門生意。

南蛮や明と交易するルートを持つ静子は、早くから胡椒の栽培に目をつけていた。

然而在歐洲胡椒是珍貴香料。即便有耶穌會的協助,願意交易的商人也不多,而且因為要透過久治郎轉達交易,談判的進度也很慢。

しかし欧州で胡椒は貴重な香辛料だ。幾らイエズス会の協力があろうとも、取引に応じてくれる商人は少ない。更に久治郎経由で取引の話をするため、話のテンポも悪かった。

儘管如此,終於有人願意應耶穌會之請。耶穌會把製作胡椒插枝的方法整理成紙本交給那人。

それでもようやくイエズス会の話に応じる人物が現れた。イエズス会はその人物に、胡椒の挿し木を作る方法を紙に纏めて与えた。

但那人誤解了耶穌會教的方式,竟做出為阻礙收成而從競爭者胡椒田拿走插枝的暴行。

しかしその人物はイエズス会から教わった方法を勘違いし、収穫の妨害をするためライバルの胡椒畑から頂戴するという暴挙に出た。

聽到這事由久治郎轉述時,靜子當然一頭抱住頭不知所措。但也因為那件事,目前運送中的苗與種比預定數更多,究竟該說是幸運還是不該,令人難以抉擇。

その話を久治郎経由で聞いた時、静子が頭を抱えたのは言うまでもない。しかしそのお陰で、予定数より多くの苗や種を運搬中との事だから、良かったと言うべきかどうか悩む所だった。

「大概大多數會死吧。挑選運氣好存活下來的強壯個體,在微型的塑膠溫室裡栽培。要是順利就好了……要是失敗就得從頭再來,會很辛苦呢」

「まぁ大半は死んでいるでしょうね。運良く生き残った強い個体を使い、ミニチュアのビニールハウスで栽培。上手く行けば良いのだけれど……失敗すると一からやり直しはきついかなー」

不能掉以輕心。和現代不同,運送胡椒的扦插至少要花一個月,在那段期間幾乎有一半會腐爛,她是這麼想的。

油断は禁物だった。現代と違い、胡椒の挿し木を運ぶには最低でも一ヶ月はかかる。その間に半分近くは腐るだろうと、彼女は考えていた。

也懷疑他們會不會認真對待。此外她只向耶穌會稱為「胡椒的研究」,並沒有告知真正的目的「胡椒栽培」。

真面目に扱ってくれるかも疑問だった。更に彼女はイエズス会に「胡椒の研究」と伝えているだけで、本来の目的である「胡椒栽培」を伝えてはいない。

當然,即便說要栽培胡椒,也不確定他們會不會當真,但她仍希望盡可能消除不安因素。

尤も、胡椒を栽培すると言っても真面目に取り合ったかは疑問が残るが、可能な限り不安要素は消しておきたかった。

這看起來像是欺騙,但若不這麼做,根本無法取得;況且做法不當可能還會讓他們熱衷於侵略日本。多說無益,還是閉口不言為妙。

騙し打ちをしているように見えるが、こうでもしなければ入手自体が不可能になる上に、下手すると日本への侵略に熱を入れる可能性がある。余計な事は黙っておくに越したことはない。

(報告說扦插用有一百株,種子七十顆。雖然花了足以蓋一座城的資金……要是順利的話五年能收回吧)

(報告では挿し木用が百本、種が七十個だったね。城一個が出来るほどの資金を使ったけど……うまく行けば五年で取り戻せるかな)

