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戦国小町苦労譚

千五百七十四年 三月上旬

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二月。空気が澄みわたるような寒さを耐え、芽吹きの季節たる春を待ち望む頃。静子邸の厨からは炊事の煙が立ち上っていた。

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一般的に魚は水温が低い方が美味しいとされる。低い水温に耐えられるよう、体に多くの脂を蓄えるためだが、これは魚だけに限った話ではない。

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冬に収穫する大根が甘いのも、寒さに耐えるため水分を減らし、代わりに糖分を蓄えるからだと言われている。真水は0度で凍結するが、砂糖水は凍結しない。

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いわゆる『沸点上昇・凝固点降下』という現象である。因みに気温の影響を受けにくい、地中深くにある先端部分は、害虫などから身を守るため辛くなるとも言われている。

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「ほっほっ……冬はブリ大根に限るね」

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口から熱気を逃がしながら、静子がひとりごちた。

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ブリ大根とは日本全国に伝わる郷土料理だが、富山県の寒ブリを使ったそれが有名だ。色々なバリエーションが存在するが、ブリと大根を醤油で煮つけるところは共通している。

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流通の発達した現代であっても、日本海側と太平洋側で獲れたブリの値段に倍以上の差がつくことがある。

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北海道から南下し、日本海の荒波を乗り越え、富山湾まで辿り着いた『氷見の寒ブリ』と言えば、冬の味覚の王者とも呼ばれる。

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当然流通の発達していない戦国時代で、新鮮な『氷見(ひみ)の寒ブリ』など望めるはずもなく、静子が調理に使用した物も尾張で獲れたやや小ぶりなブリである。

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「魚を口にするのは久方ぶりです。魚などは泥臭いか、極端に塩辛いかのどちらかと思っておりましたが、これは堪りませぬ!」

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少年のように目を輝かせながら昌幸が絶賛する。今宵は真田昌幸と彼の息子たち、信之、幸村(信繁)を招待しての夕餉となっていた。

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山国である甲斐では、海の魚など望むべくもない。泥臭い川魚か、長期間の運搬に耐えるよう、きつく塩蔵されたものに限定される。

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高級品である砂糖を惜しげもなく使い、醤油とみりんに加えて、臭みけしに生姜と共に煮込まれたブリは、昌幸の心を少年に戻す程のものであった。

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「今日港で上がったばっかりのブリが届いてね。越中のブリには劣るけど、尾張のブリも中々のものだよ」

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「なんと! まだこの上があると仰るのか……」

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昌幸は正に愕然と言った面持ちで、戦慄を隠せずにいた。興奮する昌幸とは対照的に、彼の息子たちは緊張し、遠慮しながら飯を食べていた。

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「子供が遠慮なんてするもんじゃないよ。あそこの大人を見てごらん? 美味しい物をお腹一杯食べられるってのは幸せなんだよ。どんどん食べて、大きくおなり」

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子供たちを優しい目で見つめながら、静子は慶次たちの座敷を指さした。開け放たれた襖から見える、続きの座敷では慶次達がお櫃(ひつ)から飯を掻きこんでいた。

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最初こそは膳と一緒に運ばれた椀で食べていたが、まどろっこしいとばかりにお櫃ごと持ってこさせると、しゃもじを突っ込んで豪快に食べている。

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いつの間にか酒まで持ち出し、客人が居るにも関わらず宴会を始める始末であった。

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悪い大人の見本ではあるが、食べっぷりも豪快で、遠慮などとは無縁であるため静子が引き合いに出した。

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本来ならば主人として叱責すべきなのだが、昌幸自身が構わないと言ったため、放置してあった。

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静子としても食事は楽しく、賑やかに取った方が美味しいと思っており、好きにさせることにしていた。

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一方、信之と幸村は困惑していた。静子から勧められはしたものの、彼らは武家の男児として厳しく躾けられてきた。父親や、父親の上司たる静子の前で失礼があってはならないと、二の足を踏んでいた。

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「子供が大人の事情なんて気にしなくて良いよ。よく食べて、よく遊び、よく学ぶ。それが子供の仕事なんだから」

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再度促され、ようやく二人は勢いよく、ご飯を食べ始めた。甘辛く煮つけられたブリの味は、子供の鋭敏な味覚をも魅了した。

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とは言え、二人とも未だ十にも満たない子供であり、食べられる量も知れていた。

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既に食事を食べ終わり、子供たちが目を輝かせながら食事をするさまを、口元を緩めながら眺めていた昌幸が、二人が食べ終わったのを見計らって口にした。

