戦国小町苦労譚
一五六八年 八月中旬
自此之後沒有發生特別事件,織田軍也未遭六角軍奇襲,平安度過翌日。
それ以降は特別なイベントもなく、また織田軍は六角軍から奇襲を受けることなく、平穏無事に次の日を迎えた。
織田軍約四萬至五萬,德川軍約一千,淺井軍約三千,合計近六萬的上洛軍。
織田軍四万から五万程度、徳川軍千程度、浅井軍三千程度、総勢六万近い上洛軍。
對陣方則以本陣觀音寺城置當主六角義治、其父義賢,與義治之弟義定及精銳馬廻衆千騎;箕作城以以勇聞名的吉田重光、建部秀明、狛修理亮、吉田新助等為武者頭,約三千餘人;和田山城以田中治部大輔等為大將,約六千餘人,合計約一萬的六角軍。
それに対するは本陣の観音寺城に当主六角義治、義治の父である義賢、そして義治の弟の義定と精鋭の馬廻衆千騎、箕作城には剛勇で知られた吉田重光・建部秀明・狛修理亮・吉田新助などを武者頭に三千余人、そして和田山城に田中治部大輔らを大将に六千余人を配置した総勢一万程度の六角軍だ。
單就兵力數目而言,六角軍不到上洛軍的一半。然而若攻擊和田山城,背後便會被箕作城牽制;若攻擊本陣觀音寺城,則會遭和田山城與箕作城夾擊。
数だけで言えば六角軍は上洛軍の半分にも満たない。しかし和田山城を攻めれば背後を箕作城に取られ、本陣の観音寺城を攻めれば、和田山城と箕作城から挟撃を受ける。
箕作城所在的箕作山為海拔約三百公尺的小山,但通往城的道路僅有一條陡峭山徑,且四周被大樹覆蓋,是天然的險要。
箕作城がある箕作山は標高三百メートル程度の小山だが、城へ通じる道は急斜面の一筋しかない上に、周りを大樹に覆われた天然の要害だ。
箕作山有兩個山頂,其中位於北側的山頂上有箕作城。
箕作山は二か所の頂上を有し、その内の片方である北側の頂上に箕作城がある。
自北側的箕作山向西北方就是觀音寺山(現名繖山),其上有觀音寺城。
北側の箕作山から北西に観音寺山(現在は繖山という名称)があり、観音寺城がある。
從觀音寺山向東約二公里,有座位於愛知川與大同川匯流處西側、海拔約一八〇公尺的和田山,和田山城座落於其山頂附近。
そして観音寺山から東に2kmほど離れ、愛知川と大同川の合流点の西に位置する標高180mほどの和田山、その山頂付近に和田山城がある。
和田山城於約五十公尺×一百公尺的城域周圍築有土壘,從南側依序連接馬出曲輪與主曲輪,並在主曲輪背後配置約十公尺×十公尺的櫓台。
和田山城は50m×100mほどの城域の周囲に土塁を廻らせ、南から馬出曲輪、主曲輪と連ねており、更に主曲輪の背後に10m×10mほどの櫓台を配している。
箕作山與觀音寺山位於湖東平野,也就是近江盆地的山嶺。
箕作山と観音寺山は湖東平野、つまり近江盆地(おうみぼんち)にある山である。
兩山之間形成狹路,是交通要衝;現代則有國道八號線、JR琵琶湖線以及新幹線通過繖山與箕作山之間。
そして二つの山の間は隘路を形成する交通の要衝の地だ。現代では国道八号線、JRびわこ線、および新幹線が繖山と箕作山の間を通っている。
為掌握此路,六角氏在觀音寺山設居城,在箕作山築支城,可謂理所當然。
このルートを掌握するために六角氏が観音寺山に居城、そして箕作山に支城を築いたのは当然と言えよう。
對於歷經長年建立的防禦線,六角家當主六角義治抱有絕對自信。
長い年月をかけて築き上げた防衛線に、六角家当主の六角義治は絶対の自信があった。
然而厄運降臨於他。
しかしそんな彼に不幸は舞い降りる。
那就是他自信滿滿的防禦網,以及此次作戰與人員配置、按舊制預定的撤退路線等凡是留有記錄的軍事相關情報(……),全都已為信長與其主要部下所悉知。
それは彼が絶対の自信を持つ防衛網、及び今回の作戦や人員の配置、古式に則って逃走するルートなど、およそ軍事関係の情報で記録に残っているもの(・・・・・・・・・・)は、全て信長と彼の主要な配下に知れ渡っている事だ。
「無需對六角耍什麼花招。以吾等之力蹂躪他。」
「六角如きに策を弄する必要はない。我らが持つ力で奴を蹂躙せよ」
信長一聲令下,觀音寺城之戰的序幕便揭開。
信長が宣言すると同時、観音寺城の戦いの火蓋は切られた。
由清晨開始作戰的織田、德川、淺井三軍渡過愛知川後分作三隊。
早朝から戦を開始した織田、徳川、浅井の三軍は、愛知川を渡河すると三隊に分かれた。
由稻葉良通率領的第一隊向和田山城進發,柴田與森可成率領的第二隊攻向觀音寺城,丹羽、秀吉以及信長率領的第三隊則向箕作城進攻。
稲葉良通が率いる第一隊が和田山城、柴田と森可成率いる第二隊が観音寺城、丹羽、秀吉、そして信長率いる第三隊が箕作城に向かった。
戰端在箕作城開啟:自北口由秀吉率領二千三百人出擊,自東口由丹羽率領三千人同時發動攻擊。
戦端は箕作城で開かれる。北の口から秀吉率いる二千三百人が、東の口から丹羽率いる三千人が攻撃を開始した。
然而箕作城為急坡與大樹掩蔽的堅城,加上吉田出雲守隊防守嚴密,秀吉與丹羽倍感苦戰。
しかし箕作城は急坂や大木が覆う堅城。そして吉田出雲守隊の守りも固く、秀吉と丹羽は苦戦を強いられていた。
其間信長所為何事?乃封鎖通往箕作城的唯一山徑。
その間、信長が何をしていたか。それは箕作城に続く一筋の道の封鎖だ。
通往箕作城的道路僅有一條,其餘都被巨木包圍或為陡峭的獸道,無法作一般軍事行動。
箕作城に続く道は一本しかなく、それ以外は巨木で囲まれていたり、急坂の獣道であったりと通常の軍事行動を行える環境ではない。
換言之,若那唯一道路被封鎖,箕作城內的守軍便無法有組織地撤退。
つまり一本道が封鎖されれば箕作城にいる守備隊は、組織だった撤退は行えないという事だ。
在山麓封鎖三處、途中封鎖四處後,信長運入大量裝有某物的壺。
山の麓に三箇所、そして道中に四箇所を封鎖し終えた信長は、あるものが入った壺を大量に運びこむ。
當聚集到一定數量後,士兵們便朝城內投擲,壺應聲破裂,內容物四散飛濺。
ある程度の数が集まると、兵士たちはそれを城に向かって投げ込む。派手な音を立てて壺が割れ、中身が周囲に飛び散る。
信長在壺中所裝之物為酒精濃度超過六〇度的液體,與其稱為酒不如說屬危險物;信長將其接連投向城內。
信長が壺に入れたもの、それはアルコール度数が六〇度を超えた液体だった。お酒というより危険物に該当するそれを、信長はどんどん城の中へ投げ入れる。
吉田出雲守隊不明信長所為,心生困惑,仍與秀吉隊及丹羽隊對峙。
吉田出雲守隊は信長の行動が分からず、困惑しながらも秀吉隊や丹羽隊と相対する。
漸漸地,有些地面因投擲而形成小水漥,所撒的酒精在周圍熱氣作用下開始逐漸揮發。