種種手續耗時費力,使得向日本輸入苗木與種子變得困難。除了胡椒之外,她也努力購買熱帶作物的苗種,但情況並不樂觀。

色々と手間が掛かりすぎて、日本に苗や種を輸入する事が難しくなっていた。胡椒の他にも熱帯作物の苗や種を購入しようと奮闘しているが、状況は芳しくなかった。

即便計畫要模擬熱帶雨林氣候,若關鍵的苗木與種子拿不到,也會徒勞無功。

熱帯雨林気候を仮想的に作る計画も、肝心の苗や種が手に入らなければ無駄に終わる。

「啊,對了。我有件事想拜託足滿大叔……可以嗎?」

「あ、そうだ。足満おじさんにお願い事があるけど……良いかな?」

「靜子居然來求助我,真少見。別客氣,儘管說」

「静子がわしを頼るとは珍しいな。遠慮はいらん、何でも言え」

「不是什麼要大張旗鼓的事。我想請你在我持有的火繩槍上刻上膛線」

「そこまで構える話じゃないよ。私の持っている火縄銃に、ライフリングを刻みこんで欲しいの」

「……是米涅彈嗎?」

「……ミニエー弾か」

靜子對足滿的話輕輕點了點頭。

足満の言葉に静子は小さく頷いた。

四月十四日,信長結束了從二月末開始整備的討伐朝倉的準備。

四月十四日、信長は二月末から調えていた朝倉征伐の準備を終えた。

他之所以準備討伐朝倉,起因於一月時向畿內及鄰近諸國下達的書狀,內容是「上洛並修理禁裏、辦理幕府之差事」。

彼が朝倉征伐の準備をしていた理由は、一月に畿内や近隣諸国に対して「上洛し禁裏の修理や幕府の御用をするべし」という書状を発した事に由来する。

表面上是為了恢復朝廷與幕府的威信,實際上則是要篩選出對信長敵對與服從的勢力。

表向きは朝廷や幕府の威信を取り戻す形だが、実際は信長に敵対する勢力と服従する勢力をふるい分けるためだ。

直接響應此一呼籲的有德川家康、北畠具房、三好義継、松永久秀等,遠方的國人如太田垣與大友則派遣了使者。

この呼びかけに直接応じたのが徳川家康、北畠具房、三好義継、松永久秀などで、太田垣や大友などの遠方にいる国人は使者を遣わした。

然而與信長關係緊張的朝倉義景並未回應此一呼籲。雖是事先可預見,信長仍帶有對外宣示之意,多次向朝倉發文詢問其理由。

だが信長と緊張感が漂う関係の朝倉義景はこの呼びかけに応じなかった。前もって分かっていた事だが、信長は対外的な意味も込めて理由を尋ねる文を何度か朝倉に送る。

而朝倉對那些文書一次也沒有回覆。

無論それらの文に対し、朝倉が返事を寄越す事は一度としてなかった。

面對不遵從以禁裏與幕府權威為背書的上洛命令的朝倉,信長在此時首次將其視為敵人。

禁裏や幕府の権威を背にした上洛命令に従わない朝倉を、信長はこの時初めて敵とみなした。

但表面上並非討伐朝倉,而是提出了「征伐若狹國守護若狹武田氏及其家臣武藤氏」的名目。

しかし表向きは朝倉征伐ではなく、「若狭国守護である若狭武田氏と被官の武藤氏征伐」を掲げた。

此時,若狹武田氏的最後當主(第九代)武田元明,在1568年被侵入若狹的朝倉氏擄走,帶至一乘谷。

この時、若狭武田氏の最後の当主(第九代)である武田(たけだ) 元明(もとあき)は、1568年に若狭へ侵入した朝倉氏によって拉致され、一乗谷へ連れ去られていた。

若狹武田氏之所以使用武田姓,是因為與甲斐源氏嫡流的甲斐武田氏同族。

若狭武田氏が武田の姓を名乗る理由は、甲斐源氏嫡流甲斐武田氏と同族だからだ。

鎌倉政權成立時,甲斐源氏嫡流的甲斐武田氏曾為甲斐守護,但在承久之亂後也取得了安藝守護的職位。

鎌倉政権発足時の甲斐源氏嫡流甲斐武田氏は、甲斐守護だったが、承久の乱後に安芸の守護職も獲得した。

在甲斐源氏嫡流甲斐武田氏第十代當主武田信武時,甲斐守護由嫡男信成繼承,安藝守護由次男氏信繼承。氏信由此成為安藝武田氏的祖先。

そして甲斐源氏嫡流甲斐武田氏の第10代当主である武田信武の時、甲斐守護は嫡男の信成が継ぎ、安芸守護は次男の氏信が継いだ。この時、氏信が安芸武田氏の祖となったのだ。