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「素晴らしい食事をご馳走になりました。心よりお礼申し上げます」

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父の口上を耳にし、信之も慌てて頭を下げ、やや遅れて幸村も続く。

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「お粗末様でした。二人とも満腹になったかな?」

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食事を終えて茶を飲んでいた静子が、にこやかな笑みを浮かべて返事する。静子から声を掛けられた二人は、思わず頭を上下させていた。

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「静子様、このように歓待して頂いた上に、厚かましいことを申しますが、一つお願いがございます」

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「構わないよ。出来る出来ないは別にして、いつでも聞く耳だけは持っているつもりだから」

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「はっ。では、遠慮なく申し上げまする。噂に名高い静子様の図書室を利用させて頂きたく存じます」

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静子の図書室とは、彼女が集めた洋の東西を問わず、古今の書物が一堂に会する建物を指す。

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最初は文字通り一室だったのだが、蔵書数が増えるに従って蔵となり、新居では独立した建物とすらなっていた。

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しかし、呼び名は昔から変わることなく、誰もが図書室と呼んでいた。

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この図書室は静子邸で働く者には広く開陳されており、景勝や兼続のように屋敷で起居するものにも閲覧の許可を与えていた。

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しかし、昌幸のように外部の者が利用するのは難しい。静子が禁じている訳ではなく、単純に静子邸へと出入りするのに必要とされる手続きが面倒なためである。

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「うーん。安全面からも、本の持ち出しは許可出来ないなあ。そうだ、7日に1日のみ図書室への立ち入りを許可しましょう。折角だから子供たちも書物に触れられるようにすると良いんじゃないかな?」

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「私のみならず、愚息達にまでご配慮頂き、ありがたく存じます」

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諜報を統べる昌幸としても垂涎の的であった図書室への出入りを、7日に1日とは言え許されたことは望外の喜びであった。

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司書の爺(じい)へと文を認(したた)め、彩へと手渡しておいた。明日になれば早速、審査と手続きをしてくれることだろう。

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静子としては図書の貸出を考えないでもなかったが、外部へと持ち出すことは紛失や、情報の漏出の可能性が考えられるため、図書室内での閲覧に限定することとした。

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「許可証が発行されたら、追って連絡しますね」

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「ありがたき幸せ」

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親子揃って見事な礼を示した。通常の仕事に忙殺され、それほど図書室を利用できない昌幸とは対照的に、7日ごとに必ず訪れる信之が、景勝と並んで図書室の主(ぬし)と呼ばれるようになるまでに、それほどの時を必要とはしなかった。

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3月に入り、静子の定めた新暦では春となった。日頃は人の出入りも少ない、静子邸の一角が俄(にわ)かに慌ただしくなっていた。

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そこは静子に仕える文官たちの仕事部屋。現代で言うところの決算報告書に相当するものを、彩を筆頭とした彼女の部下たちが総出で作成しているのだった。

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「損益計算書が仕上がりました!」

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「確認する。次はこちらをお願いする」

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部屋には彩を含め、総勢で20名ほどが詰めていた。襖を取り払い、大部屋にしてあるが、それでも妙に手狭に感じてしまう。

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その原因は、廊下にまではみ出している書類の山にあった。全員が算盤を片手に、資料を検算したり、新たな書類を作成したりと、各々が作業に掛かり切りになっていた。

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毎月の締め日も、それなりに忙しいのだが、今回は全部署の通年総決算とあって、猫の手を借りたいほどの状況になっていた。

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どれほど忙しくとも冷静さを失わない彩も、この時ばかりは余裕を失って奮闘していた。

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「内容確認が終わりました。ご決裁頂ければ、清書に回します」

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文官たちがそれぞれの担当分を持ち寄り、彩の席に置かれた決裁待ちの文箱に書類を重ねていく。

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現代のようにコピー機など存在しないため、複数部必要となる書類は今も清書班が別室で必死に書き写している。

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部屋には文官たちが経過を報告する声の他は、皆が算盤を弾く音や、紙や筆が擦れる音、書類を乾かしたり、墨や水を補充したりする小間使いが立ち働く音しかしない。

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各部署を総括する彩は、積み重なった書類を確認し、クロスチェックを繰り返して間違いがない事を確認する。

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彩の承認を得た書類のみが静子へと送られ、最終的には信長の手に届くことになる。

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静子が手掛けた事業は多く、反面文官の数は圧倒的に足りていない。