やがて一部の床では小さな水たまりが出来るほど投げ込まれたアルコールが、周囲の熱気にあてられて少しずつ蒸発し始める。
就在那瞬間,箕作城內響起警笛聲,呼應之下秀吉隊與丹羽隊停止攻勢,迅速撤退。
その瞬間、箕作城に警笛の音が鳴り響く。それに呼応するように秀吉隊と丹羽隊が攻撃の手を止め、素早く撤退した。
吉田出雲守隊對這些舉動毫無理解,陷入輕微的恐慌,在原地呆立。
彼らの行動が一つも理解出来ず、軽いパニック状態に陥った吉田出雲守隊は、その場で呆然と立ち尽くす。
而這決定了他們的命運。
それが彼らの運命を決めた。
一支火矢射向城內,當其接觸到已汽化的酒精時,情勢瞬間改變。
一本の火矢が城へ放たれる。それが気化したアルコールに触れた瞬間、世界は一変した。
一瞬間箕作城被火海吞沒。吉田出雲守隊未及理解發生何事,當他們察覺現狀時,恐慌籠罩了士兵們。
一瞬で箕作城が火の海に包まれた。その事に理解が追いつかなかった吉田出雲守隊だが、現状を認識できた瞬間、パニックが兵士たちを包む。
若他們理解酒精燃燒速度雖快但續燃力不足,情勢或許會不同。
もしも彼らがアルコールは燃焼速度こそ早いものの、瞬発力だけで持続力がないものだと理解していれば、また違った未来になっていただろう。
然而周遭瞬間成為火海,他們連往何處逃生才安全的方向都分不清,因而慌亂不已。
しかし彼らは周囲が一気に火の海に包まれ、どこへ逃げれば安全なのか方角すら分からない状況に浮足立った。
這加速了恐慌的傳染,不多時他們陷入群體恐慌,吉田出雲守隊潰散逃跑。
それがパニックの伝染に拍車をかける。僅かな時間で彼らは集団パニック状態になり、吉田出雲守隊は潰走した。
本來六角軍因六角家當主六角義治雖無器量與才能卻自負驕傲、頤指氣使,致士氣低落。
元々、六角軍は六角家当主の六角義治が、器も才能もないくせにプライドだけ高く、上から目線の命令ばかりするために士気が低い。
如此一來,他們根本無法守住已成火海的箕作城,拋棄武具爭先恐後地逃竄。
そんな彼らが火の海となった箕作城など守る訳がなく、武具類を投げ捨てて我先にと逃げ出した。
然而他們連逃跑也不被允許,因為已備妥獵捕的織田軍在通往城的那條唯一山徑上埋伏等待。
だが彼らには逃走すら許されなかった。何故なら、彼らを狩るための準備を終えた織田軍が、城へ続く一本道で待ち構えていたからだ。
箕作城陷落。那是自城池受到攻擊後僅僅六小時的事。
箕作城落ちる。それは城が攻撃されてから僅か六時間後の事だった。
箕作城在半日左右就失守,令六角軍,尤其是當主六角義治難以掩飾震驚。畢竟和田山城、觀音寺城以及箕作城同時遭受攻擊,但前兩座城還處於僵持偏弱的狀態。
半日程度で箕作城が陥落した事に六角軍、特に現当主の六角義治は動揺を隠せなかった。何しろ和田山城と観音寺城、そして箕作城へ同時に攻撃を受けていたが、前者二つは押し気味だったのだ。
他原以為以此勢頭還可能將上洛軍擊退,但事實並非如此。
このままの勢いでいけば上洛軍を押し返す事も可能、そう考えていた彼だが事実は異なる。
上洛軍故意扮演被壓制的模樣,為了把他們從城中誘出,也為了不讓他們注意到箕作城的情況。
上洛軍は城から彼らを引きずり出すため、また箕作城の状況に意識を向けさせないため、わざと押され気味の演技をしていたのだ。
上洛軍中有人不擅於演戲,因此顯得有些生硬地演出敗戰,但六角軍因為被勝機沖昏頭,沒看穿那拙劣的演技。
演技が得意でないものもいるため、どこかぎこちない感じの負け戦を演じていた上洛軍だが、勝ちの目があるという事に目が眩んだ六角軍は、その拙い演技を見抜けなかった。
幸好義治在觀音寺城,但被挑動的父親與弟弟卻帶著七百馬廻衆衝出城去。
幸いにも義治は観音寺城にいたが、踊らされた彼の父と弟は馬廻衆七百を連れて城から打って出てしまった。
他急令傳令讓父親與弟弟回到觀音寺城,並通知和田山城堅守,然而回來的傳令帶回的消息盡是令他絕望的內容。
急いで父と弟に観音寺城へ戻る事と、和田山城に籠城して耐えるように伝令を出す。だが帰ってきた伝令がもたらした情報は、彼を絶望に追いやる内容ばかりだった。
「不、不可能……! 我精銳的馬廻衆全軍覆沒,父親還有……弟竟戰死了!」
「ば、馬鹿な……ッ! 我が精鋭の馬廻衆が全滅、更に父と……弟が討ち死にだと!」
在一千騎精銳馬廻衆中,有七百被全滅。更糟的是,率領那七百人的父親義賢與弟弟義定已戰死。
精鋭の馬廻衆千騎の内、七百もの馬廻衆が全滅。更にその七百を引き連れた父の義賢と弟の義定は討ち死にしていた。
而和田山城因箕作城的失守幾乎崩潰,雜兵更不用說,連將領也丟下武具爭先恐後地逃跑。
更に和田山城は箕作城が落ちた事でほぼ瓦解してしまった。雑兵たちは勿論、武将たちも武具を捨てて我先にと逃げ出していた。
義治在短短半日內失去了箕作城與和田山城。天還未全黑,還有幾個時辰,而此時正值夏季,日照較秋冬更長。
義治は僅か半日にして箕作城と和田山城を失った。日が沈み切るまでには未だ数刻を要する。更に今の季節は夏、秋や冬に比べて日が長い。
他必須以僅約二百的馬廻衆,面對超過萬人的上洛軍;當他理解到這點的瞬間,膝蓋一軟倒下。
その間を僅か二百程度の馬廻衆で、万を超える上洛軍と相対しなくてはならない。その事実を理解した瞬間、義治は膝から崩れ落ちる。
「為、為何,為何上洛軍的有利情勢總是接連發生!!」
「な、何故だ、何故こうも上洛軍の都合が良い事ばかり起こる!!」
他像發脾氣的孩子般用雙手拍打地面,但就在這期間,上洛軍朝觀音寺城逼近。
癇癪を起こした子どものように、彼は床を両手で叩く。だがこうしている間にも、上洛軍は観音寺城を目指している。
相較於和田山城與箕作城,觀音寺城防禦較弱;他認知到情勢已是分秒必爭,決定依古例撤往甲賀避難。
和田山城と箕作城に比べ、観音寺城は防御が弱い。もはや一刻を争うと認識した彼は、古来の例にならい甲賀へ落ち延びる判断を下した。
原本應趁夜色隱匿移動,但觀音寺城能撐到那時的可能性低。
本来なら夜陰に紛れて移動する必要はあるが、それまで観音寺城が保つ可能性は低い。
義治告知側近要撤退,命他們火速準備;觀音寺城設有多處逃生的隱密通道。
義治は逃げる事を側近に伝え、急いで準備をするよう命令を出す。観音寺城から逃げるための隠し通路は幾つも設けてあった。
「各位,各自往各處逃去。我往甲賀方向撤退。」
「皆、各々の場所へ逃げよ。わしは甲賀方面へ落ち延びる」
他說完便帶著二十餘名他最信任的馬廻衆,走一條逃路從觀音寺城脫出。
それだけ言うと彼は馬廻衆の中で最も信頼している者たち二十余人を連れ、逃走ルートの一つを使い観音寺城から脱出する。