既然最後的當主元明被關在一乘谷,武田氏對若狹的統治實質上已告終止,但這與信長無關。

最後の当主元明が一乗谷にいる以上、武田氏の若狭支配は実質的に終わりを告げているが、信長には関係なかった。

他的目的就是討伐朝倉。既然眼前有個合適的大義可用,何妨加以利用。

彼の目的は朝倉征伐である。目の前に都合の良い大義が転がっているのなら、利用しない手はない。

四月二十日,信長率領自身軍隊與同盟的德川軍合計三萬人,自坂本出陣,表面上是前往若狹。

四月二十日、信長は自身の軍に同盟の徳川軍合わせて三万を率い、建前の若狭を目指し坂本を出陣した。

名義上是征伐背逆幕命的若狹國武藤友益,但無論誰看都只有討伐朝倉才是真正目的。

目的は幕命に背いた若狭国の武藤友益の征伐という事になっているが、誰がどう見ても朝倉征伐が真の目的にしか見えなかった。

或許為了洗刷這樣的疑慮,信長讓幕臣與公家隨軍同行,向外界展示這不是獨斷出兵,而是以官軍身分出陣。

それらを払拭させる為か、信長は幕臣や公家も行軍に同行させ、独断の出陣ではなく官軍の立場で出陣した事を周囲に見せつけた。

出陣時大約三萬至四萬的兵力,從近江路進入若狹國後,若狹等地的軍勢齊聚,總數膨脹至十萬。

出陣時には三万から四万程度の軍勢が、近江路より若狭国に入ると若狭衆など各地から軍勢が集まり、総勢十万の軍勢に膨れ上がった。

在若狹的小濱武田一族與部分被官曾上告反對信長,但若狹守護武田氏的舊臣粟屋越中守勝久卻與信長通好。

若狭にいる小浜の武田一族や、被官人の一部が反信長を訴えていたが、若狭守護武田氏の譜代の臣・粟屋越中守勝久は信長に通じていた。

四月二十二日,信長進入由近江通往若狹的熊川宿。

四月二十二日に信長は近江から若狭に抜ける熊川宿に入る。

此時,家康下榻於得法寺。該得法寺傳有家康出發赴敦賀時所坐的那棵松樹(家康腰掛松)的傳說。

この時、家康は得法寺に泊まった。その得法寺には、敦賀へ出発する時に腰掛けたという松(家康腰掛の松)が伝承として残されている。

四月二十三日,京城的年號由永祿改為元龜。

四月二十三日、京で元号が永禄から元亀に改められた。

這不是信長的意願,而是義昭的一意孤行。既然介入朝廷的改元,自然會增加對他的不滿者。

これは信長の意向ではなく、義昭の独断であった。朝廷が行う改元に介入した事で、彼へ不満を持つ層が増える事は言うまでもない。

四月二十四日,信長進入位於若狹與越前國境的國吉城。國吉城城主粟屋越中守勝久多年來一直抵抗朝倉對若狹的侵攻。

四月二十四日、信長は若狭と越前の国境にある国吉城に入城した。国吉城の城主である粟屋越中守勝久は、長年朝倉の若狭侵攻に対抗してきた人物だ。

在此信長暫時停止軍隊前進。家康終於注意到信長的軍隊有些異常。

ここで信長は一旦軍の前進を停止させた。そこでようやく信長の軍が奇妙である事に、家康は気付いた。

「半藏,在織田大人的軍中有沒有看到森大人的身影?」

「半蔵、織田殿の軍に森殿の姿は見たか?」

「……從京城時起就沒見著」

「……京にいる時から見ておりませぬ」

那就是信長的右腕森可成不見蹤影。這麼重大的戰事裡,沒有他的身影實在奇怪。

それは信長の右腕である森可成の姿がない事だ。これほどの大きな戦で、彼の姿がない事は奇妙の一言だった。

家康思忖,既然森可成在武勇上出類拔萃,信長為何不將他帶來討伐朝倉?