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部屋に詰める面々の表情は鬼気迫るものがあり、普段は我が物顔で歩き回るヴィットマンたちも、ここ数日は姿を見せていない。

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「通期決算書が完成いたしました。ご確認をお願い致します」

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書類と格闘すること14日。ようやく仕上がった書類を手に、彩は静子の前に進み出た。

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余程過酷な作業だったのか、隙を見せない彩の目の下には濃いくまが浮かび、髪も色艶を失っていた。

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「はい、受け取りました。問題があれば連絡しますが、本日の仕事は終わりにして下さい。書類精査が完了したのち、5日間の特別休暇を支給します。部署内で調整し合って、各自が取れるよう取り計らって下さいね」

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特別休暇とは、有給休暇とは別に適宜支給される有給の休暇である。単純に有給日数が増えたと思えば判り易い。

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「ありがとうございます」

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「ただ、特別休暇は3月、4月の二ヶ月間しか使えないから、難しいとは思うけど調整をお願いします」

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「お任せ下さい。それでは、これにて失礼します」

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「はい、お疲れ様。今日はゆっくり休んでくださいね」

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他人の目があるため、事務的な態度に徹しているが、静子は疲労困憊の彩に早く休んでほしかった。

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何かと強がることの多い彩も、流石に取り繕う余裕もないのか、若干ふらつきながら部屋を後にした。

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決算書の確認と言っても、今すぐ静子が作業することは無い。静子が確認していては、書類作成者たる彩たちが休息出来ないためである。

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とは言え、静子の手掛ける事業はいずれも借入金の無い、いわゆる無借金経営であるため確認は容易だ。

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人・物・金の流れが書類だけで確実に追え、今期にどの程度の利益があり、資産状況が把握できる事さえ確認できれば良い。

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それ以外は、各書類間の数値に関する関連性チェックをすれば、信長へと提出するための要約書を添えて完成となる。

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「さて決算書は仕舞って、先に借りていた本を返しに行こう」

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静子は決算書を鍵のかかる引き出しにしまうと、図書室から借りてきていた本を片手に部屋を後にした。

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図書室に入ると、閲覧席に陣取って本を山と積んでいる後姿が目に飛び込んできた。小さな二つの後ろ姿は、片方が景勝、もう一人が信之であった。

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そう言えば、今日が信之の利用日だったなと思いつつ、静子はカウンターへ向かって司書に返却手続きを頼む。

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返却を終えた静子は、次に借りる本を物色するため本棚の間を巡る。

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利用者は皆、本の価値を知っているため、大切に扱ってはいるが、人気の書籍は手汗や手油でどうしてもくたびれてきていた。

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(『十遍読むより一遍写せ』って言うし、写本を推奨して買い取りもしようかな?)

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この諺(ことわざ)が意味するところは、読書の要諦である。書物を何度も読み返すより、内容を一度書き写した方が、内容を良く理解できると説いている。

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写本をするための専門部署はあるものの、蔵書の数は膨大であり、本の増える速度に到底追い付いていない。

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それゆえ、一度印刷した本とは言え、気軽に再度印刷して欲しいとは言いにくかった。

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(紙質の関係で、もう一回ガリ切り(ガリ版印刷の原版を作ること)からやり直して貰わないといけないね……)

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硬質なパルプ紙とは違い、和紙に蝋引きしたものをガリ切りに使用しているため、耐久性にも難があり、一冊だけ印刷するなどと言う小回りが利かないと言う背景もあった。

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静子が思い悩んでいると、横合いから声が掛かった。

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「これは、静子様。ご挨拶が遅れて申し訳ございませぬ。すっかり書にかまけて、失礼いたしました」

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その点、写本ならば紙と筆さえあれば本人の労力だけで本が増える。開架書庫にある本は機密性も低いため、内容を覚えられても問題ないし、写本自体を買い取れば流出する事も無い。

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これなら双方にメリットがあるから、写本キットでも作ろうかと思考が深みにはまりつつあったところから抜け出して、声の方を振り返った。

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頬を紅潮させながら声をかけてきたのは信之であった。

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まだ幼い信之の声は高く、良く通るため利用者が何事かと注視したが、景勝は慣れているのか気にすることもなく本から目を離さなかった。

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「私が来るたび挨拶する必要なんてないよ。それにしても随分と読み込んでいるみたいだね? 閲覧席に本が山積みだったよ、朝からずっと?」

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静子がくすくすと笑いながら問うと、信之は目を輝かせながら返答した。