剛進入昏暗狹窄的隱通道不久,遠方便傳來如同鬨聲的喊叫傳入義治耳中。
薄暗く狭い隠し通路に入ってすぐ、遠くの方から鬨(かちどき)のような声が義治の耳に届く。
他帶著憎恨的表情盯著隱通道入口,然後屏息沿通道前進;走了一會兒,抵達隱於山中樹木間的出口。
憎々しげな表情で隠し通路の入り口を睨んだ後、彼は息を潜めて隠し通路を歩く。暫く歩くと山中の木々に隠した出口に辿り着いた。
一名馬廻衆警戒地爬出隱通道,環顧四周卻無人影,只有遠方傳來上洛軍的聲響。
警戒しつつ馬廻衆の一人が隠し通路から這い出る。周囲を見回すが人影はなし、遠くの方で上洛軍の声が聴こえるだけだった。
判斷安全後那名馬廻衆發出信號,不久二十餘名馬廻衆與義治爬出隱通道。
安全だと判断した馬廻衆が合図を送る。少しして馬廻衆二十余人と義治が隠し通路から這い出る。
拂去衣服上的灰塵後,義治指向甲賀方向。
衣服のホコリを払うと義治は甲賀方面を指さす。
「逃跑的方向在這邊。走吧。」
「逃げる方角はこちらだ。ゆくぞ」
他一邊這樣說一邊走在最前頭,然而走了幾步後,他的身影突然消失。
そう言いながら一番前を歩いていた義治だが、数歩進んだ所で突然彼の姿が消えた。
馬廻衆驚慌中尋找義治,聽到樹葉摩擦聲抬頭的一刻,發現義治正從高處墜落向地面。
突然のことに馬廻衆はざわめきながら義治を探す。木々のこすれ合う音で上を見上げた馬廻衆は、地面へ落下中の義治を発見する。
他中圈套被彈起至空中。幾聲骨折聲過後,重重摔落在地的義治氣若游絲。
彼はトラップに引っかかり、空へ打ち上げられていたのだ。骨の折れる音が何度かした後、地面に叩きつけられた義治は息も絶え絶えだった。
當然,陷阱不只針對義治,也襲擊了茫然失措的馬廻衆;轉眼間馬廻衆全滅,只剩下義治存活。
勿論、トラップは義治だけでは終わらない。茫然自失状態の馬廻衆にも襲い掛かる。あっという間に馬廻衆は全滅し、生き残ったのは義治だけになった。
「是、是……什麼……」
「な、なに……が……」
「竟然六角家當主親自先掉入陷阱以示範給手下看。難道急到連先遣都沒想到嗎?」
「まさか六角家当主自らが真っ先に罠に掛かり配下に範を示すとは。露払いを立てる事すら頭を過らない程にお急ぎか?」
義治只動了眼睛朝聲音來源望去,看到滝川與他帶來的忍者隊伍,站在離自己稍遠處。
義治は声のした方へ目だけ動かす。滝川と、彼が従えている忍びの集団が、自分より少し離れた所にいるのが見えた。
「為、為何……」
「何故……」
一邊思索著隱通道出口被識破、有人預知他會從此處出現、並事先設下陷阱等種種疑問,義治喃喃說道。
隠し通路の出口が知られていた事、この場から自分が出てくる事を知っていた事、予め罠を仕掛けていた事、など様々な疑問を思いながら義治は言葉を口にする。
然而滝川沒有回答他的疑問,只以事務性的語氣說了短短一句。
しかし滝川は義治の問いに答えず、事務的な口調で短い言葉を告げた。
「饒他一死。」
「楽にしてやれ」
那是曾統治南近江的六角家當主六角義治在世上所聽到的最後一句話。
それが南近江を支配していた六角家の当主、六角義治がこの世で聞いた最後の言葉だった。
在南近江進行的上洛軍與六角軍之戰,觀音寺城之戰(或稱箕作城之戰)僅一日便分出勝負。
南近江で行われた上洛軍と六角軍の戦い、観音寺城の戦い(または箕作城の戦い)は僅か一日で決着がついた。
織田軍約有一千人損失,德川軍數十人,淺井軍約三百人,長政的家臣脇坂安明戰死。
織田軍は千人程度の損害、徳川軍は数十名の損害、浅井軍は三〇〇人程度の兵の損害、長政の家臣脇坂安明が討ち死にした。
相對地,六角軍的當主義治、父義賢及弟義定皆戰死;一千騎精銳馬廻衆全軍覆沒,支撐六角家的有力武將幾乎悉數戰死。
対して六角軍は六角家当主義治、父義賢、そして弟の義定は討ち死に。精鋭の馬廻衆千騎は全滅、六角家を支えてきた有力な武将たちは殆どが討ち死にした。
傷亡約四千,逃亡四千五百,剩下的兵士並非什麼忠義到最後與主君共死的高尚之舉,反而開始搶奪曾是同袍者屍體上的裝備。
兵は四〇〇〇程度の損害、四五〇〇の逃亡、残る兵士は最後まで主君と共に、などという殊勝な心がけではなく、かつて味方だった者たちの躯から装備を強奪する始末だ。
觀音寺城、和田山城、箕作城被廢棄,剩下能算安全的支城除了由六角家老臣蒲生賢秀守備的日野城外,在那天就向上洛軍投降,結局相當慘烈。
観音寺城、和田山城、箕作城は廃城、残り無事な支城も六角家老臣の蒲生賢秀が守る日野城以外、大勢が決したその日に上洛軍へ降るという散々な結末となった。
後來連日野城也是被織田家武將神戶具盛單獨進城說服蒲生賢秀才收服。之所以他能做到這點,是因為具盛的妻子正是賢秀的妹妹。
その日野城も後日織田家の武将神戸具盛が、単身日野城に乗り込んで蒲生賢秀を説得した。何故彼がこの様な事が出来たのか、それは具盛の妻が賢秀の妹だからだ。
賢秀接受具盛勸說後投降,送出人質並向信長宣誓效忠。這名人質後來就是娶了信長女兒冬姬的蒲生氏鄉。
具盛の説得に応じた賢秀は降伏し、質子を差し出して信長に忠誠を誓った。この時の質子が信長の娘である冬姫を娶った蒲生氏郷である。
「那、竟然在短短一天內就淪陷,我想是不是對方從一開始就完全打算逃走?」
「で、僅か一日で陥落したのだが、これは相手が逃げる気満々だったと思うのだが?」
被命令在本陣待命的奇妙丸、長可和靜子三人。無聊的奇妙丸與長可便在琢磨六角為何會一日內潰敗的原因。
本陣待機を命じられた奇妙丸、長可、静子の三人。退屈を持て余していた奇妙丸と長可は、六角が一日で落ちた理由を考えていた。
「說不定明天或後天就到京了吧……」
「明日か明後日には京かなぁ……」
「在那之前是六角。思考它為何會倒下,某種程度上也是作為武將的職責吧」
「その前に六角だ。落ちる原因、そこを考えるのが武将としての役目というか」
「是啊……那就加油吧。我又不是武將。總之,那是世代相傳的傳統戰術」
「そう……まぁ頑張って。私は別に武将じゃないし。大体、あれは先祖代々続く伝統の戦術だし」
「等一下,別那麼輕易下結論。你應該知道些詳情吧?殿下好像也問過不少問題」
「待て、そう簡単に結論を出すな。貴様なら何か詳しく知っているのだろう? お館様も色々と尋ねていたようだしな」
「有時候自己思考也是很重要的喔」
「時には自分で考える事も大事だよ」
再怎麼名將,要在一天之內攻下城池幾乎是不可能的。
どんな名将でも一日で城を落とすのは不可能に近い。
但信長所抱持的「一天內解決」的想法,與六角世代相傳的「情勢不利即撤退」戰術恰好重合,結果觀音寺城之戰在一天內定出勝負。
