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戦国小町苦労譚

ダブルブッキング

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先祖伝来の名刀を所有していた男は、ここのところ慢性的な胃痛に悩まされていた。

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近頃では何をしていても、ふとした瞬間にシクリシクリと疼痛(とうつう)を訴えてくるのだ。

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幸(さいわい)にして静子と知己(ちき)を得たことで、特別に研究中の胃薬を処方して貰って抑えている。

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男には学がないため、静子の話していた内容がさっぱり理解できなかったが精鉱や製塩の副産物からできているそうだ。薬包紙に包まれた白い粉薬を水で飲み下し、何故このような境遇に陥ってしまったのかを振り返った。

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男は相模(さがみ)国に住んでおり、この頃東国管領(かんれい)に静子が就任したことで織田家の勢力下に組み込まれた。

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その際に静子から発布された東国に於ける原則的ないくさを禁じる法令により、自らの家を盛り立ててゆくには武勲ではなく学識や技術こそが必要となると知る。

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そこで男は己の子供たちを尾張にある、静子の運営する学校へと入学させるべく支度金を調達する必要に駆られた。

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親心として子供達が遠方で惨めな思いをせぬよう、十分な支度金を持たせてやりたいが無い袖は振れない。

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こうして男は先祖伝来の家宝である名刀を手放すことを決意した。

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そしてどうせ手放すのであれば少しでも高く買い取って貰え、かつ出来ることなら大切に扱ってもらえる先が良いと考える。

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そうなると真っ先に候補として挙がるのが、刀剣蒐集家として知られている静子の存在であった。

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織田家の勢力圏内に於いて名刀・古刀の類(たぐい)を売ろうとするならば、御用商人である『田上屋(たなかみや)』に持ち込むことで静子と繋ぎをとることができる。

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男は伝来の家宝を最寄りの田上屋に預けて査定して貰い、静子から返事が届くのを待つことになった。

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噂に伝え聞く静子の人物評は、価値あるものに対して金を出し惜しみすることの無い女性だということだ。

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元より静子に対して値段交渉するつもりなど無かった男は、一仕事を終えた気分となって安心しきっていた。

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この男の油断に対して魔が忍び寄る。唐突に男の許へと一通の文が届いたのだ。

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差出人を見た男は図らずも絶句することになる。それは天下人と目される信長からの文だったのだ。

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男にはそんな雲の上の人物から文を貰う心当たりが無く、取り敢えず内容を検(あらた)めて絶望することになった。

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信長からの文には、男が所有している先祖伝来の名刀を譲って欲しいという事が書かれている。

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本来であれば既に静子に対して売買を持ち掛けているため、信長に対してお断りをする旨返事を出すのが筋だった。

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噂に伝え聞く信長の苛烈な性格と、天下人たる信長の要望を突っぱねることが男にはどうにも恐ろしい。

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とはいえ、静子に対して自らが望んで買い取りを願い出た関係上、今更になって無かったことにして欲しいなどと言うことも出来ない。

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何より我が子を預ける学校の運営者たる静子に対し、不義理を働くことなど出来ようはずがなかった。

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「嗚呼(ああ)どうすれば良いのだ……」

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家宝を手放そうと考えたことに対して先祖が怒りを示しているのかとも考え、男はすっかり憔悴(しょうすい)しきってしまい眠れぬ夜が続く。

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信長に対して早急に何らかの返事をせねばならないというのに、どうすることも出来ないまま幽鬼のような形相へとなり果てた。

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そんな男に対して静子から直接会って話がしたいとの申し出が届く。千載一遇(せんざいいちぐう)の機会とばかりに、男は飛びついた。

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男は静子に招かれて尾張を訪れることとなり、旅費や滞在中に掛かる費用全て先方持ちで尾張行きの船に乗る。

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それからの数日間は驚きの連続であり、相模国しか知らない男にとっては見るもの全てが珍しい。

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それでもこれからの事を考えると胃のあたりが痛みを訴えもしたが、広い船室に豪華な食事と現実離れした好待遇に暫し現実を忘れることが出来た。

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こうして男は尾張に入り、静子邸へと招かれて彼女と謁見することになる。

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「……なるほど。上様にも困ったものですね」

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静子としては名刀の保管状態が良かったため、男に対してその来歴を教えて貰った上で買い取り交渉をしようと彼を招いた。

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ところが目を血走らせた男は、静子と面会が叶うなり突然土下座して無礼を詫びた上で、名刀の買い取り自体を無かったことにして欲しいと願い出る。

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突然の事態に静子は驚きつつも、男に対してその理由を問うた。

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そして男から今までの経緯(いきさつ)全てを聞き出した静子は、過剰なストレスからかすっかり土気色の顔色をしている男に告げる。

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「事情は判りました。上様には私から話をしましょう、悪いようにはしませんのでご安心なさい」