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「は、はい。ここは想像以上でした。天下の全てがここに収まっているかと思うほどです。分野ごとに本も整理され、案内に従えば容易に目当ての本が探せるというのも驚きです!」

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最近似たような絶賛の台詞を聞いたなと、景勝の方へ目線を送る。同じ姿勢を続けて体がこったのか、景勝は背もたれ付きの椅子に体重を預けて伸びをしている最中だった。

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静子の視線に気づいた景勝は、思わず手にした本で自分の顔を隠し、閲覧席に向き直った。利発で大人びてはいるものの、彼は二十歳に満たない若者だ。

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好きな事に没頭していれば、隙も出来ようというものだった。彼は山積みになった本を整理し、少しでも雑然とした印象を払拭しようと努力していた。

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まるで母親に片づけを言いつけられた子供のようだと、静子は微笑ましく見守る。

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「随分と色々な分野に興味があるんだね?」

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信之が手にしている本は、実用書から娯楽本まであり、ジャンルに一貫性が見えなかった。武士の子が好む戦記もあれば、農業や園芸に関する本にも手を出していた。

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「はい。某は、これを究(きわ)めると定める程に本を読んではおりませぬ。まずは目録を見て、興味のある本を全て読んでから決めようと思っておりまする」

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「色んな事に興味を持つのは良いことだよ。でも読むだけで終わるんじゃ勿体ないね。読んだ内容をしっかり自分の物に出来るよう見分を広めなさい」

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「はい、肝に銘じます」

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「よろしい。あ、そう言えばもうすぐ昼時だけど、一緒に昼餉でもどうかな? 喜平次君も一緒に来るよね?」

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「ご相伴に与(あずか)ります」

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静子の誘いに景勝は迷わず応じた。折角の誘いを断る理由もないし、自身の小姓である兼続が慶次と連れ立って街へと繰り出しているというのも大きかった。

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小姓が主人を放置して遊びに出かけるなど言語道断だと思われそうだが、景勝自身は気にしていなかった。

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親元から遠く離れての人質生活であり、たまの自由ぐらい許されるべきだと彼は考えていた。

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「そ、某もご一緒致します!」

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即応した景勝とは対照的に、少し躊躇った信之は、それでも景勝に触発されたのか、張り合うように応じた。

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「よしよし。それじゃあ、後で迎えを送るよ。それまで自由に読書していてね」

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これ以上の長居は読書の邪魔になる。特に信之は7日に1度の貴重な機会である。そう考えた静子は、話を切り上げると、二人に手を振って図書室から去っていった。

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昼餉はひつまぶしだった。文字通り鱈腹(たらふく)になった二人は、午後の睡魔と戦うのに苦労した。

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静子達が穏やかに過ごしている中、近衛前久は京での勢力拡大に余念が無かった。とは言え、強権を振るうでもなく、賄賂を渡す訳でもない。

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積極的に文化を発信し、芸術や遊興を振興した。彼は頻繁に公家達を招いては、尾張由来の珍しい文物を振る舞った。

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それは治安が悪化した京を捨て、地方の荘園へと移り住んでいた者にとって、再び京へと舞い戻るに十分な理由となった。

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信長の上洛以降、徹底した取り締まりにより治安が安定し、荒廃していた京が、かつての輝きを取り戻した事も大きい。

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更に前久の邸宅には他所とは違う工夫が凝らしてあった。京都は盆地であり、冬ともなれば冷たい空気が停滞し、いわゆる底冷えと呼ばれる現象が発生する。

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気密など望むべくもない当時の建築様式では、夏は快適であっても、冬は火鉢を抱えて我慢するより他に無かった。

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そうは言っても寒ければ人の活動性は下がってしまう。現代では断熱性に優れる衣服が多くあり、野外に於いても重ね着などをすれば相当の寒さに耐えることが出来る。

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戦国時代ではそういった衣服は存在しないし、ただ衣類を重ねるだけでは雅が無いと前久は考えた。優雅であり、それでいて寒さを凌げる手段を講じる必要があった。

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そこで前久が取った対策とは、尾張から職人を招いて、自宅の敷地内に気密性の高い別邸を築くことだった。

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外壁を漆喰塗りの白壁に仕上げ、内部を中空構造とし、間に断熱材としてフェルトを仕込んだ。

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目端の利く者が見れば、別邸の外観と内部の空間に差があることに気が付けるかも知れない。しかし、その意図までをも見抜ける者はいない。