しかし信長の「一日でケリをつける」という考えと、六角の「都合が悪くなれば撤退」という先祖代々の戦術が一致した結果、観音寺城の戦いは一日で雌雄を決したのだ。
不過義治原以為會演變成長期戰,因此事態竟然在短短一天就讓他選擇撤退,對他而言也應該是出乎意料的。
もっとも義治は長期戦になると踏んでいた為、僅か一日で撤退を選択する状況になった事は、彼にとっても予想外だっただろう。
「照這樣下去什麼都看不出來,給我一些線索吧」
「今のままでは何も分からん。何か手がかりのようなものをくれ」
「嗯——好吧,那樣也行」
「んー、まぁそれならいいかな」
如果從頭到尾把一切都解說清楚,就會剝奪奇妙丸與長可的思考能力;靜子這樣想,故意沒把重要資訊說出來。
自分が一から十まで説明すれば、奇妙丸と長可から思考する能力を奪ってしまう。そう考えて静子はわざと重要な情報を教えていない。
但她又覺得完全不給提示他們想不出來,於是就在一張較大的紙上寫下會成為線索的資訊。
しかしノーヒントでは何も思いつかないと考えた彼女は、大きめの紙にヒントとなる情報を書いていく。
在紙的中央寫上六角,接著補上琵琶湖(亦稱近江海)、不破關(美濃)、愛發關(越前)、守護鬼門的比叡山,還有甲賀與伊勢。
紙の中央に六角と書くと、琵琶湖(近江海とも呼ぶ)、不破関(美濃)、愛発関(越前)、鬼門守護(比叡山)、そして甲賀と伊勢を付け足す。
在六角字旁加上「京職(京都的治安維持)」與「檢非違使(朝廷護衛)」後,將那張紙放到奇妙丸面前。
六角の文字の横に「京職(京の治安維持)」と「検非違使(朝廷警護)」を付け足した後、その紙を奇妙丸の前においた。
兩人和樂地湊過去看那張紙。
二人は仲良くその紙を覗き込む。
(這兩個人,不知何時變得這麼親近了呢?)
(この二人、いつの間に仲良くなったのかな?)
靜子一邊想著是不是因為年紀相近,一邊觀察兩人的言行。
年が近いせいかな、と思いつつ静子は二人の言動を様子見する。
「從這樣的配置來看,六角的稅收仰賴琵琶湖呢」
「この配置だと、六角の税収は琵琶湖に頼っているな」
「這樣一來與北近江的淺井為敵,對六角來說就是個打擊了嗎」
「そうなると北近江の浅井と敵対した事は、六角にとって痛手という事か」
「不,等等。光是那點還不足以讓他們選擇逃走。對六角不利的事……好像在某些文獻裡,不破關、愛發關與鈴鹿關被稱為三關。可能的推測是,不破關已成為織田領土,因此他們一開始就把逃跑列入計畫了吧?」
「いや待て。それだけだと逃げるという選択肢にはならん。六角にとって不都合な事……確か文献か何かで不破関と愛発関、そして鈴鹿関は三関と呼ばれていたな。考えられるのは、不破関も織田領土になった為、最初から逃亡を計算に入れていたのでは?」
「被淺井家背叛、斉藤家滅亡,取而代之掌握美濃的織田成了敵人……嗯,如果六角的『情勢不利即撤退』真是世代相傳的戰術,那也不是不可想像的事」
「浅井家には裏切られ、斉藤家は滅び、代わりに美濃を支配した織田家とは敵対……ふむ、六角の『都合が悪いなら撤退』が先祖代々の戦術ならあり得ん話ではないな」
(喔喔,說得好。畢竟六角是喜歡寄生在強者身上的類型,從一開始就不打算真正作戰的可能性很高)
(おお、良い所ついているね。まぁ六角は「強者」に寄生するタイプだから、最初から戦う気なんてなかったと思うね)
六角居住的南近江,是由琵琶湖和三大防衛據點(比叡山、不破關、愛發關)所守護的地帶。
六角の住む南近江は琵琶湖と三大防衛拠点(比叡山、不破関、愛発関)に守られた土地だ。
稅收也寄生於琵琶湖與三大防衛據點。然而因為土地多半為琵琶湖所占,能維持的兵力向來偏少。
税収も琵琶湖と三大防衛拠点に寄生している。しかし土地の大半が琵琶湖という立地上、抱えられる兵士は常に少数だ。
即便估算動員兵力,也不過一萬出頭而已。在那種情況下,六角寄生的對象有比叡山、不破關與愛發關,以及琵琶湖的商人聯合等多方,所以六角本身分裂而缺乏凝聚力。
動員兵力は多く見積もっても一万前半程度。そんな状態の六角は寄生する先が比叡山、不破関と愛発関、琵琶湖の商人連合と複数存在しているので、六角自体が分裂してまとまりがない。
由於南近江向來容易成為大軍爭奪之地,故若大軍逼近便採取隱蔽等待其通過、待戰火平息再現身的戰術,成為六角軍的慣用手段。
南近江は代々大戦の場所になりがちな為、大軍が押し寄せてきたら隠れて通り過ぎるのを待ち、戦火が収まるまで身を隠す戦術が六角軍の常套手段と化した。
一旦關所或比叡山被突破,他們便陷入無計可施的窘境。
関所、もしくは比叡山が破られれば、彼らは打つ手がない状態に陥るのだから。
再者,欲上京的國人多以數萬人之大軍湧來,氣勢與兵備皆非六角軍可比。
おまけに京に上ろうとする国人たちは殆どが数万の大軍で押し寄せ、気迫も軍備も六角軍とは比べ物にならない。
「但這就奇怪了。為何六角的當主不從一開始就採取逃走態勢?上洛軍約五萬,而他們能動員的兵力僅約一萬。照古例,應該直接讓上洛軍通過然後隱蔽才對。」
「だがそうなると不思議じゃ。何故、六角家当主は最初から逃げの姿勢に入らなかったのだ。上洛軍はおよそ五万、対して連中が動員出来る兵の数は一万程度。古来の例にならえば、最初から上洛軍を素通りさせて、身を隠すべきだ」
「要我說也沒辦法……難道當主只是個連狀況都抓不清的笨蛋嗎?」
「俺に言われても……単に当主が状況把握すら出来ない馬鹿だったのではないか?」
「不可能那麼簡單。第一天的情況就已經在盤算接下來該怎麼辦了嗎?若真是如此,箕作城在半日內失守對六角來說便是意外了?」
「いくら何でもそれはない。一日目の状況で今後の予定を考えておったのかの? だとすれば半日で箕作城が落ちた事が、六角にとって予想外だったという事か」
「嗯——我還是只能認為他是個笨蛋。據說本應堅守的觀音寺城竟然派出了兵力與多名武將出來吧?一般常理來說,在籠城時放兵出來除了蠢蛋別無他人……」
「うーん、やっぱり俺には単なる馬鹿としか思えないな。話では籠城していたはずの観音寺城から、兵と多数の武将が出てきたのだろう? 普通に考えれば籠城中に、兵を出すなんて阿呆以外の何ものでもないのだが……」
兩人的談話之後仍然沒停過。
その後も二人の話は尽きない。
兩人幾乎可說是初次見面,但不知為何在靜子眼中,兩人似乎有如同生死之交般堅固的羈絆。
ほぼ初対面に近い二人なのに、何故だか静子には刎頸の交わりともいうべき固い絆で結ばれているように見えた。
「說起來在箕作城進行火攻,火種是怎麼運過去的呢?」
「そう言えば箕作城で火攻めを行ったが、火種はどうやって運んだのだろうか」
「嗯? 我想是用這個吧」