家康は考える。武辺に優れている森可成を、信長が朝倉征伐に連れてこない理由が何か。

他沉思之際,半藏的手下不知從何處現身向半藏回報;半藏聽罷,緩緩轉向家康開口。

彼が思案している間、半蔵の配下が何処からともなく現れ、半蔵に報告をする。それを聞いた半蔵は、ゆっくり家康の方へ向きながら言葉を口にした。

「殿。據報織田軍分為兩隊,其中一隊在關原附近集結,兵力恐怕不下三萬。」

「殿。報告によれば、織田軍は二つあり、一つは関ヶ原辺りに集結しているとの事です。その数、三万は下らないかと」

「……是為了防備淺井大人可能的背叛嗎。」

「……浅井殿が裏切る可能性を考慮して、か」

「大概是。淺井備前守大人與左兵衛尉大人完全對立。所以織田殿把兵置於關原,應是為了防止左兵衛尉大人背叛從後方急襲。」

「恐らく。浅井備前守殿と、左兵衛尉殿は完全に対立状態です。ですから織田殿は、左兵衛尉殿が裏切り、背後から急襲するのを防ぐ為に関ヶ原へ軍を置いたのでしょう」

「如此一來,率領關原織田軍的就是……森大人吧。」

「とすれば、関ヶ原にいる織田軍を率いているのは……森殿か」

美濃國關原(現在的岐阜縣不破郡關原町)是被稱為分天下之戰的關原之戰發生的地方。

美濃国関ヶ原(現在の岐阜県不破郡関ヶ原町)は、天下分け目の合戦と言われた関ヶ原の戦いが行われた場所だ。

一般認為關原之戰是以關原為主戰場,文治派──負責政務的諸將與武斷派──負責軍務的諸將,在野戰中對陣的戰鬥。

一般的に関ヶ原の戦いは文治派と呼ばれる政務を担った諸将と、武断派と呼ばれる軍務を担った諸将が、関ヶ原を主戦場として行われた野戦と言われている。

但作為文治派中心的石田三成與武斷派中心的德川家康,雙方皆為豐臣秀吉的家臣,因此兩者爭鬥的理由是豐臣政權內的主導權之爭。

しかし文治派の中心である石田三成と、武断派の中心である徳川家康は、どちらも豊臣秀吉の家臣だ。故に両者が争った理由は、豊臣政権における主導権争いだ。

關原為聯結東國與西國的要地,幾乎所有人若要由東國至西國或由西國至東國,均須經過關原。

関ヶ原は東国と西国を結ぶ要地であり、ほぼ全ての人間は関ヶ原を経由しなければ東国から西国、もしくは西国から東国へ行けない。

深知此點的信長視可大軍展開的關原為重要據點,建造了大量防禦設施,佈下重重防禦陣。

その点をよく理解している信長は、大軍が展開出来る関ヶ原を重要地点と考え、防衛施設を多数建築し、何重もの防御陣を敷いた。

不過因為有不少地方未完工,周遭反而僅被視作防守地帶。