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前久の工夫は、これだけに留まらない。静子の知識を元に、体感温度に湿度が大きく影響することを知り、加湿器をも仕込んでいた。

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無論、電気式の加湿器などではなく、水を入れた容器を下部から熱して蒸気を送る、原始的な加湿器だ。しかし、乾燥した冬の空気とは比べ物にならない環境を提供してくれる。

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難点は優雅であることにあった。露骨に対策をしていることが見えては雅ではない。

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そのため加湿器は床下の空間に設置され、フェルトで巻かれた断熱パイプを通って、密かに空気を送り込む。

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送風口は欄間(らんま)で蓋をされ、一見して穴が見えないようになっていた。

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床下からせり上がってくる冷気を遮断するため、畳の下にもフェルトを敷き、別邸の室内は驚くほど快適な環境となっていた。

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「流石は近衛様。玻璃(はり)(ガラス)の障子とは美しい。温かい室内から、冬景色を臨めるとは格別ですな」

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「いえいえ、私ではこの離れを用意するので精一杯。京を追われた鄙(ひな)もの(田舎者の意味)が、皆様を十分におもてなし出来ているのかと内心恐れております」

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静子直伝の茶碗蒸しに舌鼓を打ちつつ、招かれた公家達が口々に前久を褒め称えた。前久は謙遜しながらも、公家達の様子を観察していた。

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今日は前久が主催した歌会があり、その後に調度良い頃合いという事で夕餉を振る舞っているところだった。

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体を芯から温める食事と、絶品と名高い尾張の清酒を口にした公家達は、前久の財力と最先端の文化に酔いしれた。

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余談だが天皇が催しする歌会は歌御会(うたごかい)と言い、年の初めの歌会を歌御会始(うたごかいはじめ)(大正に歌会始(うたかいはじめ)に改称される)と呼ぶ。

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こうした朝廷内の権力闘争は、一見信長たちに何の利益も齎さないように思えるが、投資をするに十分な利点があった。

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世の中は武家の社会になっているとはいえ、建前上は何をするにも朝廷の権威が必要となる。

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こうして前久を中心に派閥を作り上げれば、何かと融通が利くようになる。公家達に軍事力など存在しないが、彼らが営々と紡いできた歴史と権威は利用価値が高かった。

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そして今は多くの公家が荘園からの収入を失い、土地や財産を担保に商人たちから金を都合する公家もいる。

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中には日常生活すらままならず、先祖伝来の土地や屋敷すらも奪われ、粗末な空き家に移り住み、生活資金を借りながら爪に火を点すような暮らしぶりの公家すら居た。

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前久が多くの公家達を招いて宴を開けば、そうした公家達の経済状況などを知ることが出来る。

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『溺れる者は藁をもつかむ』の言葉通り、僅かな経済援助で前久の派閥へ転び、一層朝廷への発言力が高まっていく。

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とは言え、こういった搦め手を信長がやれば公家達の矜持を傷つける。貴族たちの機微を知る、前久を通して工作する方が、成功率も高かった。

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「ご謙遜を。そうそう、ご息女のお噂。麻呂の耳にも届いておりますぞ」

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「これはお耳汚しを。私は京を離れて以来、長らく武家の者たちと懇意にして参りました。お陰で娘も女だてらに、あれやこれやと手を広げ、未だに嫁ぐ気配もございませぬ」

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「しかし、ご息女のお力添えあって、皆が京へと戻ることが出来たのです。我ら公家と武家との架け橋として、稀有な才を示しておいでだとか」

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扇子で口元を隠しつつも公家は笑う。ここからの腹の探り合いは前久の腕の見せどころとなる。前久は愛想笑いを返しつつも、虎視眈々と機会を窺っていた。

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三月に入ると、信長は多くの令を発布した。暦法(れきほう)、度量衡(どりょうこう)、新貨幣などを始め、内容は多岐に亘った。

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中には前久を通して帝を動かし、公家の土地に対する徳政令をも出した。徳政令は借金の踏み倒しであり、債権者には無論歓迎されない。

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商人たちの組合を通して信長へと陳情が届いたが、彼は「苦境に付けこんで法外な利子を取り、先祖伝来の土地屋敷を騙し取った悪辣な者にしか適用されていない」として取り合わなかった。

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一部の商人たちは不満を抱いたが、この徳政令は概ね好意的に受け入れられた。

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復興しつつある京の土地を抱え続けて恨みを買うよりも、さっさと返して公家に取り入った方が儲けも期待できるからだ。