「ん? それはこれを使ったと思うよ」
長可說完,靜子一邊回答一邊拿出火活塞(ファイヤーピストン)。
長可の言葉に静子はファイヤーピストンを取り出しつつ答える。
兩人友好地看向她,並同時歪著頭。因為在他們眼裡,火活塞(ファイヤーピストン)看起來不過是一根木棍,所以這反應很自然。
二人は仲良く彼女の方へ顔を向け、そして同時に首を傾げた。彼らから見れば、ファイヤーピストンは単なる木の棒にしか見えなかったのだから、当然の反応である。
「這是一種南蠻用的生火工具。說到我們家,用得最久的大概是彩醬吧?」
「南蛮で使われている火起こし道具の一種だよ。うちだと一番長く使っているのは彩ちゃんかな?」
從看起來只是木棒的東西能生出火種,兩人連想像都做不到。
木の棒にしか見えないものから、火種が作れると言われても二人は想像すら出来ない。
靜子苦笑著在他們面前示範生火。小小一塊布片瞬間變成火種,兩人同時驚愕。
静子は苦笑しつつ彼らの前で火起こしを実践する。小さな布切れがあっという間に火種へ変わった事に、二人は揃って驚愕する。
「是何等工具啊。不過確實有了這個,就不用刻意攜帶火種了。體積也不大,藏著帶也沒問題。」
「何という道具だ。だが確かにこれなら、わざわざ火種を持ち歩く必要がない。大きさもそれほどないから、隠し持つ事も可能だな」
「做起來也只要一把小刀呢。我做了三根,結果被殿全都拿走了吧。」
「作るのも小刀一本で出来るしね。三本作ったけどお館様に全部持って行かれたね」
「理所當然,蠢貨。難道不明白不用攜帶火種有多大的好處嗎」
「当たり前だ、馬鹿者。火種を持ち歩かなくて良い、という事がどれほど有利か分からぬのか」
在戰國時代,火種珍貴到有專人保管的地步。
火種は保管する専用の職人がいるほど、戦国時代は貴重なものであった。
人們準備所謂的「火入」專用器具,在灶裡維持火勢等種種方法來保存火種。生火真是件費力的事。
人々は火入れという専用の道具を用意し、かまどで火を保ち続けるなどの工夫をして火種を維持し続けてきた。それほど火起こしは大変な作業なのだ。
「真是的,靜子總是讓人驚訝」
「全く、静子にはいつも驚かされる」
「沒錯。既然有這麼便利的東西,應該早點拿出來用」
「そうだな。そんな便利な道具があるなら、もっと早く出すべきだ」
兩人交叉雙臂,友好地互相點頭。
腕を組んで二人は仲良く頷き合う。
靜子不禁祈願兩人的關係今後也能持續良好。
二人の関係がこれからも良き関係で続く事を、願わずにはいられない静子だった。
六月三十日。
六月三十日。
在一瞬間平定南近江後,信長立刻派不破光治前往義昭處,準備入京事宜。
あっという間に南近江を平定した信長は、すぐさま不破光治を義昭のもとへ向かわせ入洛の準備をさせる。
十日後的七月十日,義昭出發前往京。七月十五日,信長把陣地移至三井寺極樂院(滋賀縣大津市)。
それから十日後の七月十日、義昭は京へ向けて出発する。七月十五日、信長は三井寺極楽院(滋賀県大津市)に陣を移す。
次日,信長在三井寺光淨院迎接義昭。然後於七月十七日,信長終於入京。
翌日、信長は三井寺光浄院で義昭を出迎える。そして七月十七日、信長はついに京へ入る。
信長在東福寺駐紮後,先鋒柴田勝家、蜂屋頼隆、森可成、坂井政尚的軍隊越過桂川,先試探性攻擊守在青龍寺(勝龍寺)的三好三人眾之一岩成友通。
信長が東福寺に陣を構えると、先陣の柴田勝家・蜂屋頼隆・森可成・坂井政尚の軍は桂川を越え、まずは小手調べと青竜寺(勝竜寺)にいる三好三人衆の一人・岩成友通を攻める。
三好勢雖然抵抗,卻很快被迫固守。或許因為信長的勝利讓人放心,義昭也進入京中的清水寺。
三好勢は抵抗するもののすぐに籠城を余儀なくされる。この信長の勝利で安心したのか、義昭も京にある清水寺に入る。
次日,信長主力出征時,岩成友通認命投降。之後信長不鬆手,逐一攻陷三好方的城池。
翌日、信長の本軍が出陣してくると岩成友通は観念し降伏した。その後も信長は手を緩めず、三好方の城を次々と攻撃し落城させる。
芥川城的細川昭元與三好長逸未能做出太大抵抗而撤退。越水、滝山城的篠原長房也拋城撤退。
芥川城の細川昭元・三好長逸は大した抵抗も出来ず退去。越水・滝山城の篠原長房も城を捨て退去した。
義昭進入已成無人的芥川城。
無人となった芥川城に義昭は入城する。
其間織田軍攻打池田勝正的居城池田城,但此城與其他不同,抵抗激烈,織田軍遭受不少討死等損失。
その間に織田軍は池田勝正の居城である池田城を攻める。しかしここだけは他の城と違い抵抗が激しく織田軍は討ち死にが多数出るなどの損害を受ける。
然而抵抗的池田勝正終於在織田軍壓倒性的兵力面前投降,並向信長獻出人質。
だが抵抗する池田勝正も圧倒的な力を誇る織田軍の前についに降伏し、信長に人質を差し出した。
與三好三人衆對立的三好家當主義継一方的松永久秀,獻上最高級的茶入「九十九髮」給信長,歸順於其軍門。
三好三人衆と対立していた三好家当主義継陣営の松永久秀は、最高級の茶入れ「九十九髪」を信長に献上し、彼の軍門に下った。
上洛軍在入京後僅數日便將畿內及周邊諸國納入掌控。
上洛軍は上洛後僅か数日で畿内及び周辺の国を支配下に治めた。
信長持續著壓倒性的猛進,但此時上洛軍出現問題:淺井軍的士氣下滑。
圧倒的な快進撃を続けた信長だが、ここで上洛軍にある問題が浮上した。浅井軍の士気が低下したのだ。
織田軍實施兵農分離,沒有這問題,但德川軍與淺井軍是把農民徵為雜兵。
織田軍は兵農分離をしている為に問題にならなかったが、徳川軍と浅井軍は百姓を雑兵として徴用している。
因此淺井軍的雜兵們對田地情況掛心不已,幾乎心不在焉。
故に浅井軍の雑兵たちは田畑の様子が気になって仕方なく、殆ど上の空状態なのだ。
原本應安排在農忙期後上洛,卻因信長而被強行縮短,提前到七月之前。
本来ならば農繁期後での上洛予定を、無理に短縮して七月前に持ってきたのは他ならぬ信長だ。
因此他對淺井軍士氣下降一句不責,反而向長政表示感謝,並關切他的身體狀況。
故に彼は浅井軍の士気低下について一言も不満を言わず、逆に長政に感謝の意を述べ、彼の体調を気遣った。
無論幸或不幸,長政對信長的態度抱有良好印象。
幸か不幸か、その信長の態度に長政は好印象を抱いた。
雖然現在尚未顯著,但信長認為德川軍也會很快士氣下降,於是於七月二十日解散了上洛軍。
今はまだ顕著ではないものの、徳川軍も直に士気が低下すると考えた信長は、七月二十日に上洛軍を解散した。
信長得到義昭「今後事務一任信長」的承諾後,送別家康與長政返國,隨即採取行動。