しかし未完成な所が多数ある関係で、周囲には防御地点としてしか認識されていない。

正當要塞化的關原聚集了織田軍三萬,總大將是森可成,副大將為柴田勝家。

要塞化が進む関ヶ原に織田軍三万が集結していた。総大将は森可成、副大将は柴田勝家だ。

織田家家臣中首屈一指的猛將柴田勝家,與號稱「攻めの三左」、武勇聞名的森可成同時在關原布陣。

織田家家臣随一の猛将柴田勝家と、「攻めの三左」の異名を持つ武勇の誉れ高い森可成が、揃って関ヶ原に布陣している。

對此最為驚恐的,無疑是淺井久政;他本打算若信長侵入朝倉領,就與朝倉在金崎合夾殲滅。

その事に一番驚き、畏れ慄いたのは言うまでもなく浅井久政だ。彼は信長が朝倉領土へ侵攻すれば、金ヶ崎で朝倉と連携し挟み撃ちにする算段だった。

但若森可成在關原布陣,便無法對織田軍實行夾擊,反而可能成為被夾擊的對象。

しかし森可成が関ヶ原に布陣していては、織田軍を挟み撃ちにする作戦は行えない。下手をすると自分たちが挟み撃ちの対象になるからだ。

久政發覺自己等除了旁觀信長行軍外別無他法,但為時已晚。

久政は信長の行軍を傍観する事以外、何も出来ない自分たちに気付いたが後の祭りだった。

「淺井左兵衛尉大人會否背叛或放棄,端賴殿下的行動。」

「浅井左兵衛尉殿が裏切るか、それとも諦めるかはお館様の行動次第だ」

在關原某城駐紮的森可成以相當悠閒的氣氛低喃。

関ヶ原にある城の一つに布陣している森可成は、非常にゆったりした雰囲気で呟いた。

因為很可能長期駐紮,他認為過度緊繃反而耗損精神;但在家臣眼中,森可成雖顯得從容,卻始終處於臨戰狀態。

長期間滞在する可能性が高い為、彼は気を張りすぎる事は逆に精神をすり減らすと考えているからだ。だが家臣たちの目には森可成がゆったりしながらも、常に臨戦態勢に見えた。

「殿已四日未自國吉城出動。雖有朝倉進軍之訊,吾等可否仍從容應對?」

「お館様は国吉城から四日も動かれておりません。朝倉が進軍しているとの話ですが、悠長に構えても大丈夫なのでしょうか」

「勿掛心。殿以討伐武藤為目的,朝倉無正當大義對其發動攻擊。倘若朝倉輕啟攻擊,便正可堂而皇之號召征討朝倉,左兵衛尉也無從反駁。甚至……若能與朝倉牽連,反使我方有可戰之場,對我等反而更為有利。」

「気にするな。お館様は武藤征伐が目的だ。そこへ攻撃を仕掛ける大義が朝倉にはない。万が一、朝倉が攻撃を仕掛けたら、それこそ朝倉征伐を堂々と掲げられる。そして左兵衛尉殿も朝倉征伐に反論が出来ぬ。いや……朝倉と連携して貰える方が、我々にとっては戦う場が出来て都合が良いか」