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暦法や度量衡を制定する事は支配者の証。日ノ本に住むほぼ全ての人間が、信長の時代が来たと否応なく理解させられた。

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時を同じくして信長は朝廷より従三位(じゅさんみ)参議(さんぎ)に任ぜられた。参議とは大臣や納言(なごん)に次ぐ、重要な役職であり、朝廷の最高機関たる太政官の官職の一つだ。

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名前通り、朝廷の政務に関する議事に参与できる役職である。国政に携わる高官ゆえに、就任するに当たって条件が存在する。

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信長の場合は、同時に従三位を賜っているため、参議に列せられた。

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「とんとん拍子で物事が進むね」

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信長が京に滞在中の警備は、少数でも有事への即応力が高い静子の軍が担う事となった。主力は才蔵が率いて従軍しており、慶次と長可は遊撃隊とされた。

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慶次は待ちの姿勢を良しとせず、京へと着いた途端に隊を残して一人でふらりと消えた。

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長可は部隊こそ率いてはいるものの、慶次と大差なく、警邏(けいら)と称して京の街へと繰り出していた。

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詰所に残っているのは静子直卒の竜騎兵部隊(銃騎兵)と、才蔵軍だけとなっていた。

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静子自身も慶次と長可の動向を把握していないため、敵からすればいつ慶次や長可と遭遇するか判らず、緊張を強いられる状況を期せずして生み出していた。

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「与吉君は、単独で安土周辺の環境調査。足満おじさんは尾張で私の名代。なんか、私って軍を留めるための置物になっている気がするよ」

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「それだけ静子様に求心力があるという事です。静子様が居られるだけで、京の民は安心するというものでしょう。どうか、軽挙妄動は謹んで頂き、こちらでどっしりと構えていて下され」

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静子の呟きに才蔵が窘(たしな)める。信長の影響か、静子にも突然単騎で突っ走る癖がついてしまっていた。

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ただし、現在の静子は公家筆頭である近衛家の娘であり、織田家でも重鎮と呼ばれる地位を占めていた。

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肩書とは対照的に、肉体的にはか弱い女性であり、一人で厄介ごとに巻き込まれようものなら、命を落とす危険すらあり、部下たちは生きた心地がしないのだ。

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「いやあ……あの時はご迷惑をおかけしました。まあ愚痴は出るかもしれないけど、流石にあんな真似はもうしないよ」

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あわや責任問題となり、警備の責任者である才蔵が腹を切ると言い出したため、静子一人でのお忍びはなくなった。

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なお、天下人に最も近い信長は、立場が変わっても一人でお忍びと称して動いている。

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「愚痴程度ならば、この才蔵がいくらでもお付き合い致します」

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「従四位(じゅしい)下(げ)に叙任されちゃったしね。流石に軽率な行動は出来ません」

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芸事の守護を朝廷より任された静子は、併せて従四位下の位を賜っていた。ただし、官職は与えられず無官となっている。

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元々は位階を任ずる予定では無かったが、朝廷側から依頼した形式をとる以上、何も与えないのでは具合が悪い。

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さりとて、いきなり高位に任ずるわけにもいかないため、いわゆる名誉職として従四位下に任ずることとなった。

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余談ではあるが、公式には知られていない静子の別名『仁比売(ニヒメ)』は、時の帝より従四位上(じょう)を賜っている。

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朝廷を紛糾させた静子の叙任だが、当の静子は完全に蚊帳の外におり、彼女の許には信長が静子に代わって引き受けたという通知のみが齎され、彼女には選択肢すら与えられなかった。

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信長としては朝廷内に、自分の勢力が増えて発言力が大きくなるため、断る理由はない。既に静子は天下に名の知れた女傑となっており、今更隠し立てする意味は薄かった。

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「まあ、官位を貰ったところでやることに変わりはないんだし、明日の準備をしておかないとね」

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手にした紙の山を叩きながら静子は口を開いた。

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官位を得て、昇殿を許される殿上人(でんじょうびと)となろうとも、静子のやることは変わらない。

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高位を利用して政治をするのは信長であり、腹芸の出来ない自分が政治などやれるはずもないと考えていた。

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今は信長の日ノ本統一に向けて雌伏の時と考え、静子は大人しく置物としての役割を果たすことにした。

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そうは言っても日ノ本の玄関口たる堺にほど近い、京まで来たのだ。少しぐらい趣味に走っても罰は当たらないと考え、彼女は精力的に外部との交流を持っていた。