今後の事は信長に一任する、という義昭の言質を取った信長は家康と長政の帰国を見送った後、すぐさま行動に出る。
義昭要成為征夷大將軍,需由天皇的勅令任命。為此信長必須與朝廷交涉。
義昭が征夷大将軍になるには、天皇の勅令によって任命される必要がある。その為には信長が朝廷と交渉を行う必要がある。
在這交涉過程中,義昭從芥川城遷至本國寺(本圀寺),信長又應酬來獻禮致意的今井宗久及其他多人,忙得不可開交。
そのやりとりをしている間、義昭が芥川城から本国寺(本圀寺)に移ったり、献上品を持って挨拶に来た今井宗久やその他多くの人々の相手をしたりと、信長は様々な事で忙殺されていた。
大約在畿內平定後三週的八月十二日,義昭入內裏參朝,並被任命為征夷大將軍。
そして畿内平定からおよそ三週間後の八月十二日、義昭は内裏に参内し、征夷大将軍に任命された。
此地誕生了將成為室町幕府最後將軍的第十五代足利義昭。
ここに室町幕府最後の将軍となる第十五代・足利義昭が誕生した。
將義昭推上將軍之位的信長,在取得他的許可後著手處理畿內的人事。
義昭を将軍の座に就けた信長は、彼の許可を得て畿内の人事に乗り出す。
把義昭麾下的細川藤孝配置到京與山城,亦將義昭麾下的和田惟政安置於攝津高槻城。
義昭配下の細川藤孝を京・山城に配し、同じく義昭配下の和田惟政を摂津・高槻城に入れる。
被配置到攝津其他城池的人員有:伊丹城為伊丹忠親,池田城為池田勝正。
摂津にあるその他の城に配置した人員は伊丹城に伊丹忠親、池田城には池田勝正だ。
河內的城池方面,若江城由三好義継守備,高屋城由畠山高政守備,而大和則配置松永久秀。
河内にある城は若江城に三好義継、高屋城には畠山高政、そして大和には松永久秀を配した。
信長對於向他投降的義昭麾下之外的武將,也就是舊三好系所持的領地予以安堵。
信長は自分に降伏した義昭配下以外の武将、つまり旧三好系が持つ所領を安堵している。
之所以如此,是因為三好三人衆與三好家當主義継及松永久秀的對立造成內部分裂,而投降信長的絕大多數武將都屬於反三好三人衆一方。
これは三好三人衆と、三好家当主義継及び松永久秀の対立で内部分裂を起こし、信長に降伏した殆どの武将が反三好三人衆派だからだ。
信長藉由安堵他們的所領,旨在瓦解三好三人衆的勢力,並避免與反三好三人衆派發生對立。
彼らの所領を安堵することで、三好三人衆の勢力を潰し、かつ反三好三人衆派との敵対を避ける狙いが信長にはあった。
多少也顧及了義昭的打算,但那真是微不足道;義昭因此便滿足,令耍心計的信長不禁覺得他真是個容易被抬起的神輿。
若干、義昭の思惑も汲んでいたが、それは本当に雀の涙程度だった。それで義昭は満足するのだから、本当に軽い神輿だと、策を弄した信長は呆れずにいられなかった。
人事結束後,信長接著廢除領內的關所與座。此舉旨在爭取京中民眾的支持,並恢復治安。
人事が終わった信長は、次に領国内の関所と座の廃止を行った。これは京の民衆の支持を集め、かつ治安を回復させる狙いがあった。
果然,居住於京的民眾大多支持信長的政策。獲得民心後,信長推動了更多改革。
案の定、京に住む民衆の殆どが信長の政策を支持した。民衆の支持を得た信長は更なる改革を行う。
為恢復與維持京的治安,信長從自身的部隊中徵召約五千人,成立了『京治安維持警ら隊』。
京の治安を回復し維持するため、信長は自分の兵から五千人ほど集めて『京治安維持警ら隊』を結成した。
雖名為警ら隊,實際上不過是沿用靜子在技術屋集團村裡所設的警察系統。
警ら隊というが、実態は静子が技術屋集団の村でやった警察システムを流用しただけだ。
然而此警ら隊遠超信長的預期,深入民間。
しかしこの警ら隊、信長の予想をはるかに超えて民衆に浸透した。
警ら隊雖非京中正式的職務編制,卻等同於信長的正規軍。
警ら隊は京の正式な役職を持つ集団ではないものの、信長の正規軍に変わりはない。
因此罪犯無法對他們有任何作為,紛紛逃離京城。
故に犯罪者たちは彼らに手出しなど出来るはずもなく、逃げるように京から出て行った。
隨著罪犯消失,包括輕微犯罪在內的案件顯著減少。治安回復的同時,警ら隊受到了民眾的歡迎。
犯罪者がいなくなった結果、軽犯罪を含む事件は目に見えて減った。治安の回復と共に警ら隊は民衆に歓迎された。
為感謝信長在治安回復及人事等方面的作為,義昭舉行了能樂。當時義昭以細川藤孝與和田惟政等為使者,打算任命信長為副將軍或管領職。
治安回復や人事などを含め、義昭は信長に感謝の意を表すため能楽を催す。この時、義昭は細川藤孝や和田惟政らを使者にし、信長を副将軍か管領職に任命しようと考えた。
但信長以「像我這般後來者出任副將軍實在惶恐不敢,應由熟悉京事的人擔任」為由,為不刺激義昭的自尊而婉拒。
しかし信長は「新参者の自分が副将軍など恐れ多い。京に詳しい人間がつくべき」と、義昭のプライドを刺激しないよう配慮しつつ断る。
信長本想把能樂的演目縮減到五番;但作為致歉,他仍陪同義昭把演目做到十三番。
代わりに本来は能の演目を五番まで縮めようとした信長だが、詫びという形で十三番までしっかり義昭に付き合った。
拒絕副將軍之位的理由與其隨和的態度,不僅義昭本人,許多人都深感欽佩。
副将軍を辞退する理由、そして付き合いの良さに義昭は勿論、多くの人々は感心した。
當然,特地陪著這個神輿似的義昭,其實是為了不讓人察覺信長暗中向部下下達命令。
勿論、わざわざ神輿の義昭に付き合ったのは、信長が配下へ密かに命じている事を知られない為だが。
時間稍微倒回,在義昭成為將軍、並成立『京治安維持警ら隊』之際,靜子正在京城街頭散策。
時間は少し遡り、義昭が将軍となり、『京治安維持警ら隊』が結成された頃、静子は京の街を散策していた。
隨行有慶次與才藏,還有長可、カイザー與ケーニッヒ。她接到信長的任務,是將大量職人送往岐阜。
お供には慶次と才蔵、それから長可、カイザーとケーニッヒだ。彼女が信長から命じられた任務は、職人を多く岐阜へ送る事だ。
現代來說相當於招募。此外,靜子在京城收購書籍,並巡覽在現代難得一見的文化財。
現代で言えばスカウトである。それとは別に、静子は京にある書物を買い取り、現代では滅多に見る事が出来ない文化財を見て回っていた。
她所巡看的文化財範圍廣泛,包括建築、繪畫、雕刻、工藝品、書跡、典籍、古文書、考古資料與歷史資料等。
見て回った文化財は建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書、考古資料、歴史資料と多岐に亘る。
此外,亦大量收購那些在現代被視為國寶,但當時被認為無價值的物品。