森可成裝出嬉笑態,引得家臣群起大笑。

おどけた態度を取り、森可成は家臣たち一同の笑いを誘う。

「報告。殿,無動靜。淺井無動靜。朝倉自一乘谷出兵進軍。」

「報告します。お館様、動きなし。浅井、動きなし。朝倉、一乗谷から進軍したとの事です」

「辛苦了。柴田那邊有何情形?」

「ご苦労。柴田殿から何かあるかね」

「回禀:言是腕力生疏,甚感困擾。」

「はっ。腕が鈍って困る、と申されておりました」

聽了柴田的牢騷,森可成的家臣們又笑了;他們並非鬆懈,能在關原駐守即代表已達成半數目的,心中自有餘裕。

柴田の愚痴にまた森可成の家臣たちは笑う。彼らは決して油断している訳ではない。この関ヶ原に留まる事で、彼らは目的の半分を既に達成しているから心に余裕があるのだ。

再過兩天、四月三十日,信長終於有動作,但那舉動令淺井與朝倉大感震驚。

更に二日後の四月三〇日、ようやく信長に動きがあった。しかしそれは、浅井・朝倉を驚かす動きだった。

坐鎮國吉城的信長出人意表地解散了官軍,出乎久政與朝倉的預料。

国吉城にいる信長は久政と朝倉の予想を裏切り、その場で官軍を解散した。

並在提防德川軍入朝倉領的同時,朝著長政的居城進發。

そして徳川軍を引き連れて朝倉領に入らないよう注意しつつ、長政の居城を目指す。

官軍解散後,幕臣與公家便利用行軍路線回京。

官軍が解散された事で幕臣や公家は、進軍ルートを使い京へ帰還した。

關原的森可成率領一萬兵,配合信長的進軍向長政居城推進。

関ヶ原にいる森可成は一万の兵を率い、信長の進軍に合わせて長政の居城へ進軍し始めた。

考量信長率領的織田・德川聯合軍與森可成率領的織田軍間的距離,森可成的行軍本應比信長慢數日。

信長率いる織田・徳川連合軍と、森可成率いる織田軍の距離を考えれば、森可成が行軍するのは信長より数日遅れになる。

然出乎意料,雙方幾乎同時行軍,朝倉為此驚慌失措,他在越過木芽峠處止軍,努力蒐集情報並嘗試讓軍隊後撤。

しかし予想を裏切り、両者がほぼ同時に行軍した事に朝倉は驚き恐れ慄いた。彼は木芽峠を越えた所で軍を停止し、情報収集に努めつつ軍を後退させようとした。

但朝倉過去屢受信長輕視,如今選擇無所為而撤退,令家臣們反感;這股反感使朝倉陷入前後皆難以行動的窘境。

しかし散々信長に舐められた態度を取られながら、何もせず朝倉が撤退を選んだ事に家臣たちは反発した。この反発に朝倉は前にも後ろにも動けない状態に陥る。

彷彿嘲弄被釘在木芽峠的朝倉軍,織田・德川聯合軍沿越前邊境擦邊而進。

木芽峠で釘付け状態になった朝倉軍を嘲笑うかのように、織田・徳川連合軍は越前の国境をかすめるように進軍した。

最終因無法提出對信長挑釁的充分大義,朝倉在說服家臣後返回一乘谷。

最終的に信長の挑発に対して然るべき大義が上げられない事を理由に、朝倉は家臣たちを説得し一乗谷へ帰還した。

接獲朝倉軍已返一乘谷的報告後,久政解散了秘密集結的軍隊。

朝倉軍が一乗谷へ戻ったとの報告を受けた久政は、密かに集めていた軍を解散させた。

朝倉與久政雖因錯失良機而悔恨,卻未曾深思信長不進軍的真正目的為何。

朝倉も久政も機会を逃したと悔しがったが、信長が進軍しなかった目的が何かまでは考えに至らなかった。

「首尾如何?」

「首尾はどうじゃ」

「非常順利」

「上々にござりまする」

信長率領官軍的理由既不是為了討伐武藤友益,也不是為了討伐朝倉。

信長が官軍を率いた理由は、武藤友益征伐でも朝倉征伐でもない。

蒐集淺井久政的軍事情報,以及朝倉軍的情報,才是信長的真正目的。

浅井久政の軍事に関する情報、そして朝倉軍の情報を集める事こそ信長の真の目的だった。

當然,他並未說謊。他以討伐武藤友益為名,並且也計畫若有機會便討伐朝倉。

