戦国小町苦労譚
千五百六十七年 一月上旬
俗話說一年之計在於元旦,可見戰國時代的正月是重要的節慶。
一年の計は元旦にあり、と言われるほど戦国時代の正月は重要なイベントである。
而且正月所供奉的餅與正月有著密不可分的關係。
そして正月に供される餅とは切っても切れない関係があった。
本來,餅作為獻給神明的神聖食物,是慶典與祭祀中不可或缺的東西。
元来、餅は神様に捧げる神聖な食べものとして、祝い事や祭りには欠かせないものだ。
無論多麼貧窮的農民,到了正月一定會準備餅是常識。
どんなに貧乏な百姓であろうと、正月には必ず餅を用意するのが常識だった。
靜子當然也為了準備正月,從年末就忙著收集各種物資。
静子も当然ながら正月の準備を行うため、年末からあれやこれやと物集めに勤しんだ。
準備正月時,特別重要的物品是「門松」、「しめ飾り」、「鏡餅」。
正月の用意を行う上で、特に重要なアイテムが「門松」、「しめ飾り」、「鏡餅」である。
元旦本來也是用來迎接被稱為「年神様」的神明的日子,祂會從高山降臨,為各家帶來新年的福祉。
そもそも元旦は「年神様」という、家々に新年の幸せをもたらすために、高い山から降りてくる神様をお迎えするための日でもある。
因此門松是年神様降臨時的標誌,也是將其迎入家中的依り代(居所)。
故に門松は新年に年神様が降りてくる時の目印であり、また家に迎え入れるための依り代。
しめ飾り是表示迎接年神様之處已被淨化,是清淨、神聖的印記。
しめ飾りは年神様をお迎えするために清められた場所である事を示す清浄・神聖の印。
鏡餅是獻給迎入家中的年神様的供物,同時具有依り代(居所)的意義。
鏡餅は家にお迎えする年神様への供物であり、また依り代(居場所)という意味がある。
一般而言適合的日子到十二月二十八日為止,之後的日子則應避免。
一般的に良いとされるのは十二月二八日までで、それ以降の日は避けるべきとされている。
除此之外還有其他事要做,就是準備慶祝元旦的宴會。
それ以外にもやる事はあった。元旦を祝う宴会の準備である。
與去年不同,今年有二作的村民以及新遷入的居民,因此宴會近乎大型。
昨年と違い、今年は二作の村人たち、そして入植した人たちもいるため大宴会に近かった。
就這樣帶著些許慌亂迎接正月。
そんなこんなで、少し慌ただしい感じで正月を迎える。
元旦。
元旦。
只有這一天,平時因寒冷不常出來的村民們也在日出前就起床來了。
この日だけは普段は寒さで中々出てこない村人たちも日が昇るより前に起きてきた。
村民們聚集在廣場,生起篝火等候日出。
そして村人は広場に集まり、焚き火を熾して日の出を待つ。
數小時後,日一升起,眾人合掌祈願能健康平安地度過一年。
数時間後、日が昇ると同時に全員手を合わせ、一年健やかに過ごせる事を彼らは願った。
那之後就是搗年糕了。
それが終われば次は餅つきだ。
備好臼和杵,先把糯米處理並蒸好,然後搗至米粒不再成形。
臼と杵を用意し、もち米を下準備して蒸した後、米粒の形がなくなるまでつく。
人數眾多,果然需要好幾副臼杵。
流石に人数が人数なため、幾つもの臼と杵が必要だった。
搗年糕開始不久,二作的村民抵達村裡。
餅つきが始まり少し経った頃、二作の村人が村へ到着した。
互相致以新年問候後,他們把手信交給靜子。
新年の挨拶を交わした後、彼らは手土産を静子に渡した。
二作幾日前捕了三頭大野豬,他說真是走運,便帶來了一部分。
二作は数日前、大きな猪を三匹も捕まえたのだ。本当に運が良かった、と語る彼はその一部を持ってきたのだ。
考量如何料理後,決定做「ぼたん鍋」(牡丹鍋)。
どう料理しようかなと考えた結果、ぼたん鍋を作る事にした。