また、現代では国宝だが当時では価値のないもの、と見做されているものも買い漁る。
與其說是大肆買入,不如說她以文化財保護為名行之。
買い漁る、というよりは文化財の保護を名目としているが。
「大豐收大豐收,今天也買了很多啊~」
「大漁大漁、今日も沢山買えたぁ」
買下的是某位公家的長篇日記二十冊、從海外進口但因看不懂而被拋售的書籍四冊、數件製作年代不明的工藝品,以及一尊難以辨識的雕刻。
買ったのはとある公家の長編日記二〇冊、海外から輸入されたが読めなくて投げ売りされた書物四冊、制作された時期が不明な工芸品が数点、よく分からない彫刻が一点だ。
「我不明白那有什麼好處。」
「何が良いのか分からん」
「如果你能理解靜醬,那我會覺得你很了不起喔,勝藏。」
「お前が静っちを理解出来たら、それはそれで凄いと思うぞ勝蔵」
「再這樣下去光是書就快把地板撐破了吧。」
「そろそろ書物だけで床が抜けそうな感じだな」
比起護衛,變成搬運工的三人看著靜子買的東西,歪著頭不解。
護衛というより荷物持ちになっている三人は、静子の買ったものを見て首を傾げる。
他們完全不懂公家日記有何可取之處。但那也無可厚非,對靜子而言,任何東西都是了解戰國時代的第一手史料。
公家の日記の何が良いのか、彼らは全く理解出来ないのだ。だがそれは仕方ない。静子にとってはどんなものでも、戦国時代を知る事が出来る第一級史料なのだ。
尤其是日記類,能得知當時人們最真實的想法,這是在後代史家編纂的資料中無法得見的。
特に日記類は後の歴史家が編纂した資料類にはない、当時の人々の生の考えを知る事が出来るのだ。
心情愉快地在京城漫步的靜子,京中的民眾則在一旁遠遠觀望著她的樣子。
ルンルン気分で京の街を歩く静子を、京の民は遠巻きに様子を窺っていた。
這次上洛的軍隊與過往不同,軍紀良好,並未發生大規模的掠奪或屠殺。
今回の上洛軍は過去と違い、規律正しい軍隊で大規模な略奪や虐殺は発生していない。
主要原因在於信長嚴禁掠奪行為,違者受嚴懲,且士兵若守紀完成任務,已有充足的報酬保證。
信長が略奪行為を厳禁し、違反した兵士は厳しく罰せられるのと、そもそも兵士たちには軍紀を守り勤め上げれば十分な報償が確約されているのが主な理由だ。
又因『京治安維持警ら隊』已成立,京中的民眾大致對上洛軍抱持好意。
『京治安維持警ら隊』も結成されているので、京の民は概ね上洛軍に対して好意的だ。
在上洛軍中,靜子所做的工作有三項。
その上洛軍の中で静子がしている仕事は三つだ。
第一是信長交代為最重要的找工匠,第二是將孤兒集合並安置於孤兒院,最後是改善屍體處理等衛生面。
一つ目は信長に最重要と命じられた職人探し、二つ目は孤児を集めて孤児院に住まわせる事、そして最後は死体処理などの衛生面の改善だ。
在空檔時,靜子個人蒐集了被閒置的古老木像、不知年代的硬幣、以及窮困公家所寫的日記等書物。
その合間に静子は死蔵されていた古臭い木像や、いつのものか分からない硬貨、貧乏公家が書いた日記などの書物を個人的に収集していた。
起初人們很驚訝,但若能幫忙回收廢品,京中的百姓便樂意出售物品。
最初は驚いたものの、廃品回収をしてくれるなら結構、と言わんばかりに京の民はものを売る。
有人試圖賣冒牌貨,但在她的鑑定眼前立刻被識破,沒有人能賣出冒牌貨。
中にはまがい物を売りつけようとした輩もいたが、彼女の鑑定眼の前にあっけなく見破られ、誰一人としてまがい物を売る事は出来なかった。
「作物的種子也取得不少,真不錯(每次不用查是F1種還是固定種,真輕鬆啊)」
「作物の種も結構入手出来たし上々(毎回、F1種か固定種か調べなくていいから、楽だわー)」
沒有種子利權團體的戰國時代,可透過物物交換輕易取得固定種的種子。
種の利権団体が存在しない戦国時代は、物々交換で固定種の種を容易に入手出来る。
但在現代要取得固定種則相當困難。
だが現代で固定種を手に入れる事は難しい。
首先,取得種子除了參加那類活動、從處理固定種的研究機構購買,或向個人研究種子的農家購買外,別無他法。
まず種の入手は、その手のイベントに参加するか、固定種を取り扱っている研究機関、または個人的に種の研究をしている農家から購入する以外にない。
相對地,F1種充斥市面,種子取得十分容易。
対してF1種は市場に溢れかえっており、種の入手は容易だ。
為何會有如此大的差別呢?
何故これほどの差がついたか。
因為生長快、長勢整齊且抗病的F1種更省事。
それは生育が早く、揃いが良く、病気に強いF1種の方が楽だからだ。
固定種需要對疾病有深刻的知識,形狀不齊,栽培也需要時間。
固定種は病気に対しての深い知識が必要、形は不揃い、育成には時間がかかるのだ。
因此不論是要上市的農家或是家庭菜園的人,幾乎都不會種固定種。
だから市場に出荷する農家も、家庭菜園をする人たちも、固定種を育てる事はまずない。
即使考慮到為了定期獲利而把固定種排擠出市場的F1種公司或農協,也除非周遭環境很有利,否則栽培固定種的門檻仍然太高。
F1種を取り扱う会社や農協組合が定期的な利益を得るために、固定種を市場から閉めだしている事を考慮しても、周囲の環境が恵まれていない限り、固定種を育てるのはハードルが高過ぎるのだ。
「那麼,去接警巡隊的報告吧」
「さて、警ら隊の報告を受けに行きますかね」
這麼自言自語後,靜子帶著慶次等人前往警巡隊使用的基地設施。
そう呟いた後、静子は慶次たちを連れて警ら隊が利用している基地施設へ向かった。
在靜子負責的三項工作中,屍體處理最簡單。只要把屍體搬到城外,覆蓋至少一.五公尺的土,以及在屍體上撒石灰就夠了。
静子が担っている三つの仕事の内、死体処理が一番簡単だ。死体を街の外まで運び、最低でも1.5メートルの土を被せるようにする事と、死体に生石灰をかける事だけで済んだ。
找工匠也很容易,只要和京中的人打好關係,就能利用當地網絡找到人,剩下的看談判進展,沒有特別卡關,一切順利。
職人探しも京の民と仲良くなれば、地元ネットワークを活用出来るので簡単に見つかる。後は交渉次第だが、特に躓くことも無く滞りなく進んだ。
問題在於孤兒院的確保與孤兒的招募。若放任戰災孤兒,終會結黨成為山賊;即便不那麼做,孤兒們也會為了生存而犯下竊盜等罪行。
問題は孤児院の確保と孤児の招集だ。戦災孤児を放置すれば、やがて徒党を組んで野盗になる。それをしなくとも孤児たちは、日々生きるために窃盗などの罪を犯す。
要防止戰災孤兒淪為盜匪,最好是讓他們住進孤兒院,教育他們習得一技之長,並募集寄養家庭。
戦災孤児たちが野盗へ身を落とすのを防ぐには、孤児院に住まわせ、手に職が持てるよう教育をし、里親を募集するのがベターだ。