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出自や背景などは問わず、京の民であったり、遠方から訪れた行商だったり、普段関りの無い寺社関係の人間だったりと、この時代の歴史や風土を知る情報源を求めていた。

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特に静子が好んだのが、イエズス会が連れてきた奴隷たちだった。黒人だけに限らず、実に様々な人種が奴隷として扱われていた。

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恐らくスペイン人から得たのであろう、アステカ人やインディアン。アラブ系、アジア系の人種もおり、外見だけでも混沌とした様相を見せていた。

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奴隷と言えば、真っ先に黒人奴隷が挙げられるが、どんな人種であろうとも奴隷となった人々はいたという生きた証拠でもあった。

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静子は奴隷商に金を払い、奴隷たちから直接話を聞いていた。奴隷たちの生い立ちや、奴隷になる前の生活習慣、文化、風習に宗教や思想などについても時間が許す限り聞き出した。

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聞かれる方にとっては昔話をするだけで労役を免除され、更には少しばかりの報酬さえも得られる。皆が嬉々として己の知識を開陳してくれた。

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勿論日本人以外の奴隷については、奴隷商の通訳を付けて貰う必要があり、それなりの費用が嵩んだが、書物では知り得ない生の情報に触れられた静子は満足していた。

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静子はそれらの話を要約して書き取り、後で当時の風物を知る書物として編纂するつもりでいた。

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現在静子がご執心なのは、インディアンの奴隷が話す先住民の文化についてだった。

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アステカ人奴隷には会話すら拒絶されたが、インディアンの奴隷とは友好な関係を構築出来ていた。

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この差が生まれた理由は単純であり、インディアンの価値観にあった。インディアン奴隷の属する部族は、ワシを神聖な動物として崇めており、手なずけた者には一定の敬意が払われる。

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静子が持っていたワシの羽根も重要なアイテムであり、彼らが被る羽根飾りは『ウォー・ボンネット』と呼ばれ、戦闘で勇敢に戦って手柄を立てた者への勲章として、一本ずつ与えられるものだった。

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無論、最初は警戒されていた。しかし、彼らが交渉時に行うパイプ煙草の回し飲みの際に「勇敢な者になら答える」と彼が宣言したため、静子はオウギワシのシロガネをインディアン奴隷に引き合わせた。

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彼らインディアンにとって煙草は重要な意味を持つ。パイプで煙草を吸うという行為は、パイプから立ち上る煙によって、天上に住まう大いなる存在と会話することとされた。

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このことから和平交渉や取引の際には、パイプ煙草を回し飲みし、約束を大いなる存在に誓った。大いなる存在が証人となって誓った内容は、絶対に破ることを許されない。

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「人が死んだらどうなると思う?」

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「勇敢なる者よ。我らは死を特別な事とは考えない。肉の体を捨て、魂だけとなるだけだ。魂は不滅であり、命は続いていく」

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「どんな物を食べていたの?」

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「バイソンやカリブーなどを狩猟する事もあったが、多くは穀物だ。豆やトウモロコシ、カボチャも食べた。豆やトウモロコシは乾して乾燥させて貯蔵した」

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通訳を通しているため、短いセンテンスに集約されてしまっていたが、静子は気にしなかった。インディアン奴隷の言葉を書き取り、次の質問をすると言う事を繰り返した。

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昼時を迎え、彼らの食生活にあったトウモロコシのポリッジを、夏に収穫して保存しておいたスイートコーンで作り、一緒に昼餉を取ることにした。

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茹で戻しただけでも甘いスイートコーンにインディアン奴隷は驚いていたが、彼の思うポリッジの味とは違っていたようだった。

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次に機会があれば、彼自身が腕を振るってくれると言っていた。

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「勇敢なる者よ、また会おう」

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別れの際も、インディアン奴隷の態度はあっさりとしたものだった。何時誰に売られるともわからない身の上だと言うのに、彼はそれを悲観している様子すらなかった。

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そこには彼なりの哲学があり、あるがままに生きるその姿を羨ましいとさえ思った。

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「随分とたまったね」

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自宅の倉庫に文字通り山積みにされている紙を見て、静子は呟いた。紙の原料には楮(コウゾ)、三椏(ミツマタ)、雁皮(ガンピ)、麻(アサ)の4種類を使っている。

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今までは自生しているものを収穫したり、商人から買い求めたりしていたが、静子は紙を大量生産するため、大々的な原材料生産に乗り出すことにした。

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出来上がる紙の品質を考えれば、雁皮を栽培するのが理想なのだが、雁皮は生育が遅く、更に栽培が困難であった。