但自古以來鍋是最基本的炊具,同時也被視為神聖之物,直接用自家筷子去碰鍋子是大忌。
しかし古来より鍋は最も基本的な炊事具であり、同時に神聖なものとされてきていたため、鍋を直箸で汚すなどもってのほかだ。
但也有「同じ釜の飯を食う」這句諺語,圍著同一鍋吃東西亦是強化連帶感的方式。
だが『同じ釜の飯を食う』という諺もあるように、同じものを囲んで食べる事は連帯感を強める方法でもあった。
最後,他們以不是「鍋」而是圍繞「囲炉裏」烹煮的說法敷衍過去,並為謹慎起見準備了公筷。
結局、『鍋』ではなく『囲炉裏』を囲う料理という事で誤魔化した。更に念の為に取り箸を用意しておく事にした。
除了山豬料理外,靜子準備了以餅為主的湯品,也就是所謂的雜煮,正月常吃。
猪料理とは別に、静子は正月によく食べられる餅を主とした汁料理、いわゆる雑煮を用意した。
「雜煮」一詞首次出現在室町時代所著的「鈴鹿家記」。
雑煮という言葉は室町時代に書かれた『鈴鹿家記』に初めて出てくる。
但直到江戶時代之前,米是昂貴且同時被當作稅收,一般庶民便以里芋代替餅食用。
しかし江戸時代に入るまで米は高価な品であり、同時に税だったため一般庶民は餅の代わりに里芋を食べていた。
在武家社會中,雜煮是宴席一開始就吃的吉利食物;人們甚至說若不吃雜煮宴會就不算開始,因此雜煮通常最先被奉上。
武家社会においては宴の一番最初に食べる縁起の良い食べ物だ。雑煮を食べなければ宴が始まらないと言われるぐらい、まず初めに雑煮が振る舞われていた。
但在以非稻作作物耕種、如定畑或燒畑的地區,存在正月三日忌諱將餅供奉或食用於神佛前的習俗。
だが米以外の作物で定畑や焼畑を行っていた地域では、正月三箇日に餅を神仏に供えたり食することを禁忌とする風習がある。
因為米並非在他們土地上生產的本地食物,被視為外來之物,因此不被認為適合作為供奉給神佛的食物。
これは米が自分たちの土地で生み出されない外来の食べ物であったため、神仏にお供えする食べ物に相応しくないと考えられていたからだ。
關於雜煮有一個有趣的故事。
雑煮には愉快な話が一つある。
起源於室町時代作為本膳料理前菜出現的湯品,習慣會加入餅、山藥、里芋、大豆等被認為對身體有益的食材;某些地區也曾加入海產等做法。
室町時代に本膳料理の前菜として出された汁物に端を発し、餅・山芋・里芋・大豆など体に良いとされるものを入れるのが習わしだった。地域によっては海産物などを入れた例もある。
到了江戶時代,餅變得容易取得後,除北海道與沖繩外,全國普遍形成以雜煮慶祝正月的習俗。
それが江戸時代に入り、餅が簡単に手に入るようになると、全国(北海道と沖縄を除く)で正月は雑煮で祝うという風習が広まった。
當時「雜煮」一詞被解釋為「把什麼都雜雜放進去煮」,因此開始使用包括非傳統強調養生的食材在內的各種配料。
その時、雑煮という言葉は「何でも雑多に入れて煮る」という解釈がなされ、本来の雑煮のように体に良い具材以外のものまで用いられるようになった。
如今(こんにち),雜煮在各地味道迥異,有一說法認為這正是源於上述誤解。
今日(こんにち)、雑煮が地域によってまるで味が違うのは、この誤解から生まれたのではないかという説がある。
搗年糕等事宜結束後,眾人聚集到村內類似公民館的建築裡。
餅つきなどが終わった後、全員村の公民館的な建物へ集まった。
「咳咳,祝大家新年快樂」
「コホン、明けましておめでとうございます」
靜子說出了迎接新年、迎接年神時的祝福語。
静子は年が明け年神様を迎える際の祝福の言葉を口にする。
「新年快樂」
「明けましておめでとうございます」
村民們也跟著靜子說出祝賀的話。