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「そ、それでは刀をお返し頂けるのでしょうか?」

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「いいえ、貴方に刀を返せば恐らく上様に召し上げられてしまうでしょう。それでは貴方が大損を被る羽目になる。ひとまずは私が買い取り、残る上様との交渉についても預かります」

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「は……ははあ! 宜しくお取り計らい下さいませ」

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男は静子の懐の深さと、一連のやり取りで生じる諸問題全てを巻き取って解決する能力にすっかりと心酔してしまった。

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そしてこれまで胃を苛(さいな)み続けた肩の荷が下りたのと、張っていた気が緩んだせいか男はそのまま気を失ってしまう。

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気が付けば男は静子邸から少し離れた位置にある療養所へと運び込まれ、不眠とストレス性の胃炎と診断されて暫く入院するよう告げられたのだ。

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更に静子は男に対してこれまで通り、滞在中のすべてに掛かる費用を持つのでゆっくりと養生するよう伝言を残しており、男はこれに涙を流して感謝する。

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こうして男から名刀を買い取ることになった静子は、偶然(・・)尾張を訪れていた信長に対して面会を申し込む。

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程なくして静子の要望が聞き入れられ、静子邸の離れにある信長や濃姫が利用する部屋にて会談をすることとなった。

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「わしがお忍びで羽を伸ばしている時に、改まって何用じゃ?」

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「上様が所望されていた刀は私が買い取りました。上様のお目当ては光忠(みつただ)作のこれ(・・)でしょう? 天下統一を果たさんとされるお人が、子供の小遣いを取り上げるような真似はおやめください」

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「何の話をしているのかわからんな。わしは貴様の御用商に良さそうな刀が持ち込まれたと小耳に挟んだから、わしも一枚噛ませて欲しいと文を認(したた)めたまで」

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「上様に望まれて、彼に否やが言えるわけないでしょう? 彼を案内してきた田上屋の番頭が言うには、随分と痩せて人相も変わってしまったそうです」

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男が持ち込んだ先祖伝来の名刀は、備前(びぜん)長船(おさふね)派の祖である光忠の手によるものであった。

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信長は実休(じっきゅう)光忠を筆頭に光忠作の刀を好んで蒐集し続けており、今回も食指を伸ばしたものと思われる。

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「はてさて、貴様が何を言っているのか判らんな。わしは光忠作の刀が売りに出されたと聞いて、その前に一目見せて貰えないかと頼んだまで。わしに譲れなどとは一言も言っておらぬぞ?」

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確かに男に宛てた信長の文には、手放す前に見せて欲しいとしか書いていないのだが、男にとっては献上せよと言われているに等しい。

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全てを判った上で信長はとぼけているのだ。

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「私も蒐集家の端くれですから、上様のお気持ちもわかります」

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「包平(かねひら)作を掻(か)き集めている貴様が言うと説得力があるな。ならば、わしが次に言わんとする言葉も判るであろう?」

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「判っておりますが、形式上は私が買い取りましたゆえ、まずは写真に収めて資料を作り、写し(本物を真似て打たせた刀のこと)を作ってからとなりますのでご容赦下さい」

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「良かろう。わしも貴様の趣味に水を差さぬ程度の器量は持ち合わせておる」

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信長は鷹揚(おうよう)に頷くと静子の申し入れを了承し、上機嫌のまま安土へと引き上げていった。

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まるで嵐のようだった信長の行動に振り回された静子は、自室にて大の字に寝転がる。

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「うーん、今後も光忠作の刀が出てくると大変だな。上様お気に入りの刀工だしねえ」

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信長は以前「この世に存在する全ての光忠刀はわしのものだ」と嘯(うそぶ)いており、たとえ一口(ひとふり)たりとも他人に譲る気が無いことが窺(うかが)える。

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それにしても静子の情報網にすら引っかからなかった光忠刀の存在を、信長がどうやって嗅(か)ぎつけたのかが気にかかる。

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静子が田上屋を通じて名刀・古刀を募っているのは周知の事実だが、田上屋の支店や系列店などは日ノ本中に幾つあるか判らない程に多い。

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その中の何処に持ち込まれるとも知れない全てを見張るなど、人員的にも無理だということは明らかだ。

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田上屋を通じて信長に情報が漏れたという線はあり得ない。田上屋の創業者である久次郎は、信用に重きを置く近江商人であるため、配下にも不義理に対する姿勢は徹底させている。

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この絡繰りが判らない限りは、今後も信長に出し抜かれ続ける可能性があり、静子としても悩ましい事実だ。

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「まあ仮に絡繰りが判って対処したらしたで、今度は刀狩りみたいなことをしそうなんだよねえ……」

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静子の不安が近い将来に現実のものとなることを、神ならぬ彼女は知り得なかった。