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そこで栽培が容易であり、毎年安定した収穫が期待できる楮を主とし、三椏を副材料として育てることにした。

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「しかし、流石は越前和紙。良いものを作るね。美濃和紙も負けていないけど、やっぱり障子とか包み紙用だね」

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清書用に用意した越前和紙の、滑らかな表面を撫でながら静子は呟く。

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越前制圧後、静子は越前の職人たちを抱え込んだ。その中には当然、和紙職人もいた。

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和紙の生産量を増やす為、静子は和紙生産の拠点を立ち上げ、和紙職人たちをそこに放り込んだ。

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環境の違いに戸惑った越前の和紙職人たちも、使い慣れた道具や設備がない事に目を瞑れば好待遇であると知ると、せっせと和紙を作り始めた。

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彼らが意欲的に取り組むようになったところで、静子は美濃和紙の職人たちと同じく、腕の良い職人を選んで『名人』や『達人』などの称号を与えた。

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しかし称号を与えられた職人からすれば、自分が漉いた紙を他の職人のものとは別扱いにされるのと、若干報酬に色が付く以外には待遇も変わらない。

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職人たちが判らないのも当然であり、これは売る側にとっての品質保証という意味合いを持っている。

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『名人』や『達人』が漉いた紙が上質なのは当然であり、従ってその商品価値も自然と違うものとなる。

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良い物を安く提供するという考え方は、大量生産大量消費が当たり前の時代の価値観であり、工業化の為されていない戦国時代では良い物には相応の値が付いた。

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出来上がった商品の売価が異なるため、徐々に『名人』や『達人』の称号を持つ職人に還元される報酬は増えていく。

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成果に見合った報酬が約束されるとなれば、職人たちは互いに切磋琢磨をしあい、より良い物を作り出そうと取り組みはじめ、総体として美濃和紙の品質も底上げされる。

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ただ、品質が良ければ売れるというものではない。より良い物には然るべき装いがあり、値段に見合った宣伝が必要となる。

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たとえ一般人の手に届かない値段であろうとも、高いが良い製品であるならば、値が張ろうとも買い求める人はおり、使用者の周辺にその商品価値が広まっていく。

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無論、宣伝だけに留まらず価格設定にも工夫を凝らす。心理的(しんりてき)価格設定(かかくせってい)と呼ばれる値付けを行った。

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購買者は価格が高いものには価値があり、低いものには価値がないと考える。これを名声価格と呼ぶ。

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また複数の選択肢が提示され、高級品、中級品、普及品と並べると、多くの人々は中級品を選択し易い。これを段階価格と呼ぶ。

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これらの購買者心理を突いた値段を提示し、静子は購買者層の棲み分けを行った。

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即ち、越前和紙を高級ブランド商品とし、美濃和紙の中でも上質なものを中級品、一般的な品質のものを普及品として扱った。

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こうした工夫の甲斐もあって、それぞれの和紙は徐々に浸透していった。

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「覚えている内に、はやく清書しちゃおうっと」

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静子は鼻歌を歌いながら、昼間に収集した話の内容を越前和紙へと清書していく。

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硬筆に慣れていた静子は、当初毛筆に苦労したものだが、今となっては筆の方が早く書けるほどになっていた。

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「静子様、明智様の使いがお越しになりました」

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もう少しで整理が終わろうかと言う時になって、小姓が使者の来訪を告げた。重要な部分は終わっているとはいえ、静子としてははやく片付けたい気持ちがあった。

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「もうすぐ日も沈むし、明日にして欲しいって伝えて」

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部屋に入る日の光から、おおよその時刻を推測する。もうすぐ日が暮れると思った静子は、現状は手が離せないから、また日を改めて欲しい旨を伝えるように命じた。

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小姓は短く返事をした後、言づてをするために去る。小姓が立ち去るのを待たず、静子は作業を再開した。

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「大変申し訳ありません、静子様。何やら火急のご用と仰せで、本日中に話を通したいと……」

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残り数枚というところで、小姓が戻ってきた。顔を見ずとも、彼が困惑の表情を浮かべている事はすぐに分かった。静子は小さくため息を吐くと、下書きの書き付けの枚数を数えた。

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「……少し待って頂く事になると伝えて。先に部屋へ案内し、お茶とお茶請けを出しておいてね。それから慶次さん……は多分いないね。才蔵さんとかを呼んでおいて」

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「承知しました」

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10分ほどで片付ける、そう決意して静子は再度筆を手に取った。