村人たちも静子に倣って祝福の言葉を口にする。
這是人們彼此交換對神明的感謝之語,以此真心歡迎年神的含義。
これは神様への感謝の言葉を人々の間で交わすことにより、心から年神様を迎えたことを喜びあう意味がある。
「呃——今年也能平安迎來新年,在此表示喜悅。雖然有許多事,從今天開始三日裡大家就喝吃養精蓄銳吧!那麼,開動了!」
「えー、今年も無事新年を迎えられた事、ここに喜びを申し上げます。色々とありますが、今日から三が日飲んで食べて新年の英気を養っていきましょう! では、いただきます!」
「我開動了!」
「いただきます!」
那些頗為熱情的村民大聲喊出這句話的瞬間,新年慶祝的宴會便開始了。
割とノリの良い村人たちが大声でそう言った瞬間、正月祝いの宴会は始まった。
村民們對平時難得吃到的雜煮和牡丹鍋等料理讚不絕口。
雑煮やぼたん鍋など、普段食べられない料理に村人たちは舌鼓を打つ。
靜子在上座一邊看著,一邊和二作及其家人、代一等人聊著無關痛癢的話,但在宴會中段時有客人來了。
それを上座で見ながら二作やその家族、代一たちと当たり障りのない会話をしていた静子だが、宴会の中盤辺りで来客があった。
轉達的是彩,所以本人沒有直接進入宴會場,但看起來是信長派來的急馬。
取次をしたのは彩なので本人が直接宴会場に入ってこなかったが、どうやら信長からの早馬との事。
靜子覺得讓人久候不好,便匆匆起身。剛一走到走廊外頭便被寒冷刺得渾身發抖。
待たせるのも悪いと思った静子は、早々に席を立った。廊下に出た途端、外の寒さに身を震わせた。
「好冷……啊,對了。快馬的人也一定很冷,請準備些茶來」
「うーさぶ……あ、そうだ。早馬の人も寒いだろうし、お茶を用意してね」
「茶……是指把桑葉曬乾的那個嗎?」
「お茶……と言うと、桑の葉を干したあれですか?」
先把桑葉用水洗淨,接著略為蒸煮。蒸過的葉子擠乾水分後切成約三毫米的細片,然後日曬至完全乾燥。
桑の葉を水で洗った後、軽く蒸す。そして蒸し終えた葉を絞って三ミリ程度に細かく刻み、天日で完全に乾燥するまで干す。
就這樣做出來的桑葉茶隱含多種功效,是對健康有益的茶飲。
それだけで出来る桑の葉茶は、様々な効能を秘めている健康に良いお茶である。
「那、那個。用溫水泡的放在較大的器皿,熱騰騰用熱水泡的放在小碗裡」
「そ、あれ。ぬるま湯で入れたのを大きめの器に、熱々のお湯で入れたのを小さな器に入れてね」
「兩個嗎。那是……」
「二つですか。それは……」
「先、先就照說的去做吧,理由等會再說」
「ま、ま、今は言われた通りにして。理由は後で説明するからね」
彩雖然感到疑惑,但既然說之後會解釋,她便暫時照辦。
訝しげに思った彩だが、後で理由を説明してくれるとの事なので今は素直に従う事にした。
目送那邊後,靜子朝著快馬使者所在之處走去。
それを見届けた後、静子は早馬の人がいる場所へ向かった。
一出入口外,寒意更深地刺入骨髓,長時間待在外面恐怕很難忍受。
入り口から外へ出ると更に寒さが身に沁みた。長時間、外にいるのは厳しいだろう。
「是靜子大人吧。奉館主之命前來傳達命令」
「静子様ですね。お館様からのご命令をお伝えします」
披著鎧甲、與馬並立在近旁的人一見到靜子便開口說道。
すぐ傍に馬と一緒に立っている鎧武者の人が、静子に気付くや否やそう声をかけてきた。
不知是不是在硬撐寒冷,他的身體微微顫抖著。
寒さをやせ我慢しているのか、その体は小刻みに震えていた。
「明日,館主將舉行慰勞宴,命靜子大人也要出席」
「明日、お館様が慰労の宴会を開きます。その席に、静子様も参加するように、との事です」
「是」
「はい」
「屆時,請攜帶所謂『十字弓』」