無論、嘘は言っていない。武藤友益征伐を目的とし、あわよくば朝倉征伐も彼は目論んでいた。

朝倉軍動員兩萬兵,內留六千在國內,率領一萬四千出陣離開一乘谷。

朝倉軍は二万の兵を動員し、内六千を国内に残し、兵一万四千を率いて一乗谷を出陣した。

淺井軍可動員一萬八千兵,但光靠久政與親朝倉派也只能到八千為限。

浅井軍は一万八千の兵を動員出来るが、久政と親朝倉派だけでは八千が限界だった。

即便淺井與朝倉合計,兵力也未達三萬。得到軍情後,信長的真正目的已達成一半。

浅井・朝倉両名を合わせても、兵力は三万に満たない。軍に関する情報が得られた事で、信長の真の目的は半分達成された。

並且成功讓淺井與朝倉兩軍做出無謂的耗費,可說是頗有成果。

更に浅井・朝倉両軍に無駄な浪費をさせる事も成功し、まずまずの成果と言えた。

但不只收集軍情;為了達成另一項目的,信長向長政的居城小谷城前往。

だが軍の情報を集めるだけでは終わらない。信長はもう一つの目的を達成する為、長政の居城・小谷城へ向かう。

「遠道辛苦了,義兄。今日有何事相求?」

「遠い所からよくお越しくださいました、義兄上。本日はどのようなご用向きでしょうか」

長政以恭敬的問候開口,但許多家臣對此感到不快。在他們眼中,長政的舉止看起來只是對信長卑屈。

丁寧な挨拶を口にする長政だが、その事に不快感を覚える家臣は多かった。彼らにとって長政の言動は、信長にへりくだっているようにしか見えなかった。

當然,抱持此感情的多半是久政陣營。長政的想法是:對禮以禮,對不禮則以不禮回應,無論對象為誰。

尤も、そういう思いを抱くのは決まって久政陣営だ。如何なる相手でも礼儀には礼儀を、非礼には非礼を返すのが長政の考えだ。

(看來,那信未有收到)關於討伐武藤,有件麻煩的事傳來了。

「(これは、届いておらぬようだな)武藤征伐で厄介な話が舞い込んできた」

「失禮問一句,義兄所言的麻煩之事,與您到我城來的理由有關嗎?」

「失礼ながら義兄上が言われる厄介なお話と、我が城へ参られた理由は関係しておるのでしょうか」

「稍微有關。先說那個違背幕命的武藤氏,他的主君一年前被朝倉軍擄走。武藤氏在主君若狹武田氏尚在時對自行上洛有所抵抗;但他並未以此為藉口不作為,而是選擇堅守抗戰,實在可稱作令人欽佩的忠義之心。」

「少々関係する。まず幕命に背いた武藤氏だが、彼の主君は一年前に朝倉軍によって拉致されていた。武藤氏は主君の若狭武田氏を差し置いて、自身が上洛する事に抵抗があったのであろう。そしてそれを言い訳にせず、座して戦う姿はあっぱれな忠義心という他ない」

信長毫不保留的稱讚讓久政陣營有些驚訝。或許因仍視信長為鄉下國人,無法擺脫「只以武力爬升而來的粗野之人」這種錯誤印象。

信長の手放しな称賛に久政陣営は若干どよめく。未だ信長の事を田舎国人と思っている為か、武力だけでのし上がった粗暴な人間、という誤ったイメージが払拭出来ていないのだ。

「雖然可以前去救援若狹武田氏,但若對手是朝倉氏,事情就不會那麼簡單。」

「若狭武田氏の救援に向かう事は可能だったが、相手が朝倉氏となれば事は単純に行かない」

「這話不妥。即便與朝倉動武,也只能成為征伐朝倉的藉口。而且兵力差距太大,我認為無需多慮。」

「これは異な事をおっしゃる。仮に朝倉氏と事を構えても、それは朝倉征伐が大義名分となるだけです。それに兵力が違い過ぎます。ご心配する事はないかと思いますが」

「難道忘了嗎?若與朝倉發生事端,我曾與你約定要協商。當我得知朝倉軍進軍時,就曾發文通知你要就此事商談。但從剛才的態度看來,那封文書似乎沒送到你手上。」

「忘れたか。朝倉氏と事を構える場合、わしはそなたと話し合うという約束を交わしておる。故に朝倉氏の進軍を知った時、そなたにこの件で話し合う旨の文を送った。しかし先ほどからの態度を見るに、文はそなたの手に届いておらぬな」