這是以江戶時代惡名昭彰的「生類憐れみの令」為基礎。常被誤解為過度的動物保護法,但「生類憐れみの令」也規定了對病人與棄嬰的救助。
これは江戸時代の悪法と名高い生類憐れみの令をベースにしている。行き過ぎた動物愛護法と誤解されているが、生類憐れみの令は病人や捨て子の救済も定めていた。
六代將軍家宣上任時,生類憐れみの令被廢止,但這個針對棄兒的教育制度仍被保留下來,足見其優秀。
六代目家宣が将軍になった時、生類憐れみの令は廃止されたが、この捨て子の教育制度は残したぐらい優れた制度だった。
然而即使再優秀的制度,也不可能保證孤兒會乖乖聽話。
しかし優れた制度が施行されても、孤児たちが素直に言う事を聞くはずもない。
大部分孤兒會為了不被抓到而逃跑,即使抓到送進孤兒院也會反覆逃脫,完全是貓捉老鼠的遊戲。
大抵の孤児は捕まらないように逃走、よしんば捕まえて孤児院に入れても脱走を繰り返す、と完全にイタチごっこ状態だった。
「嗯……今天三人逃跑,其中兩人很快被抓到,但有一人犯了竊盜……唉。用武力壓制反而可能惡化,再說如果放任他們輕易出城,可能會結黨成群」
「うーん、今日は三人脱走。内、二人はすぐに捕まったけど、一人は窃盗……ねぇ。力で押さえると余計悪化しそうだし、と言っても下手に街の外へ出られると徒党を組む可能性があるねぇ」
接到京治安維持警巡隊的報告後,靜子抱著頭伏在桌上。
京治安維持警ら隊からの報告を受けた静子は、頭を抱えながら机に突っ伏す。
名義上是信長的部下,但實際上決定警巡隊行動方針並讓其運作的人是靜子。
名目上は信長の配下だが、実際警ら隊の行動指針を決めて動かしているのは静子だった。
兩人一組的巡邏、導入警戒犬、制定巡邏路線等,對他們來說全是首次,難免感到困惑。
ツーマンセルでの巡回、警備犬の導入、巡回ルートの制定等、彼らにとっては初めての事ばかりで戸惑いを隠せなかった。
不過靜子在技術街擁有的經驗,使得導入工作順利推進。
だが静子には技術街でのノウハウがあった為、導入に関しては滞り無く進んだ。
「幸好迄今還沒讓人逃超過一天……但今後也不一定能保證」
「幸いにも、今まで一日以上逃げられた事はありませんが……今後もそうとは限りません」
一名年輕兵士如此建言靜子。他是南方警巡隊第二分隊隊長。
若い兵士が静子にそう進言する。彼は南方警ら隊の二番隊隊長だ。
負責北方、東方、南方、西方各區的治安維持隊、負責事務與會計等幕後工作的業務支援隊、以及照顧五隊健康的衛生隊。
北方・東方・南方・西方それぞれを担当している治安維持隊、事務・経理などの裏方作業を担当する業務支援隊、そして五隊の健康面を預かる衛生隊。
京治安維持警巡隊大致上由這六個部隊組成。
京治安維持警ら隊は大きく分けて、この六つの部隊で構成されている。
已有的室町幕府的京職(京的治安維持)實際上形同虛設。
既に室町幕府の京職(京の治安維持)はあってなきようなもの。
朝廷周邊的治安維持因為是別職得以成立,但將軍周邊、甚至京的治安維持,實際上是仰賴信長的軍事力與財力才能成立。
朝廷周辺の治安維持は別職故に成り立っているが、将軍周辺、ひいては京の治安維持は信長の軍事力と財力があってこそ成り立っている状態だ。
因此組織治安維持體系並將其交給信長手下的明智光秀,是靜子的職責。
その為に治安維持組織を編成し、信長の部下である明智光秀に引き継ぐのが静子の役割だ。
(嘛,說是交接也只是把我寫的文件交給明智光秀的部下就結束了……)
(まぁ引き継ぎって言っても、私が書いた書類を明智光秀の部下に渡して終わりだけど……)
靜子到時候會回尾張,但包括光秀在內的數名部下會留在京。
静子は時期が来れば尾張に帰るが、光秀を含む部下数名は京に残る。
未來京治安維持警巡隊能否高效運作,實際上取決於靜子的組織編成。
今後、京治安維持警ら隊が効率良く動けるかは、実は静子の組織編成にかかっていたりする。
靜子不知道這件事。
その事を静子は知らない。
「關於這個只能踏實地收集。要是去間引孤兒(……)的話,會被反織田派利用。」
「これに関しては地道に集めるしかないね。孤児の間引き(・・・・・・)なんてしたら、反織田派の連中に利用されるし」
想過不讓孤兒逃跑的方法,但除了踏實不斷地抓捕之外想不出其他辦法。
孤児が逃げない方法を考えたが、地道に捕まえ続ける以外方法は浮かばなかった。
若殺害孤兒,反織田派很可能會利用這一點。
孤児を殺めれば、反織田派がその点を利用してくる可能性が高い。
「關於引入警衛犬,進展如何?」
「警備犬の導入については、どうなっている?」
「還不太理想。若只是數百人的部隊還好,但治安維持隊規模超過四千人……恐怕需要以年為單位來考量。」
「余り芳しくはありません。数百人の部隊ならまだしも、治安維持の隊は四千人を超える規模ですし……年単位を考慮して頂く必要があるかと」
「嗯……是啊。我們想避免在此急於導入而失敗。請給犬隻充足的訓練時間。當然,越快結束越好。」
「ふむ……そうですね。ここで焦って導入して失敗するのは避けたい所です。犬の訓練は十分な時間を取って下さい。勿論、早く終わる事に越したことはないですが」
治安維持隊四隊合計超過四千人。要引入警衛犬,仍然需要很多時間。
治安維持隊は四隊を合わせると四千人を超える。警備犬を導入するには、まだまだ時間が必要だった。
而且這是連犬隻飼育者都沒有的戰國時代。要集齊犬隻已很費力,能對牠們施以警衛犬訓練的人更是少。警衛犬導入延遲也是無可避免的事。
そもそも犬のブリーダーすらいない戦国時代だ。犬を集めるのにも一苦労の上に、警備犬としての訓練を施せる人間が少ない。警備犬の導入が遅れるのは仕方ない事だ。
「就這樣吧。不要忘記報告、聯絡與協商,之後也請繼續執行業務。」
「こんなものでしょう。報連相を忘れず、この後も業務にあたって下さい」
靜子沒了要詢問的事,邊巡視各隊隊長邊做總括,結束了會議。
聞く事がなくなった静子は、各隊の隊長を見回しながら総括を述べ、会議を締めくくった。
之後直到八月十二日,她一直統籌『京治安維持巡邏隊』。
それから八月十二日まで、彼女は『京治安維持警ら隊』を取りまとめた。
但八月十三日,靜子接到信長的正式命令,要將有關『京治安維持巡邏隊』的權限移交並交接給光秀。
だが八月十三日。静子は信長から正式に、光秀へ『京治安維持警ら隊』に関する権限移譲と引き継ぎを行うよう命じられた。
然後八月十五日,長期滯留在京的信長認為再繼續離開岐阜會有問題,決定回國。
そして八月十五日、長らく京に滞在していた信長だが、これ以上岐阜をあける事は問題と考え、帰国を決意する。