「その際、くろすぼうなる弓を持ってくるように、との事です」
「欸、啊、好……(我、曾經把十字弓給館主看過嗎?)」
「え、あ、はい……(私、クロスボウをお館様に見せたっけ?)」
靜子有些疑問,但覺得大概在某處展示過,便很快把念頭拋諸腦後。
ちょっと疑問に思った静子だが、どこかで見せたのだろうと思いすぐに意識から外した。
在告知快馬使者自己會出席後,靜子對他這麼說。
それから参加する旨を早馬の人に伝えた後、静子は彼にこう言った。
「這寒冷定讓人要結冰了吧,我準備了熱茶,請用」
「この寒さで身が凍る思いでしょう。温かいお茶を用意しましたので、どうぞお召し上がりください」
「啊,不……不好意思」
「あ、いえ……申し訳ない」
即便逞強,寒意仍深刻逼人,快馬使者微微低下頭。
やせ我慢しても寒さは身にしみているのか、早馬の人は小さく頭を下げた。
靜子正要引他到玄關時,彩已先一步端著茶走了出來。
静子が彼を玄関まで案内しようとしたが、それより先に彩が茶を持って外に出てきた。
她照著吩咐,把用溫水泡的茶倒在大碗似的容器裡,另一杯冒著熱氣的滾燙茶放在小杯中端來。
言われた通り、ぬるま湯で作ったお茶をボウルのような容器に、湯気が出るほど熱々なお茶を小さな容器に入れて持ってきた。
「先潤潤喉嚨吧,請喝這個較大器皿裡的茶」
「まずは喉を潤しましょう。こちらの大きめの器のお茶をお飲みください」
「欸? 嗯……」
「は? はぁ……」
帶著些不解的表情,快馬使者仍照說的喝下大碗的茶。
どこか腑に落ちない顔をしつつも早馬の人は言われた通り大きめの器のお茶を飲む。
起初他小口小口地喝,但一發現溫水比較好入口,便像被催促般一飲而盡。
最初はちょっとずつ飲んでいた彼も、ぬるま湯で飲みやすいと分かった瞬間、煽るように飲み干した。
靜子若有所思:騎馬大概需要不少體力吧。
馬に乗るのは体力がいるのかな、と漠然と思った静子だった。
「那麼,接下來請喝這杯熱騰騰的茶吧。」
「では、次にこちらの熱々のお茶をお飲みください」
「多謝……好燙……」
「かたじけない……あちち……」
這次遞上的茶冒著熱氣,從外觀看就知道非常燙。
今度は湯気が出ているほど、見た目からして熱々のお茶を渡す。
對於因寒冷雙手僵硬的早馬的人來說,這正是個暖手的好熱源。
しかし寒さで手がかじかんでいた早馬の人にとっては、手を温めるよい熱源であった。
(有人說石田三成的三献茶是江戶時代的創作,但作為待客的細心安排還是很優秀的)
(石田三成の三献茶は、江戸時代の創作って言われてるけど、おもてなしの気配りとしては優秀なのよね)
本來想沒辦法喝三杯就只給了兩杯,但對早馬的人來說仍然十分感激。
流石に三杯も飲んでいる余裕がないと思って二杯にしたが、それでも早馬の人にとってはありがたかった。
在凍得發抖的寒冷中,一杯熱開水究竟有多令人珍惜,會深深體會到骨子裡。
寒さで身が凍る中、一杯の白湯がどれほどありがたいか骨身にしみるからだ。
感動的早馬的人端正姿勢,向靜子深深鞠躬。
感動した早馬の人は姿勢を正すと、静子に向かって深々と頭を下げた。
「多謝款待。感謝靜子大人的關懷。」
「馳走になった。静子様のお心遣いに感謝する」
「啊,不,哪裡」
「あ、いえ」
「那麼,我就告辭了。」
「それでは失礼する」
又鞠了一次躬後,早馬的人敏捷地跨上馬背,奔馳而去。
もう一度頭を下げた後、早馬の人は素早く馬に跨がり走り去っていった。
元旦的宴會熱烈非常,直到日落前夕才結束。
元旦の宴会は大いに盛り上がり、日が沈むギリギリまで宴会は続いた。
靜子村的男人和二作村的男人都醉倒了,所以就這樣順理成章地二作村的人留宿在靜子村。