信長一邊做出沉思的樣子,目光卻僅望向久政一方。

信長は考え事をする素振りを見せながら、視線だけを久政の方へ向ける。

「你是要說我把那封文書藏起來了嗎!?』

「わしがその文を隠しているとでも言いたいのか!?」

那目光讓久政覺得像是在指責自己,他反射性地站起並大聲喊叫。

その視線が自分を責めているように見えた久政は、反射的に立ち上がって大声を上げる。

這是有愧內心之人的典型態度,但已怒不可遏的久政並未察覺。

心に疚しい事がある人間そのものの態度だが、頭に血が上った久政は気付かない。

「您這是突然怎麼了,左兵衛尉殿?」

「突然どうなされました、左兵衛尉殿」

「你這傢伙!」

「貴様ッ!」

「您如此激動對身體有害,請息怒冷靜商談。若是我有何不當之處,先行致歉。」

「その様に興奮なされては、お体に毒ですぞ。お怒りを沈め、冷静に話しあおうではありませんか。わしが何か悪い事をしたのでしたら、先に謝罪を申し上げます」

久政的激昂中,信長以冷靜回應,並伴以道歉低頭。

久政の激昂に信長は冷静な態度で返答し、更に謝罪の言葉とともに頭を下げた。

是非已明,但久政連信長的道歉也視作在愚弄自己。

既にどちらが是で、どちらが非か明らかなのだが、久政は信長の謝罪すら自分を馬鹿にしているように見えた。

「退下!」

「下がりなされ!」

久政還想再說些什麼,但被長政一喝打斷。

なおも何か言いかけた久政だが、長政の一喝にそれはかき消された。

久政帶著怒色看向長政,但長政冷靜且斷然地宣告。

信長から長政に怒りの表情を向けた久政だが、長政は冷静に、そしてはっきりと断言した。

「淺井家的當主是我。你沒有出場的資格。」

「浅井家の当主はこのわしです。貴方の出る幕はありませぬ」

那句話是決定性的發言。

それは決定的な台詞だった。

淺井家家臣們瞬間明白,長政與久政的關係已惡化至無法修復。

長政と久政は修復不可能なまでに関係が悪化した、と浅井家家臣たちは瞬時に理解した。

「義兄,我代父親向您道歉其失禮之處。」

「義兄上、父上の無礼、変わって謝罪致します」

「不用在意。說過的事也無法改變。回到正題吧,我想把若狹武田的事交給你處理。朝倉殿似乎很反感我,根本不肯聽話,且周遭常認為我只會以武力解決事情。因此我覺得由與朝倉家關係深的淺井家來處理,比我直接介入更為妥當。」

「気にしておらぬ。そして過ぎた事を言っても始まらぬ。話を戻そうか、若狭武田氏の事はお主に任せたい。どうも朝倉殿はわしを嫌っておるようでまるで話を聞こうとされないし、わしは武力でしか物事を解決しないと周囲に思われがちだからな。これ以上はわしが関わるよりも、朝倉家と関係の深い浅井家が解決する方が良いと思ったのじゃ」

「即便有可能招致背後襲擊,仍為我著想至此,義兄的深謀遠慮令人感謝。」

「下手をすれば背後から襲われるにも関わらず、そこまで考えて頂いた義兄上の思慮深さに感謝致します」

「那就拜託你了。」

「では宜しく頼むぞ」

讓朝倉上洛是淺井的責任,獲得此確約後,信長迅速結束會談。

朝倉を上洛させるのは浅井の仕事、その確約がとれた信長は早々に会談を終わらせた。

之後,他與長政一同前往お市及襁褓中的茶々那裡。與お市打過招呼後抱起茶々,但茶々在被信長抱起的瞬間大聲哭了起來。

その後、彼は長政と共にお市、そして赤子の茶々の元へ向かった。お市と挨拶を交わし、茶々を抱き上げたが、茶々は信長に抱き上げられた瞬間、大泣きをした。

「看來茶々姬不太喜歡我這粗獷的臂膀」

「どうやら茶々姫は、わしの武骨な腕がお気に召さぬらしい」

周圍的人慌了,但信長並未放在心上,反而豪爽地大笑起來。

周囲の人間は慌てたが信長はさして気にも留めず、それどころか豪快に笑っていた。

或許是因為無法抱起她而心裡覺得不甘,信長便數度挑戰抱起茶々。

それでも抱き上げられなかった事が内心悔しかったのか、何度か茶々の抱き上げに挑戦した信長だった。

但無論試了多少次,茶々總是哭鬧,無法順利抱起她。

しかし何度やっても茶々に泣かれてしまい、うまく抱き上げる事は出来なかった。

「哇哈哈,茶々姬一點也不退讓。看來像是當年的お市,真令人痛快。長大後,必會成為一位好女子吧」

「わっはっはっ、茶々姫は一歩も引かぬようじゃ。昔のお市を見ているようで小気味が好い。大きくなれば、良い女子になるであろう」