静子の村の男衆も、二作の村の男衆も、皆酔い潰れていたので、なし崩し的な感じで二作の村人は静子の村に泊まる事となった。
不過那天不分男女醉倒的人很多,大多數人就在宴會場上隨地打盹。
もっとも、その日は男女関係なく酔い潰れた人が多かったため、殆どの人が宴会場でごろ寝していたが。
另一方面,靜子從早上就洗了澡淨身,盡量把自己打扮得乾淨整潔。
一方、静子は朝から入浴をして身を清め、出来うる限り綺麗な身なりをするようにした。
你會覺得慰勞宴會氣氛較為輕鬆,但武家社會的宴會其實屬於相當拘謹的類型。
慰労の宴会といえばラフな雰囲気を感じるように思えるが、武家社会においての宴会はかなり堅苦しい方に部類するのだ。
說白了可以把它當作接近社交界的派對,若不守相應禮節,就會丟了主辦者的面子。
はっきり言って社交界のパーティに近いと考えても良い。それなりのマナーを守らねば、宴会を開いた人の面子を潰してしまうのだ。
而這次不是穿武家婦人的服裝,而是需要穿武將服裝,也就是男裝。
そして今回ばかりは武家婦人の服装ではなく、武将の服装、つまり男装をする必要があった。
(好冷……真想躲進有爐火的房間裡……)
(さっむーい……囲炉裏の部屋に引き篭もりたい……)
仍然在寒風中發抖,旅途中毫無波折,靜子抵達了有信長駐守的小牧山城(こまきやまじょう)。
寒さに震えながらも道中何事も無く、静子は信長がいる小牧山城(こまきやまじょう)へと辿り着く。
這次事先就換好衣服,所以在城裡就沒再換。
今回は事前に着替えていたため、城の中で着替えるような事はなかった。
不過並沒有立刻移到宴會場,因為武家社會階級森嚴,需要先向信長行新年問候。
しかしすぐに宴会の場へ移動という事はなかった。上下関係が厳しい武家社会なので、信長に新年の挨拶をする必要があった。
但要行禮的並非只有靜子一人,直接侍奉信長的武將們,以及服侍那些武將的武士們,也都計畫向信長致新年問候。
だがその挨拶をするのは何も静子一人だけではない。信長に直接仕える武将、そしてその武将に仕える武士たちもまた、信長に新年の挨拶をする予定でいた。
因此在謁見廳前排起了長長的隊伍。
お陰で謁見の間の前は長蛇の列が出来ていた。
(……要是舉著「隊尾在此」的牌子,可能會很好玩)
(……最後尾はこちら、って看板でも持てば面白いかも)
心裡想著好像是活動開始前的氣氛,帶點不謹慎的念頭,靜子也排入隊伍。
イベント開催前だな、と不謹慎な事を考えつつ静子も列に並ぶ。
剛一排隊,似乎注意到聲音,前頭的一名武士回頭,露出驚愕的表情。
並んだ途端、音に気付いたのか前にいた武士の一人が振り返って、そして驚愕の表情を浮かべた。
靜子起初還不明白是怎回事,但很快就理解他在驚訝什麼。
最初は何だと思った静子だが、すぐに彼が何に驚いているかを理解した。
原來是身高差。那些武士的身高只到靜子的胸部附近,乍看之下頂多一百五十出頭左右。
身長差である。武士の身長は静子の胸辺りまでしかなく、どう見ても百五十前半ほどしかない。
那已算是較高的了,仔細往前看還能零星看到更矮的武士。
それでも高い方で、前をよく見ると更に身長が低い武士がチラホラ見えた。
(嘛……那時候平均大概只有一百四十公分左右呢)
(まぁ……当時は平均百四十センチぐらいだしね)
再次意識到自己個子比較高,但再怎麼理解也不會讓自己變矮。
改めて自分が大きい事を理解したが、理解した所で身長が縮むわけがない。
結果在進入謁見廳之前,靜子就一直被武士們像看馬戲團的動物般注視著。
結局、謁見の間に入るまで静子は武士たちから見世物小屋の動物のように見られ続けた。
排了好幾十分鐘,終於輪到她了。
そして並ぶ事数十分、ようやく自分の番がやってきた。
不過她並沒有說些特別新奇的話,只是照前人說的那類安全無風險的問候。
と言っても物珍しい言葉など選ばず、前の人と似たような無難な挨拶にした。
問候結束後就移往宴會廳。
挨拶が終われば宴会場へ移動だ。
不知道是不是事先已排好座位,一名看似僕從的人引導她到位子上。
予め席が決められているのか、使用人らしき人に彼女は場所を案内される。
但坐了一會兒後,靜子發現只有她一個人被安排到那個位置。
しかし座って暫く経った頃、案内されたのは自分だけという事に静子は気付いた。
其他人彷彿從一開始就知道自己的座位。
他の人は最初から自分の場所を知っているかのようだ。
(嗯……這個座位……有種不好的預感……)
(うーん……この席……何か嫌な予感がする……)
她的不安大約在十分鐘後應驗。
彼女の嫌な予感は十分ほど後に的中することになる。
靜子感到背脊一陣發冷。
静子は背筋に寒いものを感じていた。
她現在後悔當初沒注意到自己的座位離信長的御座竟然異常接近。
最初から自分の席次が、信長の御座所から妙に近い事に気付くべきだったと今さらながら彼女は後悔した。
靜子只動了眼睛掃視周圍。旁邊坐著在織田信長家臣中以武勇聞名、被稱為「攻めの三左」的森可成。
目だけ動かして静子は周りを見る。隣には織田信長の家臣の中で最も武勇の誉れ高く、「攻めの三左」と呼ばれている森可成が座っていた。
看向對面,坐著的是後來成為織田四天王之一的滝川一益,臉上帶著幾分難色。
反対側を見ると、そこに座っていたのは後に織田四天王の一角を担う滝川一益が、どこか難しそうな顔をして座っている。
稍遠處坐著如今境遇不佳,但日後成為織田四天王之一、被稱為織田家首屈一指猛將的柴田勝家。
少し離れた所には、今は不遇の扱いを受けているが、後に織田四天王の一人で、織田家随一の猛将と言われる事になる柴田勝家がいる。
而靠近信長的位置上,坐著兩代以來與信長通婚為姻親、是織田四天王、織田五大將之一、與柴田勝家並列的猛將丹羽長秀。
そして信長にかなり近い所には二代に渡って信長の姻戚となり、織田四天王、織田五大将の一人であり、柴田勝家と並ぶ猛将である丹羽長秀が座っていた。
日後加入織田四天王的明智光秀據說是在永祿十一年(1568)到永祿十二年(1569)之間成為織田家家臣,因此現在並不在場。
後に織田四天王に加わる明智光秀は、永禄一一年(1568年)から永禄一二年(1569年)の間に織田家の家臣になったと言われるため、現在はこの場にいない。
日後成為豐臣秀吉的木下藤吉郎也同樣坐在靠近信長的位置。
後の豊臣秀吉となる木下藤吉郎もやはり信長の席から近い位置にいた。
也就是說,靜子的周圍坐著一眾傑出的人物。
つまり静子の周りには、そうそうたるメンバーが座っているのだ。
(胃……胃藥好想要……!)
(胃が……胃薬が欲しい……ッ!)
靜子覺得武將們散發的威壓幾乎要在胃裡挖個洞,但已經無法開口要求換座位,只能沈默忍耐。
武将たちの醸し出す威圧感で胃に穴が開きそうだと思った静子だが、今さら席を変えてくれとも言えず、ただ黙って耐えるしかなかった。
說實話她不擅長這種座位,即便參加也傾向待在角落不引人注意。
本音を言えば彼女はこういう席は苦手で、たとえ参加しても隅っこで目立たないように過ごす派だ。
此外她還有在寒冷天氣不想出門的尼特傾向。
更に言えば寒い日に外出などしたくないニート気質があるが。
(唔……希望今天能快點結束啊──)
(うぅ……今日は早く終わらないかなー)
與她的願望相反,過了好幾十分鐘,宴會連開始的徵兆都沒有。
そんな彼女の願いとは裏腹に、それから数十分経っても宴会は始まりすらしなかった。